宗教というものの存在意義をもう一度見直していくべきなのだろう

 8月3日・4日 - 比叡山世界宗教サミット開催。


 昭和61年(1986年)10月、諸宗教の対話と協力に力を注がれたローマ教皇ヨハネ・パウロⅡ世聖下の提唱により、世界の諸宗教指導者がイタリアの聖地アッシジに集い、それぞれの宗教儀礼で世界平和を希求する祈りを捧げまた。


 そしてこの集いに参加した第253世天台座主山田惠諦猊下は「アッシジの精神」を引き継ぎ、日本においても世界平和祈りの集いを執り行うことを世界の宗教者に提言いたし、8月3日、4日の両日に亘り、「比叡山宗教サミット」が開催され、4日には比叡山山上で世界宗教者平和の祈りの集いの場をもって、世界の諸宗教代表者と共に世界の平和を祈った。


 さて、日本においては宗教というと”胡散臭い””危ない””金の亡者”というイメージが強い。


 そういったことが一面では否定できない場合もあるが、昭和54年(1979年)から昭和55年(1980年)にかけて起きたイエスの方舟事件のようにマスコミによってバッシングされ、この異常なバッシングとその結果から、オウム真理教が問題を起こした際に批判を躊躇するようになり、結果として被害を拡大させるに至ったとも言われる。


 すなわち日本における宗教観はマスコミの勝手なイメージ流布によるところも大きい。


 とは言え戦前の国家神道の否定とそれに付随して、宗教が道徳に果たす前向きな役割に眼を向けてこずむしろそれを否定することで、多くの日本人は無宗教の無神論者となってしまったが、国際社会においてこれはかなり珍しい部類に入る。


 日本人の伝統的な価値観だと捉えられてきた“お天道様が見ている””ウソを付くと閻魔様に舌をぬかれる””悪いことをするとバチが当たる”といった感覚を持つ人は少なくなりつつあるのも事実だろう。


 そして、”前”では戦後の高度経済成長の時代に急速に拡大した新宗教は、バブル崩壊後にはどこも信者数の減少という事態に直面し、それは古くからある仏教にすら影響し、地方から本山に参拝に訪れるような人たちも減ってしまっている。


 さらに、葬儀の簡略化が進んで、火葬場に直行する直葬が中心になって、墓石を建てる一般の墓を造る人は減り、ロッカー形式の納骨堂が主流になった。


 いわゆる新興宗教の信者数は平成の30年間で4割の減り教団そのものの存続が危うくなったものも少なくはない。


 そうなった理由は複数あるのだが、まずは単純に金がなくなって葬式などに金を出せなくなったというのもある。


 また葬式という意味では上京や転勤などで先祖代々の墓のある寺にこだわる必要性が薄れたというのもある。


 そして宗教というものは寄る辺のないものが同じような境遇のものと出会えるコミュニティとして優れていた。


 もともと日本人にとってのコミュニティは”村””町内会”と言った地域に根付いたものだった。


 しかし、60年代以降の高度成長期に”村”を出て、”都会”に移動したことでコミュニティを失ったものが新たに獲得したコミュニティが「会社組織」と「宗教組織」だったわけだ。


 しかし、バブル崩壊による終身雇用の崩壊とともにインターネット、正確に言えばSNSの発達により新たな居心地の良いコミュニティが出来上がったことで、都市部における宗教の必要性が失われてしまったわけだ。


 宗教というものの存在意義をもう一度見直しつつ、マスコミの偏向報道もなんとかしていったほうがいいのだろうな。

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