アカヒ新聞東京本社攻撃事件が起こって、統合教会が何故か壊滅したよ

 さて、まだまだ事件は続く。1987年1月24日午後9時頃、元アカヒ新聞東京本社の二階の窓ガラスに散弾が二発撃ち込まれたのだ。


 そしてその後、「日本民族独立義勇軍 別動 赤報隊 一同」を名乗って犯行声明が出された。


 その内容は


 我々は日本人である。

 日本に産まれ 日本に住み 日本の自然風土を母とし日本の伝統を父としてきた。

 我々の先祖は 皆そうであった。

 我々も 我々の後輩も そうでなければならない。

 ところが 戦後四十一年間 この日本が否定され続けてきた。

 占領軍政以来 日本人が日本の文化伝統を破壊する悪しき風潮が、世の隅隅にまで行き渡っている。

 およそ人一人殺せば死刑となる。

 まして日本民族全体を滅亡させようとする者に 如何なる大罰を与えるべきか。

 極刑以外にない。

 我々は日本国内外に蠢く反日分子を処刑するために結成された実行部隊である。

 一月二十四日のアカヒ新聞社への行動はその一歩である。

 これまで反日思想を育成してきたマスコミには厳罰を加えなければならない。

 特に アカヒは悪質である。

 彼らを助ける者も同罪である。

 以後我々の最後の一人が死ぬまで この活動は続くであろう。

 日本人のある限り 我々は日本の何処にでもいる。

 全国の同志は 我々の後に続き 内外の反日分子を一掃せよ。


 というものだ。


 そこでは自分たちを「日本国内外にうごめく反日分子を処刑するために結成された実行部隊」とし、さらに「反日世論を育成してきたマスコミには厳罰を加えなければならない」「一月二十四日のアカヒ新聞社への行動はその一歩である」「特にアカヒは悪質である」とアカヒ新聞に激しい敵意、恨みを示し、マスコミを標的としたテロの継続を示唆する内容だった。


 ここで問題なのは既にアカヒは潰れているということだったりすることなのだが、アカヒ新聞はライジングサンタイムスとなっているのでそのまま続けていると勘違いしたか? ということでもあるのだが。


 後々に総理であった大曽根康弘氏に対して靖国神社参拝で日本人を裏切ったと言っているのは、マスコミ圧力で参拝をやめたことを言っているのかもしれないが。


 ここで怪しいとされるのが統合教会とその組織である国際勝共産連合だ。


 この前の昭和58年(1983年)10月1日に全世界日報事件という事件が起きている。


 当時の編集局長らによる、統合教会色を薄め一般紙を志向する路線を会社の乗っ取りであると反発した「国際勝共産連合」理事長ら約百人が、全世界日報社事務所に押しかけて社内を占拠し、社員を監禁・暴行し、この事件で追放された元編集局長らは連名で「これが『統合教会』の秘部だ―全世界日報事件で『追放』された側の告発」という手記を発表。


 統合教会の思想が“いずれ世界は統合教会により統合される、そしてその中心は世界の王たる教祖である”とする韓国中心主義である事、霊感商法のマニュアルや資金の流れなどを暴露し、統合教会日本支部長が“天皇の代理”として教祖に拝礼する秘密儀式があるという内容に、国際勝共産連合を反共の同志と考えていた民族派や右翼が激怒し反発した。


 さらに同誌発売直前の昭和59年(1984年)6月2日、に元編集長は、帰宅途中の路上で暴漢に韓国の空手を使ったような、技で全身をメッタ刺しにされ、危うく命を失いかけるほどの重傷を負った。


 これについての犯人は捕まらず事件は時効を迎えている。


 そしてアカヒは週刊誌のアカヒジャーナルで統合教会の霊感商法やインチキ募金、合同結婚式などで批判キャンペーンを行っていて、統合教会はそれに反発していた。


 さらにその記事を担当していた記者が5月3日夜に散弾銃で撃ち殺されている。


 そしてその後、アカヒ新聞と統合教会の幹部同士が会食し、アカヒジャーナルを廃刊してもいる。


 実際に統合教会の教祖の発言ともみればもっとわかりやすくなるだろう。


 1985年4月 アカヒジャーナルが統合教会の原理運動批判記事掲載時、アカヒ新聞東京本社に1週間で4万6000本の抗議電話がかかり回線がパンク


 1986年12月5日号にてアカヒジャーナルが霊感商法追及キャンペーンを開始。アカヒ新聞の藤森研編集委員(53)の自宅に嫌がらせ電話が1日百数十回


 1987年、訪問販売法の改正を求める決議により不可能になった。

 1987年1月24日 アカヒ新聞東京本社銃撃事件

 1987年4月17日 教祖がアカヒ新聞の合同結婚式ネガティブ報道に激怒の説教

 1987年4月18日 教祖がアカヒ新聞の霊感商法ネガティブ報道に激怒の説教

 1987年5月3日 アカヒ新聞阪神支局襲撃事件により記者が死亡

 1987年5月5日 アカヒ新聞東京本社に「統合教会の悪口をいう奴は皆殺しだ」という脅迫状が届く

 1987年5月30日 教祖がアカヒ新聞を攻撃しろと幹部に指示したと説教

 1987年9月24日 アカヒ新聞名古屋本社社員寮襲撃事件


 ここで1987年の第11回統一地方選挙に国際勝共産連合と統合教会は、日本の金で60億円以上使い、左翼政党の新人を応援し、自由民権党が敗北し、日本社会主義化党や日本共産主義化党が躍進した。


 田中派が分裂することになったのもそのせいだな。


 で、国際勝共産連合には笹川良次と児島誉士が深く関係していて、特に児島誉士などはその手の暴力行為には手慣れているからな。


 俺は北条先輩に話をし、ざっと現状のアカヒ、統合教会と国際勝共産連合と右翼団体の関係を説明した。


「というわけで元アカヒの統合教会に対する批判キャンペーンをしている記者が狙いかもしれないから、大阪の警備を厳重にしてほしい」


「なるほど、右翼からはアカヒの内ゲバ、左翼からは右翼過激派の犯行と印象をつけて争わせ、実際にはそれらの記事を出せなくさせるということですか」


「多分だけどね」


 ・・・

 冥界で伊邪那美は激怒した。


「糞共は38度線へ皆放り投げてこい!」


 命じられた黄泉醜女は苦笑。


「またですか」


 まあ彼女たちは淡々と言われたことを処理するだけであったが。

 ・・・


 その結果、何故か統合教会信者や国際勝共産連合の会員はほとんど日本からいなくなり、笹川良次が競艇の会長をやめて、寄付を大量に行っている俺に会長としての権利を渡すということになった。


 同じように社会に貢献しようとする姿勢は素晴らしいと彼はテレビで言っていたが顔がめちゃくちゃ引きつっていたけどな。

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