第3話 猫の日常
軽やかに僕は歩く。春の日差しはぼんやりと柔らかく、適度に生ぬるい。時折吹く風は、まだ少し冷たい。ヒゲがぴんと伸び、背筋はしゃんとする。いつも丸まっている僕だけど、たまには悪くない。
ぴょんと塀を跳び越え、いつもの庭に降り立つ。長く伸びた草がこそばゆい。ぷるぷると体を一度震わせる。
今日も縁側は開けっぱなしだった。いつものように、そこに上り、いつもの座布団で丸くなる。僕の匂いと太陽の匂いが混ざったふかふかの座布団。すぐに眠くなる。ふぁーっと大きくあくびをして、まどろみに身を任せた。
優しい匂いがしたので片目だけ開けてみると、横におばあちゃんが座っていた。もう一つのお気に入りの場所。おばあちゃんの膝の上に移動する。
「今日も来てくれたんだね」
僕のすべてを包み込むような大きな手で、全身をなでながら、煮干しをくれるおばあちゃん。僕をなでる手はだんだんとゆっくりになっていき、そうしておばあちゃんの寝息が聞こえ出す。そして僕も再び眠りに落ちる。
次に目を開けたときにはもうおばあちゃんはそこに居なかった。僕は再び歩き出す。
子どもたちが駆けていく。大きな声で力いっぱい笑い、叫び、駆けていく。新緑の匂いが吹き抜ける。
体をぐーっと伸ばしていると背中に小さな気配がした。息を殺した子どもたちが僕に手を伸ばしている。驚いた僕は、にゃっと声を上げ、するりとその手をかわす。感嘆のため息を一瞬だけ漏らしたその子どもたちは、すぐに全力の笑顔に戻り、僕を追いかけてくる。
追いかけっこは大得意。ひょいひょいと、差が広がらない程度に逃げていると、愉快な気分。僕も子どもたちもすぐに飽き、別々の方向に歩き出す。
あたりが暗くなり始める。ぽつぽつと水滴が顔に当たった。その勢いは徐々に増していき、僕の自慢の毛を濡らしていく。たまたま通った家の軒先に身を滑り込ませ、大きく体を震わせる。ぷるぷると全身の水を切り、そのままそこで丸くなった。気ままな一人は好きだけど、一人の夜は少しだけ寂しい。
朝になると小さな皿に入れられたミルクが目の前に置いてあった。甘い匂い。たまらず僕はそれを口にした。ぺろぺろぺろ。甘い充足感で僕は満たされ、あっという間にミルクは無くなった。名残惜しく皿をなめ続けていると、遠くからこちらを伺っている小さな目をいくつか見つけた。
それに気づかないふりをして、にゃーっと軽くお礼を言い、また当てもなく歩き出す。
今日も日は昇る。またいつものように塀を越え、いつもの縁側に向かう。めずらしく戸は閉まっていた。黒い服を着た大勢の人間たちがガラスの向こうに座っている。
沓脱ぎ石の端っこには僕の好きな煮干しがちょこんと置かれていた。ゆっくりとそれを味わいながら、線香の匂いにくしゃみをしたりする。そうして空を見上げ、僕はにゃあとつぶやいた。抜けるような青空に、僕の声は吸い込まれ、そしてまた日常の喧噪が僕に降り注いだ。
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