日本の売上高の高い企業が戦前からあるような古い企業ばかりなのはなんとかしないとな
さて、4月に入って年度も変わったことで、日三自動車の取締役会へ北条先輩とともに挨拶などへ行って話をしたり意見を言ったり、船橋の海神付近や千葉の幕張などのでかいけど見た目は古くてボロだが実は立派な建材などを使っていたりする、社長さんの屋敷へ挨拶回りにいって船橋市や千葉市における妾公認条例について話し合ったりをした。
「日三自動車の経営の立て直しは一筋縄では行かなそうだな」
俺がそう言うと北条先輩は苦笑していった。
「まあ、当然ですわね。
日三も元は常陸グループと同じ十五大財閥の1つである、鮎河財閥の財閥系企業ですし」
「そうだな、まあ焦らないでいくしか無いだろうけど」
「あまり赤字が続くようでは持っている意味がありませんが?」
「まあ、そうだよな」
今の所は日三自動車の傷はまだそこまで深くはない……と思いたいが、雇用を確保しようとするにしても利益が出ないのでは限界がある。
それにしても日本企業の問題は売上高の大きい企業は戦前から存在する財閥系か公社系の自動車、電話通信、電気機器、石油、小売、商社、銀行、保険、電力、鉄鋼、重化学などにほとんど限られていることだと思う。
それはつまり日本では戦後に新しい産業の会社が大きく育っていないということを示すわけだ。
この理由については戦後の財閥解体とそれに関連する法律として昭和22年(1947年)に成立した独占禁止法と過度経済力集中排除法、翌年の昭和23年(1948年)に成立した財閥同族支配力排除法が朝鮮戦争の勃発や中国の国共内戦の共産党勝利による赤化などもあって、日本経済の早期自立がアメリカにとって必要となり、昭和24年(1949年)と昭和28年(1953年)には独占禁止法が緩和され、昭和30年(1955年)に過度経済力集中排除法、財閥同族支配力排除法の両方の法律が廃止されて財閥は実質的にほとんど温存されたことが原因だ。
特に銀行や保険などの金融関係はほぼそのままだったが、そういった大企業は開発関係資金の減税面で優遇されていった。
その一方で中小企業を保護すべきであるとの考え方により、昭和38年(1964年)に中小企業基本法が成立すると税制などの面で中小企業優遇され、小さい企業は小さいままでいたほうが税制的に有利と思い込まされた。
それで最終的に一番割りを食うのは中小企業でも大企業でもない中規模企業なので、そこから大企業まで到達できる企業はごく僅かで、戦前からの財閥と同等の売上に至ったのは”前”ではやわらか銀行やウニクロ、カギエンスくらいだったはずだ。
ゲーム業界で言えばSAGAなんかは戦後だからまだ新しいとも言えるが、母体となるゲーム会社自体は 昭和26年(1951年)に設立されているし、ソンニーは昭和21年(1946年)陣天堂に至っては創業明治22年(1889年)だしやはり古い会社が結構多い。
”前”では日本のソーシャルゲーム関係の会社の売上は兆に届いていない。
日本政府の古い大企業と中小企業を守り、中堅企業に厳しい政策は改めて行かないとおそらく前と同じような状況になるだろう。
無論、電話通信やIT、IOTなどで俺の知識を活かしてアメリカや中国のIT起業の先手を打っていくこと自体はできるがそれも問題だろう。
全体として古い産業の保護を優先して新たな産業の発展を阻害しやすい状況はやはり変えていかないといけない。
とは言え石油ショック以来の、低操業下の原料価格の高騰やその後の鉄離れで打撃を受けている鉄鋼業界も本当はなんとかしたいところだが。
人件費抑制のために技術職が機密技術を持って、韓国などの鉄鋼メーカーへ逃げ出した結果、日本の鉄鋼メーカーはどんどん衰退して中国・韓国の鉄鋼メーカーに追い抜かれるのは経営陣が前と同じ給料をもらっているのに、自分達の給料は減らすのかよという不満や不振を考えれば当然だが、それによって日本の鉄鋼業界の販売不振は長く続き、70年代の古い設備で生産する事になって結局は衰弱死するように高炉の火は消えていった。
短期的な株主の利益を守る行為は長い目で見れば自分達、経営陣の首を絞めるだけだったのは日三自動車や電器メーカーも同じだがこれらは俺が頑張ればなんとかなるだろうか?
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