今年は1月から色々ありすぎだな、ともかく共産国家の多くが独裁で庶民は苦しんでいる現状をテレビで流したよ

 さて、昭和62年(1987年)1月20日、錆だらけの老朽化した50tの小型船ズ・ドン号が福井新港沖を漂流しているのが発見され、海上保安庁によって福井県敦賀市にある敦賀港に曳航された。


 ズ・ドン号には朝鮮人医師の一族11名が乗船していた。


 当初日本政府は北朝鮮に強制送還しようとしたが、彼らは「あのような国には戻りたくない、南の暖かい国で自由に生きたい」と亡命の意思表示をした。


 この時期は、まだ北朝鮮は共産主義による平等で豊かな生活を送れる地上の楽園と左翼マスコミや左翼政党は主張し、社会全体に蔓延していた。


 実際には独裁体制国家であって庶民の多くは悲惨な生活を送っているのだが。


 このころ韓国は昭和34年(1959年)12月4日の韓国領事館三等書記官などにより企てられた新潟県での暗殺・爆破テロ未遂事件の新潟日赤センター爆破未遂事件が覚えられていたこと、今年昭和62年(1987年)1月14日に民主化要求デモで拘束したソウル大学学生が治安本部の取り調べ中に拷問により死亡したことなどもあって、貧しいテロ国家と認識されていたため、北朝鮮への漠然とした好感を持つ人も少なくなかった。


 そもそもアメリカに対してもアメリカのホームドラマの影響で日本人の多くが、アメリカ人は皆が豊かで大きな家で暮らして、ホームパーティーをしていると思い込まされていたが、実際にはアメリカにはスラムも多く貧富の差は拡大しているところでもあった。


 そういったこともあって、一部マスコミは一家を韓国の工作員で韓国の謀略であるとし、日本の国民感情は北よりも南に対してのほうが悪かった。


 とは言え、北朝鮮による日本人拉致問題が完全に広まったこともあって、特に北陸や東北・山陰・北海道の日本海側の各都道府県などでは北朝鮮に対する不信感は非常に強まっていたが。


 これにより北朝鮮と韓国の関係者が敦賀港に押しかけ、南北朝鮮の対立が港の界隈に持ち込まれる事態となり、一時敦賀港周辺は騒然とした。


 結局、日本政府は彼らの意思の確認をおこなった後、北朝鮮でも韓国でもない第三国へ移送することを決定し、受け入れ国の打診など、国際法に基づく手続きを踏んだ。


 その結果、台湾当局が11名の一時受け入れを条件付で認めたことで彼らは日本から出国し台湾へと向かった。


 しかし、一族は日本から出国してすぐに韓国に移送されて、韓国における新しい生活を始めたことで韓国側の謀略であったという可能性も捨てきれず、日本の政府当局は、予想以上に早く一族が韓国に向かったことに衝撃を受けた。


 ちなみにこの頃の北朝鮮が困窮していた原因は1956年から始まったスターリン批判、そして同年に発生したハンガリー動乱により、1960年代には中ソの対立が決定的となったことで、北朝鮮は中国寄りの立場を取っていたことでソ連からの北朝鮮に対する援助が減少して資材や資金不足が目立つようになっていたが、中国の大躍進政策同様に北朝鮮の千里馬チョンリマも物質的な報酬を最小限に抑えた状況下で最大限の労働力を引き出すことを目的とした大衆動員型の運動であって実質失敗したことなどが大きい。


 千里馬運動は中ソの関係悪化が進むなかで、北朝鮮は地理的にも民族的にも近い中国との結びつきを強めたがために自主路線を強化する必要性に迫られたことが開始の大きな原因であった。


 当時は民族意識が高揚し、大衆動員も比較的容易であり、5カ年計画は1年繰り上げて1960年に達成されたと発表された。


 しかし大衆動員による無理な増産運動は生産現場のひずみを生み、何よりも北朝鮮では千里馬運動は、思想宣伝活動によって大衆の意欲を高めることに重点を置き、実質的な報酬を分配しなかったうえに、生産にシフトし過ぎて、製品を消費する市場の形成を怠り、生産が鉱業や鉄などの素材に偏ったため、消費者の購買意欲をあまり産まなかった、消費者を無視した大量計画生産であったため、商品の質が悪く、国際競争力がなく在庫が増えるのみだったなど大失敗だった。


 農業についても青山里チョンサンリ方式という農業政策が、現実離れしたノルマ、農学無視から生じた連作障害や狭い間隔での種まきなどによる収穫量の大幅な低下、山林荒廃による水害頻発などの弊害により大失敗に終わっている。


 なお昭和34年(1959年)12月からは、日本からの在日朝鮮人の帰還事業が開始され日本のマスコミや左翼政党はこれを強力にバックアップした。


 そして在日朝鮮人が帰国する際に持参する物資や、帰国者に対して日本の親族から送られる現金や物資、そして技術は、北朝鮮にとって大きな支えの一つとなった。


 日本の親族から送られる現金の多くはパチンコや焼き肉、闇金などで得た金だったのだが。


 さらに文化大革命で、紅衛兵が金日成のことを批判したことがきっかけとなり、中朝関係も悪化した。


 その結果、北朝鮮は独裁国家となっていった。


 同じようなことはルーマニアでも起きている。


 この頃のハンガリーやル-マニアは西側諸国と東側諸国との交流地点となっていた。


 実際はワルシャワ条約機構に対して楔を打ち込みたい西側諸国がそれらの国への資金援助をしているせいでもあったのだが、共産主義国家の多くが平等で豊かな生活ではなく、多くの国の上層部は豊かな生活をしているが、庶民は困窮しているのが実情だ。


 俺はテレビでそれらを放映することにした。


 昭和34年(1959年)12月4日の新潟日赤センター爆破未遂事件と昭和58年(1983年)10月9日「ラングーン爆破テロ事件」もしくは「アウンサン廟爆破事件」の両方を取り上げた上で、どちらの国も工作員を使っての暗殺や爆破テロを引き起こしていること、北朝鮮の現状はひどい独裁で地上の楽園などではないこと。


 それは東欧諸国でも同様であり、80年代には東ドイツから西ドイツへ逃げようとした人はおよそ6万人以上いてもはや東ドイツでも共産主義は崩壊寸前であるとみられ、1989年までにはベルリンの壁も崩壊することを予想して見せた。


 こうして日本国内の共産主義国家では誰でも平等に豊かになれるという幻想は俺がぶち殺した。


 日本社会主義化党や日本共産主義化党は共産主義国の政党とは違うと言い訳していたが、彼らの政党に国外の手が伸びていたことはバレバレになったわけだ。

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