日三の復活にはどうすればいいか考えるか、今年の冬の地震に備えて震度計も設置させないとな、オームの教祖の経歴を晒したらとうとう潰れたみたいだ

 さて、日三自動車が買い取れたのは良いが、きちんとしたマーケティングもせずにアメリカが駄目ならヨーロッパだと新たに市場を開拓しようとして、ドイツ車などに全く刃が立たずに赤字だけ増やし続けていたようだから、現状大きく傾いている経営を立て直すのは大変だと思う。


 だが、10年前の昭和51年(1976年)における日三の国内シェアは31%あって、このころの豊畑のシェアが37.7%だったから、そこまで引き離されていなかったのも事実だ。


 しかしオイルショックで海外への輸出が増えた時に、豊畑は国内を大切にしたが日三は海外を優先してしまった。


 それもあって、豊畑のシェアは、1980年代中盤まで40%前後で推移し、2006年頃からは45%を上回り59%近くまで達するようになった。


 逆に日三は1980年代中盤には25%、1990年代前半には20%を切るようになり、その後もどんどんシェアを落とし、2020年代にはハンダやスズケにすら追い抜かれて10%前後をウロウロするところまで落ちてしまった。


 これには主力となる自動車の車種がセダンからミニバンやランクルに移り変わったことも大きく、日三はその対処が遅れたのもあるし、豊畑が一にユーザー、二にディーラー、三にメーカーという考え方で成り立っていたりするのも大きい。


 要はユーザーやディーラーの声を豊畑はちゃんと反映させていたが、日三はそうでなかったということでもある。


 特に2000年以降は豊畑を除いたメーカーの販売直営化が進んだことで、販売会社のメーカーに対する発言力も急速に弱まり、メーカーのやりたい放題になってしまったのだな。


 ただし豊畑もセダンが得意で、実用重視の乗用車は不得意だったが、自社商品よりも好調に売れている車が他社から売られるとそれを研究して、必ず似通った後追い商品の販売を行って販売合戦に勝利したというのもある。


 そして2008年のリーマンショックは様々な業界に大きな打撃を与えたが、これは自動車業界でも同じで車内の広いコンパクトカー、軽自動車、乗り心地の良いSUVなどに主力車種は移った。


 これからは男性向けの娯楽性が高い車と女性向けの実用性が高い車を別々に考えていく必要があるな。


 それはともかく、そろそろ今年の12月に銚子などで大きな被害が出る地震対策もしなくては。


 とおもったら北条先輩からちょうど報告があった。


「銚子の犬吠オーシャンランドの大改装と温泉旅館の建設が終わりましたわ。

 鴨川オーシャンワールドのようなイルカショーを行う施設や室内温水プール、船で海に出てイルカやクジラウォッチングをできるようにしたことなどを、現在宣伝をしておりますが、若い女性を中心にそれなりに集客はおこなえているようですね」


「ああ、そりゃ良かった。

 ちなみに地震対策も大丈夫だよな?」


「それは当然です」


 現在ではまだ計測震度計が設置されていないのだがこれは計測震度計の開発が平成3年(1991年)だからで、日本の地震の震度の観測と発表は、気象庁で明治17年(1884年)以来100年以上にわたってすべて職員の体感で行われていたから実際にはずれがあったりもするのだ。


 一応地震計自体は色々な種類があって日本各地に設置されているけど。


 平成8年(1996年)4月から全て震度計による観測に切り替え、体感観測を廃止したのだが、実際に今年の千葉県東方沖地震でも最大震度5とされているが、被害状況から震度6弱以上の揺れを観測していた可能性が高い。


 東北地方から千葉にかけては過去に大きな地震が何度も発生していて慶長9年(1605年)の慶長地震、延宝5年(1677年)の延宝房総沖地震、明治42年(1909年)の房総沖地震、昭和28年(1953年)房総沖地震などがあり大きな津波による被害の記録が残っている。


 千葉県東方沖地震では津波は発生しなかったはずではあるが、それでも死者2名、重傷26名、軽症118名、建物全壊16棟、半壊102棟、一部破損6万3692棟、火災3棟は小さくはない。


 そして死者2名はブロック塀の下敷きになって死んでいる。


 今更だけど大きな地震が派生した時に家屋そのもの本棚、タンス、冷蔵庫などの家具の転倒、ブロック塀や石灯籠、自動販売機の転倒、屋根瓦や看板なんかの落下とそれらの下敷きになる危険性の周知をするためにテレビで昭和57年(1982年)に北海道で起き震度6(烈震)を記録した浦河沖地震とその被害で実際にブロック塀や自動販売機がバタバタと倒れ、電柱や煙突が傾いて電線が切れ、窓ガラスが割れて、地面に散乱したことをその映像記録とともに紹介し、常日頃からの飲料水や保存食の備蓄や、非常持ち出しバックの用意などの重要性なども説いた。


 非常持ち出しバックは、1人ひとつを用意し、年齢、性別、健康状態などによって必要な物が変わるが、成人男性用、成人女性用、子供用、高齢者用などの、防災リュックは1人ひとつずつ用意すべきで、500mlのペットボトルを何本かと、缶詰や乾パンやビスケットなどなど保存がきいてそのまま食べられるものやチョコレート、キャンディ、インスタントコーヒーなどかさばらない心が落ち着く嗜好品、ヘルメットもしくは防災ずきんなどの頭を守るもの、瓦礫を片付ける時に必要なマスクとゴーグルに軍手、何かの下敷きになったときなどに居場所を知らせるための笛、懐中電灯とラジオ、替えの下着や靴下、レインコートなどの雨具、缶切りなどがセットになった十徳ナイフ、ガムテープ、手帳やノートと筆記用具、公衆電話用に10円玉、100円玉などの小銭やテレフォンカード、胃腸薬、風邪薬、頭痛薬、軟膏、ばんそうこうなどの医薬品、常用している薬があるならそれも持ち出せるようにしておくこと、使い捨てカイロ、タオル、ゴミ袋、裁縫キット。


 またそういった非常時に使えるカセットコンロとガスボンベもあると便利であること。


 更に女性の場合は生理用品、髪留めのゴム、鏡、ストールなど。


 乳幼児がいる場合はミルク、哺乳瓶、離乳食、おむつ、おしりふき、おんぶ紐、好きなお菓子、小さな絵本、トランプなど子供が遊べる玩具なども必要なことを伝え後日テレビショッピングで販売することも伝えた。


 さらに明治42年(1909年)の房総沖地震に昭和28年(1953年)房総沖地震を例に千葉県でも50年に一度くらいの間隔で大きな地震が起きていることも放映し、地震発生に対する注意を呼びかけた。


 市原とか利根川の周囲での液状化、道路の陥没、400箇所以上の崖崩れも起こって冬のさなかの12月に電気・水道・ガスなどが一ヶ月近く止まった場所もあったはずだから割とシャレにならないはずだ。


 こういったことを行っても実際に地震被害を受けるまでは何もしない奴も多いだろうし、逆にΩのような宗教団体に終末思想を広められても困るのだけど。


 今年の7月には「Ω神仙の会」が、宗教団体「Ω真理教」になり信者に対して多額の献金を要求するようになり、ワークも増えトラブルも増えるはずなので本格的に問題を追及できるかな。


 今までは色物ではあっても金銭トラブルなども少ないさほど危険性がない新興宗教であると考えられていたのだけど1989年の2月には信者殺害事件、同年の11月4日には弁護士一家殺害事件を起こすしそろそろマジで潰さないとな。


 Ωの教祖は昭和51年(1976年)には傷害事件を起こして罰金刑を受け、昭和53年(1978年)千葉県船橋市内で薬局を開業したが、昭和55年(1980年)に保険料の不正請求が発覚して670万円の返還請求を受け薬局を閉鎖。


 しかし懲りずに昭和56年(1981年)再び薬局を始めるが、昭和57年(1982年)薬事法違反容疑で逮捕されて罰金20万円を科されている。


 そしてまた教祖や教団幹部の森は朝鮮系在日二世で、彼らの父親は朝鮮から日本に渡ってきた人物だったことにも言及した。


 まあ、こういった連中がもともと船橋を拠点にしていたのも、朝鮮関係の影響力が強い地域だったのもあるんだろうな。


 ”前”では教祖は北朝鮮やソ連を何度も訪れていたりし、そもそもサリンを作ったり、ソ連の軍用転換可能なMi-17ヘリコプターを輸入したりなどは、ただのカルト教団に簡単にできることではなく、マスコミがやたらと持ち上げたことも含めて、一連の事件には北朝鮮が関与していたことを思わせる事実がいくつも確認されていたりする。


 そんな男がダライ・ラマ14世に接見し”ねえ君、今の日本の仏教を見てみたまえ。あまりにも儀式化してしまって、仏教本来の姿を見失ってしまっているじゃないか。これじゃあいけないよ。このままじゃ、日本に仏教はなくなっちゃうよ、君が本当の宗教を広めなさい。君ならそれができる。あなたはボーディ・チッタを持っているのだから”と教祖に告げたとして広報宣伝活動に大いに活用し、シバ神とコンタクトを取ることのできるグルであると称しているが、チベット亡命政府に確認してそれは嘘であり今後は教祖と関係を持たないように進言しており、それらは嘘であると言うことも告げた。

 ・・・

 そしてそれを知ったΩの教祖や幹部は信者を利用して前田健二を害しようとしたが、彼らは黄泉醜女に足を掴まれて冥界に引きずり込まれ、舌を閻魔に引っこ抜かれた後、インドの山奥で修行しろとインド北部のパキスタン国境に近い地域へ投げ出された。


 なおインドにおいては日本人というかヒンズー系教徒でない外国人はすべて汚れた不可触賤民扱いであって、当然ながら彼らは悲惨な目にあうことになり、再び日本の土を踏むことはできなかった。

 ・・・


 どうやら放送の反応の成果なのかΩの教祖や主要幹部は雲隠れし、教団は解散することになったようだ。


 これでサリン事件やその他の殺人などもおそらく起きなくなるだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る