男女平等社会における子供を社会で育て支えるという考え方の行き着く所は……1920年代のソ連だ

 さて、日三自動車の経営状態が俺たちの予想以上に悪かったことや、その会長や社長に対する反発が強かったことで予想以上に早く買収が出来たのは良いことだが、経営再建については頭が痛い。


 とは言え国内の生産工場を韓国へ移転される前とかに買収できたのは良いことだ。


 それだけでも何万という雇用を確保し続けることができるはずだからな。


 結局の所、少子化をふせぐためには雇用とそれによる収入が安定している事による安心感が必要だ。


 そうではなく子供の育児などを政府が管理しようとするとどうなるか。


 その答えの一つがレーニン時代のソ連だ。


 事実婚やシングルマザー、フリーセックスの容認などといえばフランス・イタリアなどのラテン系西洋国家のものというイメージが強いが、ソ連では1920年代には既に行きつく所まで行っていたのである。


 レーニンが定めた家族法は実際には家族解体法とでも言うべきもので、子どもは、これからは親ではなく国家や社会が面倒をみるのだとした。


 レーニンはマルクスやエンゲルスが提唱した一夫一妻制による家庭という牢獄から彼女達を開放するためにと、家事や育児から女性を「解放」し、子供を「国家」が育てるという「一夫一妻解体政策」を行った。


 一見すると俺は女性にとって素晴らしいことのように思えるだろうが実際に賛成したのは男性だった。


 当時のソ連ではキリスト教的な神に対して誓いをたてる宗教的な結婚の儀式は意味をなさないと考えられていて、そのかわりに登記所が設置され、カップルはそこで記録するだけで、結婚や離婚を簡単に成立させることができた。


 子供を育てるのに、親がお金を出す必要がなくなり、食事なども共同の食堂でとるようになった。


 躾や教育もすべて公共の学校で行われるようになった。


 一見素晴らしいように見えるがそれによりソ連では親子関係が見事なまでに崩壊し、家庭での躾も宗教的な道徳教育も行われなくなった結果、モラルを持たない者が激増した。


 子供が、自分を育てるのに「お金を出していない」「食事も作らない」と育児で苦労していない両親を、まったく尊敬も、感謝もしなくなってしまったことで、親の愛情を知らないまま育った子供は非行に走った。


 好きな時に好きな相手と結婚すれば良いという社会においては、男に捨てられる女や孤児たちが続出し、子供に対する無責任なセックス観が、強姦事件を多発させていた。


 たしかに女性は家庭内にける結婚の重労働から解放されたように見えたが、保育園のような場所での育児は結局女性が担当したため自分の子供でないもの家事を、世話をしなければならなかったため、工場で働きに出た女性のほうが、むしろ自由だったとすらなった。


 それにより起こったのは堕胎と離婚の急増、出生率の急減による少子化、婦女暴行など少年犯罪の激増、数百万もの孤児の発生などで、ソ連の国家社会そのものが揺らいだことでレーニンの死後にスターリンはこの家族法を1936年に廃止した。


 国家が面倒を見るとした場合にどうなるかということはとっくの昔に結果が出ていたのだ。


 女性が社会に出て働くための保育施設などという政策はそういった所で育てられた子供のモラルを希薄にして結婚自体に忌避感を強くするだけだ。


 もともと人口が多い日本では人手不足ではないのだから、無理に女性の社会進出などを行わせてもメリットはないし、女性の高学歴化を喜ぶような風潮もやめさせるべきだろう。


 もっとも儒教的な年長者優遇、男性優遇も正していくべきだとは思うが。


 いくら理想として理念的に素晴らしいことだとしてもそれが現実に即していなければ、害にしかならないのだ。

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