捕鯨禁止に関しての実態をテレビで放映したよ、あと高校と大学や社会にでたときの落差を緩めるように北条先輩経由で理事長に掛け合ってみたよ

 3月14日 - 日本の南極商業捕鯨終了。これまでもクジラの減少やエネルギー革命に伴う鯨油需要の激減により対象種をシロナガスクジラからナガスクジラ、さらにイワシクジラやクロミンククジラへと移していたが、昭和51年(1976年)には水産会社ごとの操業は断念されて日本共同捕鯨株式会社に統合され、昭和57年(1982年)にIWCで商業捕鯨停止が決議されると、日本もこれを受け入れて、南氷洋での商業捕鯨としての母船式捕鯨は完全停止された。


 本来は本来はクジラの保護のため10年の捕鯨禁止であったが、それがが金科玉条になって”前”では2020年代でもそれが続き、しまいにはクジラが餓死して海岸に打ち上げられるのは本末転倒極まりない。


 しかも、クジラの保護が原因でサンマ・シシャモ・ニシン・イワシ・サバなどの魚類を捕食するクジラが急激に増えたことで、90年代には漁獲量の大幅な減少に見舞われて、漁業資源の枯渇にもつながっていく。


 ヒゲクジラであっても食べるのはオキアミのたぐいだけではないのである。


 そしてアメリカなどが反捕鯨を持ち出したのは、石油や電気などの新しいエネルギーの発達や石油製品、植物油の加工技術などの発達で鯨油の照明用油や器械用潤滑油、石鹸原料、マーガリン原料としての需要が激減して捕鯨する必要がなくなってしまったこと、キリスト教では鱗のない魚は食べてはいけないのでクジラの肉は食べられなかったため鯨油以外の部分は捨てられていたことと、核廃棄物の海洋投棄問題やベトナム戦争の枯葉剤作戦隠しの意図などがあった。


 捕鯨国が伝統的文化を持ち食糧として捕鯨をしている国々は、ロシア、日本、ノルウェー、アイスランド、カナダなどが挙げられ、捕鯨反対国は、商業鯨油目的の捕鯨を行っていた元捕鯨国のオーストラリア、ニュージーランド、イギリス、フランス、スペイン、アルゼンチンやブラジルなどのキリスト教圏国で、要はクジラの肉を食べないで鯨油を取る必要もなくなったから”人道的におかしい”と難癖をつけているに過ぎないのである。


 そして環境保護団体のグリーンビーズやシーハウンドなどが捕鯨反対をしているのは、オイルフェラー財団など50の基金が、原子力発電に賛同する一方で“環境保護に関心あり”というポーズのために資金援助をしていてそういった団体の後押しをしているだけに過ぎない。


 これは後々に肉食全体を問題とする過激なヴィーガンも変わらない


 俺はそういった捕鯨禁止が行われてきた理由などとその実情をテレビで放映し、鯨油目的の捕鯨国が鯨油の需要がなくなったことが理由なのに可愛そうだからという身勝手な理屈で捕鯨をやめさせようとし、その実際の理由はアメリカやイギリス・フランスなどの核廃棄物の海洋投棄問題やベトナム戦争の枯葉剤作戦隠しのためで捕鯨をここで一切やめれば小魚が多量にクジラに食べられるようになって、かえって海の生態系を壊すことも放映した。


 さらに、捕鯨に反対する環境保護団体が実はそういった政府の裏にいる大企業からの多額の献金を受けていてその傀儡に過ぎないことも放映した。


 ・・・・


 そしてそれを知った伊邪那美は激怒した。


「そのような身勝手な理由でクジラを捕るなということを決め押し付けられたのか。

 ともかくあの者を害しようと海外からくるもの全て海に引きずり込ませるようにしろ」


「わかりました」


 今回も黄泉醜女は船幽霊やミサキを率いて日本近海を東奔西走することになった。


 そして尖閣諸島での領海侵犯を行った者たちと同じように、環境団体の船は霧に飲み込まれたあとで、乗組員たちは幽霊やミサキによって海に引きずり込まれたのであった。

 ・・・


 そうしたら環境保護団体の船が秘密裏に日本近海に近寄ってきたあと、その乗組員が何故かことごとく行方不明になったらしい。


 まあそのことは大きく報道されることはなかったのだが、環境団体には大きな痛手になったようだ。


 それはまあどうでもいいとして、日本の場合は高校まで適応できていたのに大学・短大には行けなくなるものが結構いたりする。


 これは高校に比べて大学や短大は校則とかでの規定がないため服装や授業などが自由すぎ、そもそも学校の予定が不規則でもあり、高校までは厳密に管理されていたのに、突如自主的に動くことが求められるからだ。


 そもそも日本の学校が詰め襟学ランにセーラー服という制服が取り入れられたのは明治時代後期から大正時代で、当時の国家主義的風潮と、縫製の容易さから詰襟型の上衣と軍隊式の制帽の組み合わせが取り入れられ、女子にもセーラー服を制定する学校が増加していき、戦後はそれが一般的になった。


 それが1960年代後半くらいから、ファッションデザイナーから「会社員がドブネズミと称されるような画一的な服装をするのは、中高生の多感な時期に制服を押し付けられ服飾感覚を磨く機会が奪われているからだ」という批判があったこともあり、1970年代には制帽、制服を廃止して私服を許可する私学の高校がでてきて、1980年代は私学の高校などでDCブランド制服が取り入れられていくが、これは大人の男性の服装をもっと見栄え良くこうとしていくという動きがあったことが理由で、一時期はジョジョニ・アルマーネブランドがもてはやされた。


 こういったDCブランド制服の導入には見栄えの良いかわいい制服の導入で、受験生を増やして入学試験の合格点を上げる効果があるといわれた。また、いわゆる管理教育の見直しなど校則に関する社会的な議論の高まりを背景に、それまで制服が当たり前であった公立中学・公立高校でも一部に制服を廃止し、着用義務のない標準服に移行する学校が出てきた。


 しかし”前”ではわずか数年で不満が続出して、どんどんとデザインが地味になって言った。


 まず制服の値段が高過ぎて制服にする家庭があまりないこと。

 豪奢で華美なイメージが校風に合わない、ワインレッドのような奇抜で派手な色合いが多く、通学時に目立ちすぎ、葬式などの場所に合わないことなどだ。


 結局いちばん大きかったのは値段が高すぎたことから、バブル崩壊で経済事情が苦しくなる親が続出したことで帰って敬遠されたことだが、派手で目立つタイプの制服は学生らしくないと叩かれて2000年ごろまでにはほぼ駆逐されてしった。


 そしてそれを煽ったデザイナーの方も、学校制服のデザインは、自由なデザインをする余地がほとんどなく価格も安くせざるを得なくなったのでそれを推す理由がなくなった。


 本来、学校制服のデザインは有名デザイナーが手がける類のものではないし、その後でも残っているDCブランド制服は、一般制服と値段が変わらず、紺ブレザーに紺やグレーの地味なチェックスカートばかりになってしまった。


 結局高くて学校制服として合わない制服を着させるくらいなら私服を着させたほうが良いはずだ。


「北条先輩。

 日本の場合高校までは制服で大学や短大に入ったとたんに私服になったりするけど、そういう落差で大学入学後に登校できなくなる人が多いみたいだし、高校3年生からはあまり華美だったり奇抜なものではない限り私服通学を許可しても良いと俺は思う。

 就職した場合に男は通勤でもほぼスーツだけど、女性は通勤の時は私服で、制服には会社で着替えることも多いでしょう?

 もともと日本で制服が導入されたのは特に女の子が何種類もの服を購入する必要がある私服より、一種類の制服を揃えればよい制服の方が低所得の家庭に優しいっていう理由だと思うけど、ここみたいな私学だとそういう事をする必要はあまりないと思うし」


「たしかにそうですわね」


「できれば家に学校の3年生から普段着としての和服を広めて、それをテレビで放映して追随する学校を増やしたいっていうのもあるけどね」


「それは……まあそうしたほうが普及も速いというのもわかりますわ。

 お母様とお話しをしてみますが、おそらく取り入れられると思いますわ」


 俺がそう言うと浅井さんが不安そうに言った。


「でもそれですと恩寵園のみんなは服が買えなくて困ると思います」


「恩寵園の子とかには俺がポケットマネーで服を買う費用は出すよ」


 そして浅井さんが驚いたように言った。


「え、私達に私服を買ってもらえるのですか?」


「まあ、寄付された服だけじゃやっぱり古いデザインのものとかが多いと思うからね」


 そして芦名さんと佐竹さんも言う。


「じゃあ僕たちの服も買って良い?」


「俺たちにも買ってくれるなんて太っ腹だね」


 まあ彼女たちは自分で自分の服が買える程度には金は稼いでいる気がするが、三人が嬉しそうだし、あなた達は金を稼いでるのだから、俺は金を出さないよとは言いづらいな。


 そしたら横山さんも言った。


「自分が好きな洋服を買って良いのは羨ましいなー。

 私にも買ってくれないんですか?」


「横山さんのうちはお金持ちだよね?!」


「お金があるかどうかと自分が好きな服を買えるかどうかは別ですから」


「まあ、そういう事情もあるなら横山さんの服も買うか」


 そしたら明智さんや朝倉さん、最上さんに斉藤さんも言ってきた。


「なら自分の服も買ってほしいっす」


「私にも買ってほしいですよ?」


「なら私もー」


「それなら私にも買ってくれるわよね?」


 そして北条先輩も言ったのであった。


「なら私にも買ってほしいですわ!」


「いや会長は……」


「みなさんは良くて私はだめなのですか?」


「ア、イイエ、センパイノフクモトウゼンカイマスヨ」


 まあ北条先輩の仕事ぶりを考えれば服を買うくらいは安いものだ。


 そして足利さんなども期待の眼差しで俺を見ている。


 これは女性陣みんなの分を買わないとダメそうだな


「ああ、それじゃあ一人10万円までで、みんなの服とか靴とかを買うことにしようか。

 ちなみに三好くんは?」


「俺は別に服はいらないですよ。

 10万円あるならスペロボ関係のものを買いたいですけど」


 そう言われて俺は流石に苦笑せざるを得ない。


「そういうのはゲーム制作の資料として経費で請求するか、完全な私物は自分のお金で買ってくれるかな」


 三好くんは苦笑していった。


「まあ、そうですよね」


 ちなみに女性陣お買い物のために俺はららぽーとでの服の買い物に付き合った結果、以前に水着を買う時以上にあれこれと店を見て回ったり、価格やデザインを比べたりした結果、土日の二日間の自由時間がまるまる潰れたよ。


 北条先輩の服を買うくらいなら安いとか思っていた俺をぶん殴ってやりたいが、まあみんなが楽しそうだから良いか。


 洋の東西を問わずカップルや夫婦での買い物に関して男側が明らかに場違いでもそこで耐えなくてはならないし、男性はなぜ女性は買い物にこんなに時間をかけられるのだろう?と思っても女性はそれが楽しいからとしか答えられない。


 厳密に言うならば男性は商品にスペックを求め、女性は唯一自分にあうものを求める上に、買う段階でのスタッフとのおしゃべりを楽しんだりするが、女性は右脳と左脳が頻繁に連携するが男性は右脳での判断が中心となったりする。


 これは育児を主に担当してきた女性と狩猟を担当してきた男性、もしくは子供のために人生の最良のパートナーを求める女性とまずは目の前の女性からのベストを選びたいだけの男性の違いだからどうしようもないのだが。


 三好くんは買い物に付き合うこともなかったから彼のほうが賢かったとも言える。


 ちなみに車に対しては男性の方がデザイン性や乗り心地を重視して、女性の方が乗れる人数や載せられる荷物の多さを選んだりもするが、身につける衣服やアクセサリー、部屋に飾るインテリアや雑貨などと違って必要な時に必要なだけ使えれば良い乗り物に対する経済性という感性というのは衣服などと正反対なのは面白いと思う。


 男はロマンを感じるものに対しては無駄な金をつぎ込めるのだよな。

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