第38話 天使との図書館勉強会(お触りver.) 5




「―――残念でしたぁ!」

「うわぁ、マジかぁ……。これでも必死に神経を総動員させて真剣に選んだんだけどなぁ……!」

「えへへぇ! 残念だったねぇ、来人くん!」

「じゃあ左手に消しゴムが入ってたんだねぇ。確率で言うと二分の一なのに、運が無いなぁ。僕は」



 整った顔立ちの風花さんの小さくも弾んだ声が優しく耳朶に響く。開かれた彼女の手のひらには何も存在してなかった。

 息抜きとはいえ真剣に考えた予想が外れてしまったことと、風花さんのにへらっとした笑みの安心感。その二つの出来事に、一気に張り詰めていた緊張感から解き放たれる。


 ……ん? 気のせいか、なんだか風花さんの笑顔が表情が固いような気がするなぁ?


 不思議に思った僕だけど言葉を続ける。



「なら左手に入ってるんだね」

「あぁ、うにゅー……そのことなんだけどぉ……っ、ごめんなさぁい」

「……え? 入ってない……?」



 彼女は謝りながら僕が答えを出した手の反対側、つまり左手をゆっくりと開く。そこには、いや……そこにも消しゴムは入っていなかった。思わず目をパチクリさせる。


 ん? ………?? ????


 僕は静かに混乱しつつも首を傾げる。



「いやぁ、騙しちゃった感じになってごめんねぇ来人くん? 実を言うと下をいくら探しても無かったんだよねぇ」

「え、ちゃんと机の下に転がっていった筈なんだけど……」

「ほらぁ、来人くんの使ってた消しゴム丸くて小っちゃかったじゃぁん。きっと凄い勢いでどこか遠い所まで転がっちゃったんじゃないかなぁ?」

「え、えぇ……?」



 僕の使っていた消しゴムがそんなにアクロバティックな奴だと思わなかった……。もしかして下に落ちるときに足で受け止めようとして蹴り上げちゃったから、それで勢い付いたのかな?


 風花さんがいつまでも顔を上げなかった理由が判明しつつも机の下を覗く。しかし床のカーペットを見渡してもそれらしき物体は見つからない。


 いささか疑問が残るけど、風花さんがそう話している以上そうなのだろう。加えて僕の責任でもあるので諦める。


 残った時間はパーフェクトライティングを目指さなければ……っ!


 愛着があった物が無くなった喪失感半分、もう半分は一度でも間違ったら生き残れないという覚悟で改めてつぶやく。



「……消しゴムあれしか持ってなかったけど仕方ないっか。無くなった物はもうどうしようもないしね」

「―――ふっふっふー! そんな来人くんの為にぃ、もう一つ消しゴム持ってるからあげるぅ!」

「え、いいの……?」

「全然いいよぉ、来人くんを騙しちゃったお詫び、だよぉ!」

「ありがとう。大事に使わて貰うね……っ!」



 にへらっと真っ白な羽が舞い上がるような明るいいつもの笑みを浮かべつつ、彼女は僕に消しゴムを渡す。


 きっと僕の消しゴムは天命を果たして遠い旅に出たのだろう(遠い目)。というかもうこれが景品でありご褒美だよね?

 ……あっ、もしかして風花さん。当てた当てないにかかわらず、最初からお詫びっていうことにして自分の消しゴムを僕に渡すつもりだったり?


 だとしたらあーもう、その天使の行き届いた配慮と遊び心と可愛さでとうとみ秀吉だわぁ……! ありがとう風花さん……!


 おっと、安心したせいか尿意を催してきたぞぅ?



「ごめん、ちょっとお手洗いに行ってくる」

「うん!」



 僕はそう彼女に断ると、すたこらとトイレへと向かったのであった。



「――――――」



 僕らを見ていた、ある視線に気付くことなく。








 そのまま緩やかに時間は過ぎ、煌びやかな夕暮れの日差しがガラス越しの窓から差し込んできた時刻。テスト範囲の復習をほぼ終えた僕らは、広げたノートや筆記用具を片付けて帰宅する準備をしていた。


 あ、風花さんから貰った消しゴムは勿論ありがたく使わせて頂きました。心なしかいい香りが漂ってきた気がしましたが、きっと僕のたくましい妄想力の賜物でしょう。

 

 まだ時間に余裕はあるが、バスの時間もあるので二人でいそいそとバッグに勉強道具を仕舞っていると、僕の背後から声を掛けられた。



「………あら、もう帰るのかしら」

「文音さん! はい、だいたいテスト勉強も区切りがつきましたし、バスの時間もあるのでもうそろそろ帰ろうかと。というか珍しいですね、文音さんがサボ……休憩しに来ないなんて」

「………別の言葉で取り繕っても無駄よ。阿久津君が私のことをそんな風に思っていたなんて、お姉さん悲しいわ。およよ」

「…………」



 思わずジト目で文音さんを見つめる僕。


 表情と言葉に感情がこもっていない、明らかな棒読みだね。それでいて言葉の端々に温かみを感じるってすごく器用だよね文音さん。


 前から不思議なんだけど、声帯どうなってるの?



「………本当はそうしたかったけど、今日は休日だから本を借りたり返却する利用者がたくさんいたの。業務に追われてサ……サボる時間が無い程てんてこ舞いだったわ。せいぜい通りすがる度に少しだけ様子を伺う程度よ」

「もう隠す気ないですね!?」

「………顔だけ最後見ようと思ってね。……これからもまだ業務が残っているわ。二人とも気を付けて帰りなさい。……また来てね」

「あ、はい」

「……はぁい」



 そう言って僕らの顔を交互に見遣ると、彼女は去って行った。整った容姿の上、歩き方すら様になる文音さんの美しい姿を呆然と見送る。


 サ……休憩しに来れなかったから顔だけ見に来たなんて律儀だね。前みたいに頻繁には来れないけど、たまにここに顔を出そうと考えていると、トートバックを持って帰り支度が整った風花さんが僕を見つめていた。



「それじゃぁ帰ろっかぁ!」

「うん、そうだね」



 そうして、図書館での勉強会は幕を閉じたのだった。





 その後、僕と風花さんは『まなびほーる』からでてバスに乗車する。隣同士で席に座った僕らは、茜色に染まる街並みの景色を見ながら振動に揺れていた。


 あとは降りるバス停のところで解散する予定だ。



「………………」

「………………」



 僕らは他愛のない会話をしていたが、やがて口数が少なくなる。しばらく沈黙したままだったが、ふと僕は窓側に座っている風花さんの横顔を見ると、いつの間にかすぅすぅと彼女は寝ていた。


 窓越しに流れる景色とシートにもたれるその姿を重ねると、とても絵になっている。


 思わず小さく綺麗な唇を半開きにして寝ている自然体な彼女に惹き込まれる。だがあまりじっと見つめていると彼女に失礼なので、僕は軽く息を吐くと視線を前に戻した。


 すると僕の中で何か違和感を感じた。初めて感じたものではない、どちらかというと久しぶりな感覚。



(……そっか。僕はいま、この時間が終わることに寂しさを感じているんだ)



 今日はとても楽しかった。でも、風花さんとの初めてのお出掛けが終わってしまうことに、ぽっかりと穴が開いたような寂寥感せきりょうかんが僕の心の中に残る。


 高校で何度も顔を合わせて、会話しているというにもかかわらず、だ。


 それはいったい何故か。



(……わかってる。まだ短いけど、風花さんと高校で一緒に過ごした時が濃かったから。―――僕の心が色付いたからだ)



 僕のもやもやとした灰色の心に差した、この色の正体はまだ分からない。


 しかし勉強会中にいだいた『楽しい』という気持ち。すぐに誤魔化してしまったけど、それは僕の中に明確に照らされた偽りない事実だ。


 意識的にではなく、自然にその言葉が出たということはそういうことなのだろう。


 ………………。

 


(……よそう。これ以上のことを考えると、形になりそうで、怖い)

 


 目を閉じて深く息を吐くと、視線を下の方へ向ける。


 すると、



「んぅ…………」

「―――ッ!?」

「すぅ……すぅ……」

 


 こてん、と風花さんの横顔が僕の右肩に乗った。ふわりと甘い匂いが鼻を掠め、突然のことで身体が強張るけど、僕は身体を動かして起こしてしまわないように必死に動揺を鎮めようと顔に力を入れて頑張る。


 彼女は寝ているので、当然僕の右肩にはそれ相応の重みを感じる。しかし、それは全く嫌ではない心地よい重み。むしろ―――。


 僕は彼女へ視線を向けると、ぽつりと小さく呟く。



「ホント、天使かよ……」



 バスに揺られながら、この激しく鳴り響く心音が彼女に届かないように切に願った。




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