貿易摩擦は今に始まったわけではないがソ連崩壊でアメリカの対応は大きく変わる、そしてお客様は神様ではない
さて、日本における戦後復興期の50年代からから80年代前半くらいまでの輸出力、国際競争力はアメリカからの技術供与とアメリカ国内の市場開放の恩恵で生み出されていたに過ぎない。
実際に日米貿易摩擦の歴史をたどっていけば60年代ごろは繊維製品、70年代は鉄鋼と家電、特にカラーテレビ、80年代前半は自動車、80年代後半は半導体と輸出が拡大してはアメリカへの輸出が拡大された。
昭和30年(1955年)におきた
これは昭和25年(1950年)から昭和27年(1952年)までの3年間は朝鮮戦争特需があったが、朝鮮戦争が終わったことで特需も失われ、巨額の輸入超過による赤字幅が拡大したことの対策として、米国向け綿製品の輸出を開始したことが始まりで日本から輸入されたブラウスはアメリカの小売店で99セントという低価格で販売され売れ行きが急増し、米国で製造された綿ブラウスの販売シェアが脅かされると危惧したことから始まった。
これに対して米国の縫製業者や綿織物工場、綿紡績業者、それに綿花を栽培する農業団体からも非難の声が上がり、特に綿花作付面積の大きい南部のサウスカロライナ州とアラバマ州政府は日本製品への差別的な州法を通過させ、昭和31年(1956年)の大統領選挙で日本製綿製品の輸入制限を大統領選挙の公約とすることを共和党や民主党に呼びかけるなど激しい反対運動を展開した。
実際には米国の繊維業界において、日本製品のシェアは2%に過ぎなかったが、日本が非難された裏には米大統領が繊維の輸入規制実現を公約に当選し、また繊維規制と引き換えに沖縄返還交渉が行わるという政治的意味合いが強かった。
しかし、もともとそういった技術はアメリカから与えられ、アメリカは日本を下請けとして使う気であったわけだ。
工業生産のデジタル化が進む前のものづくりの民族性ジョークでは、
ますドイツ人が発明し、アメリカ人が製品化。
イギリス人がそれに投資し、フランス人がデザイン改良。
イタリア人が派手に宣伝して、日本人が小型化もしくは高性能化、低価格化に成功。
中国人が粗悪な海賊版を作り、韓国人が製品の起源を主張する、というものがある。
80年代までの日本の輸出に関していえばアメリカの技術供与と市場開放の恩恵で生み出されていたに過ぎず、それは朝鮮戦争やベトナム戦争特需などの冷戦の恩恵でもあった。
それはともかく日米の貿易摩擦はアメリカから与えられた技術で、小型化もしくは高性能化、低価格化に成功してアメリカの市場を脅かして非難されるということを日本は何度も繰り返して、日本は昭和31年(1956年)に綿製品を、昭和44年(1969)に鉄鋼製品を、昭和47年(1972年)に繊維製品全体を、昭和52年(1977年)にはカラーテレビの輸出自主規制を、昭和56年(1981年)には自動車の対米輸出自主規制を開始し、アメリカの求めに応じて日本の方から自主的に輸出の数量を減らすことで、いちおう貿易摩擦は決着してきた。
しかし、日本からのアメリカへの輸出量はそれでも大きく、ソ連崩壊がほぼ確実となって冷戦終結とともにアメリカは日本を脅威と捉えるようになった。
昭和61年(1986年)には日米半導体協定が結ばれ、”前”では平成元年(1989年)から平成2年(1990年)にかけて日米構造協議が行われ、公共事業の拡大、具体的には10年間では630兆円を計上させられ、運輸省がこれ以上の地方空港は不要とする航空会社の意見を無視して、国内に飛行場を乱立させたが一向に採算が取れなかったりしている。
また土地税制の見直しや大店法の規制緩和、株式の持ち合いの規制、独占禁止法の運用を強化、企業間の談合や系列取引といった排他的取引慣行を見直し、内外価格差の是正などを迫られ日本政府はそれを飲んだ。
平成11年(1999年)にはコメが輸入自由化されたが、輸入は増えなかった。
バブル崩壊後に公共事業を行っても景気が回復しなかったという理由の一つはリゾート法の成立による需要無視にリゾート施設の地方自治体や第三セクター運営の施設の明らかな過剰だが、日米構造協議による公共事業の拡大の約束もそれに輪をかけて酷い状況を作り出した。
まず予算消化が優先のため施設や建造物の整備そのものが目的になり、本来はそれが優先されるべき「それを何に利用するか」や「どのように活用するか」「施設には有用な需要があるか」などが十分に検討されないまま事業を進めた結果、維持管理のための費用負担が財政に悪影響を及ぼす非効率で無駄な事業となる事例がたくさん発生した。
その一方で民間企業は国際競争力の維持を旗印に、人件費のカットに邁進したことで内需の消費意欲をどんどん低下させていった。
要するに国や自治体は無駄に施設を作ったが企業がカネを払わなくなったために施設が利用されなくなればまともに収益が出るわけがないのだ。
そして同時にたいしたお金を払わないのに従業員に過剰にサービスを要求する客と経営者が増えた。
これは顧客第一のためクレームにどこまでもとことん付き合い、それを解決することが、顧客を獲得する機会となり、収益を上げる要因となると考えられていたからだ。
”お客様は神様です”じゃないのかという客と”お客様は神様です”と思って対応しろという経営者が増えた。
そこで何が起こったかと言えば、目の前の売上が欲しくて理不尽な要求を飲むことで儲けが出ない案件に深夜まで残業をして対処したりして、生産性が極限まで低下していき、優良顧客に使える時間がどんどんなくなっていきそういった顧客を逃がすということになる。
だから理不尽な要求をしてくる一部の顧客やクレーマーは切り捨ててしまっていいのだ。
まあうちの場合は基本的にゲームハード・ゲームソフトのどちらも自社開発なので途中で仕様変更しても納期も伸ばさず費用も追加しないとかの問題はない。
基本的にそれをやって苦しむのは自分たちだ。
それによそに投げる場合でもアニメにせよゲームにせよバカみたいに安い値段や短い納期で作るようにしてはいないので大丈夫だとは思うけど。
まあそのためには、取引先を分散しておき一つだけに偏らせないということも必要だけどな。
日本の場合大企業になると客に買わせてやっている、利用させてやっているという思考に陥りやすいが、従業員の立場が弱いとクレーマーも増える。
しかし、高く売りつける押し売りも安く買い付けようとする押し買いも、需給関係から逸脱してはいけない。
商売というのは基本的に商品・サービスをお金と交換する等価交換行為に過ぎないのだから、金は払ったのだからとその価格以上の価値を求め、理不尽なクレームを言う相手は取引相手として成り立たない。
たとえば小型の冷蔵庫を買える金額しか出さないのに大型冷蔵庫を何故持ってこないというようなのは明らかに理不尽ということだ。
とは言え売り手は原価や人件費がかかっているのだから高くなるのは当然という態度を取り続けるのも問題で、結局中古に流れてからしか買えない人もいるのも事実だし、パソコンゲームはその高さ故にどんどん売れなくなっていったのも事実だ。
売り手側が作るのにどれくらい費用かかったかを説明した所でそれを買った顧客がそれ相応と思えるほど楽しめなければどんどん買われなくなっていくのだからそのあたりは難しいよな。
ともかく俺はテレビでお客様は神様ではなく、従業員は奴隷ではない、同様に経営者は神様ではなく従業員は奴隷ではなく、お互いに対等な立場で話し合うべきということを伝えた。
暴言、説教、威嚇、土下座の強要など、客からの悪質なクレームや迷惑行為である “カスタマーハラスメント”などをするやつは客でないから警察を呼べばいいということもいった。
これで以前よりは理不尽なクレーマーが減るといいのだが。
(なおこの放送に対してのカスタマーハラスメントクレーマーはいつもどおり黄泉醜女さん達が対応してカスハラクレーマーは地獄でひどい目に会いました)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます