第64話 腹黒天使は立ち直る




 私がりっちゃんの方へ顔を向ける。彼女はペットボトルのお茶を一口飲むと、何気ないように口を開いた。



「面倒に考えすぎ。スタンスとか立場とか、そんなの関係ないじゃない。っていうかそもそも好きなら尚更、驕ることの何がいけないの?」

「どう、いうことぉ……?」

「風花さ、前に私に話してたじゃない? 『恋は妥協したら一生後悔する』って。……確か、ネット小説の受け売りだったっけ?」

「うん」


 確かに、来人くんの影響で中学の頃から少しずつウェブ小説を読み始めて唯一感銘を受けた一文だねぇ。

 恋愛知識がゼロだった私が、得意げにりっちゃんに話したら生暖かい目で見られた言葉。



「実際その通りだと思う。だからこそ風花はそれを参考に阿久津クンにぐいぐい構って行ったわけだろうし、シミュレーションを通して、風花の存在をしっかりと彼の心に残す為にこれまで色々してきたんだもんね」

「……ねぇ。つまり何が言いたいのぉ、りっちゃん?」

「恋をするとだいたい誰でも『私がこの人を幸せにしたい』とか『私を好きになって欲しい』って思うし、その時点で驕ってるってことよ。さっきの言い方だと、風花はその想いを原動力にこれまで頑張ってきたのに、傲慢なのは恥ずべきことってこれまでのことを無価値に捉えようとしてるみたいじゃない。……つまり! 協力者とか友人とか、そんな分っかり易い型にはめないで、後悔の無いようこれまで通り、ありのままの風花自身を魅せる事が大事なんじゃないのってことよ!」

「っ……! 私自身を、みせるぅ……」



 そっか……うん、確かにそうなのかもぉ。好きって想いを抱くのも勝手だし、好きだからこそ何かをしてあげたいって思うのも勝手。それが互いに通じ合ったとき、初めて"恋"が"愛"になるのだろう。


 ―――あぁ、りっちゃんが言う通り、恋は傲慢だ。


 きっとりっちゃんはその傲慢さから目を背けないで受け入れて、スタンスとか今自分がいる場所とか関係なく、自分の気持ちの大きさを相手に伝えるのが大事ってことを言いたいんだよねぇ。


 でもりっちゃん、それって。



「―――中学のことも含めてぇ?」

「うーん……むしろさ、彼は彼なりに頑張って向き合おうとしてるのに、風花は阿久津クンと会ってたことを隠したままでいいの?」

「それ、はぁ………」



 私は思わず言い淀む。今まで見ないふりをしていたけど、来人くんに若干の後ろめたさも感じていたからだ。



「……ま、それは後回しにしましょ。話が逸れちゃうし、いつでも相談できるし、ね」

「……うん」



 私の様子をおもんばかったのか、りっちゃんはそっとこの話を終わらせた。そしてしばらく無言。

 私はようやくお弁当の蓋を開けながらおかずを食べ始める。いくら美味しくても、未だ食欲は湧かなかった。


 もぐもぐ……。まぁ、りっちゃんの言いたい事も分からないでもないんだよねぇ……。来人くんに、あのときの私が私だって言えればどんなに楽かぁ……。


 でもあの頃の私は、私であって私じゃない。本当の自分を心の奥底に閉じ込めて、仮面を張り付けて、何事においてもお手本のように振る舞い、将来のことなんて親に言われたまま敷かれたレールを歩くことを漠然としか考えられなかったマニュアル人間だった。


 そんな偽物にせものの私のことが、私は嫌い。


 だからこそ、来人くんには今の本当の私だけを見て欲しいし、余計な情報は彼の耳に入れたくないのだけれど……あのとき、キミと出会って運命が変わったのも何物にも代えがたい真実。この気持ちの原点は、自分の本心を偽っていた中学時代なんだ。


 来人くんと出会ったから今の私がある。そのことを来人くんに素直に伝えて感謝したいということと、今の私だけを見て欲しいからあのときにせものの私の話はしたくないというジレンマを、私は抱えている。


 ふと私は、ある選択した道を辿たどった未来を思い描く。



(もしぃ、あの時の女の子が私だよって打ち明けたらぁ、来人くんはどんな反応をするんだろぉ……?)



 見た目も口調も違ってるし、戸惑うかなぁ? 僕を騙してたのって怒っちゃうかなぁ? それとも―――、


 キミがずっと側にいてくれたんだって、私に優しく微笑んでくれるのかなぁ?



(…………ッ!!)



 思わずぼしゅっと顔が赤くなりながらも、両手で顔を押さえながらかぶりを振る。


 だ、ダメだよ私、思い上がっちゃぁ!! いくら来人くんがかっこよくて優しくて思いやりや気遣いに溢れているとはいえ、そんな都合良くいくわけないからぁ!?


 声にならない声でひとり悶絶していると、それに気付いていないりっちゃんが口を開いた。



「中学時代と言えば、いろいろ思い出すなぁ」

「私はあんまり思い出したくないけどぉ……」

「風花、だいぶ無理してたもんねぇ……あの頃」

「うぅ……っ!」

「文武両道、品行方正、おまけに本物のお嬢様……ま、風花のおこぼれを狙うヤツらがいっつも周囲に居たら、そりゃ感情を殺すしかなかっただろうけど」

「その点、りっちゃんは人の感情の機微には敏感だったよねぇ? すぐに見抜いてきたしぃ」

「そりゃあれだけ注目を浴びてれば、ね。私、今も昔も観察するの大好きだし」



 私は当時のりっちゃんとの出会いを懐かしく思い出しながら、ご飯を箸でつまんで口の中に放り込んだ。


 りっちゃんは口角を上げて笑みを浮かべながら、ガサガサとコンビニのビニールの袋に今まで食べたゴミを入れる。

 そしてそのまま言葉を続けた。



「でも、心の中には阿久津クンがいた。風花さ、放課後彼のこと話すときいっつも目を輝かせていたもの。―――ずっと、支えてくれていたんでしょ?」

「…………うん」



 近くに居なくても、ずっと心の中にいた。言葉が響いていた。優しくて、強がって、誰かのために一生懸命行動できる男の子。


 ……でも、優しいがゆえに人一倍傷つきやすい繊細な男の子だということも知った。あのときはキミの力になれなかったけど、今度こそは……!



「なら、風花は立ち位置とか関係なく、今のまま自然に振る舞ってなさいよ。それが、一番彼の為になると思うわ」

「りっちゃん……!」

「思い悩んで、立ち止まって、過去にずっと縛られてっていうもの阿久津クンが可哀想だし……うん、どんどん風花の印象を彼の心に沁み込ませて、最終的には風花色に染め上げちゃいなさいよ」

「わっ、わたし色ぉ……っ! う、うん……っ、これからもいつも通り頑張るよぉ、りっちゃん……!」

「もちろん前にも言った通り節度や距離感を忘れずに―――って、もしかしてもう聞いてない……?」



 最後何を言ったのかは良く分からなかったけど、りっちゃんが話すさっきの甘美な響きの言葉に思わず頬を染める。

 何故なら、一瞬だけ来人くんとのそんなバラ色の未来を想像しちゃったから。


 ―――えへへぇ、えへへへへへぇ!! 頑張っちゃう! 頑張っちゃうよ私ぃ! 目指せ恋人ぉ! 目指せ同棲どうせいぃ! 目指せけ……けけけ結婚けっこん!!


 さらには言葉に出来ないような桃色の世界をひとりで想像していると、隣からため息が聞こえた。……んぅ? どうしたのりっちゃん? りっちゃんのおかげでようやく立ち直ってポジティブになれたのにぃ。



「はぁ……あーあぁ、でももし阿久津クンと風花が恋人同士になったら、一緒にいる時間が減っちゃうのかぁ……。…………私が最初だったのになぁ」

「んぅ? ……んぅ~?」



 りっちゃんは遠くの方を見て黄昏たそがれるように呟く。この少し物憂げな表情はぁ……? ……あぁ、もしかしてぇ。


 私は口角が上がるのを抑えきれずに、口元をにゅふりと曲げてしまう。そして、片手で唇を少しだけ隠しながら言葉を紡いだ。



「もしかしてだけどぉ……りっちゃん、やきもち妬いてるぅ……?」

「は、はぁ……!? やきもちじゃないし! むしろおめでとうだし! っていうかニヤニヤするのやめなさいよ!」

「わかってるぅ、わかってるよりっちゃん……! 私たちぃ、一生親友だもんねぇ~~!!」

「ちょ、ちょっと風花……! 離れ……!」

「もしそんな幸せな未来に繋がったとしてもぉ、りっちゃんとの関係は変わらないよぉ。最初に・・・私を見つけてくれたぁ・・・・・・・・・・、昔も今も変わらない、かけがえのない大事で大切な友達だもん!」

「――――――」

 


 そう言いながら私はりっちゃんをぎゅっと抱きしめて、頬をぐりぐりと彼女の顔にくっつける。そしてよしよしと慈しむように頭を撫でた。


 りっちゃんは最初こそ恥ずかしそうに頬を赤く染めて抵抗していたけど、しばらくして次第に大人しくなると、



「……ん」



 私に脱力するように姿勢を傾けながら、抱きしめ返したのだった。



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