無茶苦茶な日本の年金制度についてテレビで報じたよ

 さて、日本における将来的な不安の理由の一つは派遣法改正による非正規雇用の一般化で、雇用の不安定化と所得の減少があるが、もう一つが年金制度に対しての不安だ。


 社会保険庁職員や、地方自治体職員が年金保険料を横領し、それが発覚してもそれらの職員の大半が刑事告発されておらず身内に甘い体質が浮き彫りとなり、国民から厳しい非難を浴びた。


 5000万件の消えた年金記録により年金が支給されていない人がたくさんいたことも発覚した。


 そして年金の支給年齢がどんどん上がっていってついには廃止された。


 それ以前にも年金制度が廃止された国がある。


 それはソ連崩壊後に独立した中央アジアのトルクメニスタンで平成4年(1992年)6月21日に大統領に選出されたサパルムラノ・アタイェヴィッチ・ニヤゾフは年金廃止に加えて医療費抑制のために首都を除く地方の病院をすべて閉鎖、オペラ、バレエ、軽演劇、サーカスの上演を一切禁止、コンサートやテレビなどのみならず、結婚式などでも歌うことを禁止、さらにインターネットの利用の禁止なども行われていた。


 なおこの国はカスピ海沿岸の天然ガス資源があったため国自体は豊かであったが。


 日本における年金制度は昭和17年(1942年)労働者年金保険が創設され、2年後に厚生年金と名称を変えた。


 この時期に創設された理由は明確で戦費調達が目的だった。


 当時の厚生年金は保険料を20年支払えば55歳から受給できる積立方式で、年金資金は60年間の総額が450億円、現在の価値で450兆円ほどに上ると考えていた。


 そして彼らは年金を積み立てておくつもりはさらさらなかった。


 二十年先まで大事に積み立てていってもインフレで貨幣価値が下がってしまうのはわかっていたからと、どんどん運用して活用し、将来みんなに支払う時に金が払えなくなったら賦課方式にしてしまえばいいのだといっている。


 そして敗戦後のインフレと昭和21年(1946年)2月16日夕刻に行われた新円への切り替えもあって、年金は実質「パー」になり、さらに戦時の軍需工場への空襲などもあってそこで働いていた人々の保険料納付記録が散逸し、消えた年金が発生した。


 こういったこともあり同じく紙屑になった国債とともに年金制度は信用されなくなり日本人の現金至上主義が根付いた。


 しかし政府はそんなことにはお構いなしに昭和29年(1954年)に厚生年金法を全面改正し、支給開始年齢をそれまでの55歳から60歳支給に引き上げた。


 さらに昭和34年(1959年)25年加入で65歳支給の国民年金法を成立させ、厚生年金と合わせた「国民皆年金制度」をつくって会社員以外にも保険料徴収の網をかけた。


 朝鮮特需、東京オリンピック特需、ベトナム特需により高度成長に入り、保険料収入が潤沢になると、自由民権党は選挙で老人票を“買収”するため今度は年金の大盤振る舞いを始めた。


 さらに加入期間的に国民年金に加入できない高齢者に保険料負担ゼロでもらえる「老齢福祉年金」を同時創設し、明治44年(1911年)4月1日以前に生まれた、国民年金制度発足当時に50歳以上の者は、保険料の納付如何に関わらず、70歳から支給され、明治44年(1911年)4月1日4月2日から大正5年(1916年)4月1日までに生まれた制度発足当時に45歳から50歳までの者は、保険料納付状況により70歳から支給された。


 さらに保険料を10年払えばもらえる”10年厚生年金”、5年でもらえる”5年厚生年金”を次々に創設した。


 老人たちが選挙にせっせと足を運ぶ理由はここにある。


 そして厚生省官僚は更生年金保険料で厚生年金会館というシティホテル、会議室、宴会場、結婚式場、レストランなどを併設した複合型宿泊施設を全国265か所に建設し、天下り財団に運営させた。


 さらに年金利権で味を占めた政治家と官僚は次に大規模年金保養基地「グリーンピア」事業に手を付けた。


 これには畑中角栄も創設にかかわっていて総額2000億円をかけて1980年代までに全国13か所のリゾートホテルを建設、その候補地選びや業者選定には厚労族議員が地元の土建業者と癒着して幅をきかせ、年金官僚は新たな施設運営法人「年金福祉事業団」をつくって天下り先を増やした。


 しかし、厚生年金会館もグリーンピアも施設も大赤字であることが発覚。


 年金福祉事業団はトータルでなんと4兆円を超える損失を出した。


 まあこれははっきりテレビで放映するべきだろう。


 そして下はサボりと横領が公然と行われ社会保険庁では実質的な作業時間は30分ほどで1日の主な仕事が終わるときた。


  昭和60年(1985年)の基礎年金制度の導入の際、厚労省から全国の市区町村に対して「年金台帳廃棄命令」が出され、その後撤回されたものの、推定5億件の膨大な資料が処分された。


「消えた年金記録」の発生原因の理由の一つだ。


 というわけで俺はそれらを全部テレビで話し、すぐ自分の年金記録がどうなっているか確認するべきで廃棄されているならばそれを追及するように言った。


 その結果全国の自治体に電話がかかりまくって記録が失われていることがはっきりし、窓口での横領や公費使い込みにまともに働いていない実態も明らかにされた。


 ・・・


 そして当然伊邪那美は激怒していた。


「あのようなくさった奴らは満洲へ裸で放り出すのだ!」


「わ、わかりました」


 厚生省官僚や年金福祉事業団、社会保険庁の役員でも特に悪質とみられた者たちは素っ裸で旧満州地域へ抛りだされた。


 なお彼らが裸で放りだされた満州の気温は3月でも最高で氷点下で最低はマイナス20度近くにまで下がる時もあったのですぐさま凍傷で苦しみながら低体温症で死に、地獄では溶けて煮えたぎった金をひたすら延々と飲まされ苦しみ続けることになった。


 ・・・

 結局、年金福祉事業団と社会保険庁は解体されて残された比較的真面目に仕事をしていた者たちで再編成されて「消えた年金」記録の照合が行なわれある程度は照合できたが照合できない記録も2000万件近く残ってその責任をとるために厚生省官僚の天下り先は売却される財源にてられることになった。


 また当然だが年金保険料は年金給付及び年金給付に関係する経費以外には充てないということが再度明記され、年金保険料から勝手に使われていた、私的な交際費、海外旅行費、香典など冠婚葬祭の費用、職員が起こした交通事故の賠償金、社保庁職員専用のゴルフ練習場の建設やクラブの購入費、テニスコート建設費や利用費、マッサージ器購入費用、ミュージカル鑑賞やプロ野球観戦の経費などに使われた総額1兆円近い金はそれらを行った職員やその家族へ請求されることになった。


 なお俺たちも投げ売り状態の東京厚生年金会館やグリーンピアを買ったのは言うまでもないが働いている人間を全部入れ替え、施設の大改装を行って何とか元は取るつもりだ。

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