これ以後衰退するばかりになる和服業界などもなんとかしたい、明日は北条先輩にしごかれることになりそう
さて、正装礼服の和装である紋付き羽織袴で思い出したが、和服業界は既にやばい兆しが出ていて”前”では恐ろしいほどの市場の縮小に見舞われる、
昭和50年(1975年)には2兆円に達した着物市場だが、その後は右肩下がりで、昭和57年(1982年)には1兆7240億円、昭和61年(1986年)1兆5000億円を切ってしまっている。
たった10年で5000億円の市場縮小というのはかなりやばい。
さらに”前”ではバブル期の平成4年(1992年)くらいまでは多少持ち直したが、その後はまたもや右肩下がりで平成22年(2010年)には3000億円、平成29年(2017年)には2880億円程度まで縮小してしまって、六分の一ほどにまで市場はしぼんでしまった。
理由は色々ある。
もともと1960年代から1970年代くらいまではまだ男女ともに和服を普段着とする人もそれなりに多かったが、多くの職場の仕事服はスーツが普通になり、そのころのミシンの普及と洋服生地が入手しやすくなったりしたことなどにもより、普段着においても洋裁が主流となり安価で動きやすく洗濯も楽な洋服に取って代わられていった。
日本家屋に住む家庭婦人には活動的な洋服は必要なかったが、階段がある洋風な家に住んで会社に出社して働いてというのには着物は合わないというのもあった。
女性の社会進出とともに洋服の簡便性と経済性が和服に勝つという大正時代の予言通りになっていたりもする。
昭和7年(1932)の12月に日本橋の白木屋百貨店で起こった火災で慌てて逃げ出した和服の女店員は窓から脱出を試みたが、当時の和装の女性は下着をつけていなかったため、野次馬に陰部を見られまいと裾を押さえた女店員たちは、真っ逆さまに転落死し、これが日本で洋装やズロースが広まったきっかけであるというのは都市伝説でそんな事実はなかったりする。
これを捏造したのが例によってアカヒ新聞なのだが、さらにそのもとになったのは都新聞の記事。
で、この白木屋百貨店火災の後にズロースが広まったということもなく、女性のみなさんがパンツをはき始めるのはもっともっと後のこと。
それでも80年代の仕事初めは挨拶まわりが主なので、女性たちが振り袖などの晴れ着で出勤していたりもするし、結婚式は神前式で男は羽織袴、女は打ち掛けに白無垢ということも多かった。
しかし70年代に売上が大きく落ちたこともあって和服は冠婚葬祭などの訪問着や成人式や結婚式など種々の行事で”だけ”必要とされるものとされ「年間通して着られる」が着物の売り文句となり、それによって季節に合わせたデザインが失われ、「着物は地味で着ていてつまらないもの」となってしまった。
その上に冠婚葬祭などのフォーマルな場での利用も減り、ほとんどがスーツなどに代替されるようになってしまった。
しかも着物の製造は国外への依存が大きく、生糸などの素材の生産や機織りなどから一貫して国内で行っている事業者はわずかな割合にすぎない。
そして業績低迷のため、やたらと着物を押し売りすることも問題で客が呉服屋や着付け教室に来るやいなや、高額な着物を無理やりローンで買わせる監禁商法とまで呼ばれるほどかなり強引に売っていたせいで悪いイメージが付きすぎたのも問題だ。
「普段着ではなく、特別な衣装」「呉服屋では高い着物を押し売りされる」という強いイメージは、和服業界がそのように着物を洋服と差別化し、業績が悪化したが故の結果だが、その和服業界の誤った対処が傷を大きくしたのだな。
その結果タンスに死蔵されている和服が30兆円、問屋などの流通で死蔵されている3兆から10兆円の在庫が眠っているということにもなったりした。
洋服のような流行の柄、デザインなどがあまりないため、リサイクル品や在庫品でも十分に対応ができるため、仕入れがなくとも在庫で催事を回すことができるようになってしまっているのも痛い。
ちなみに洋服の場合は季節替わりの投げ売りバーゲンやアウトレットモール、EBSのような在庫処分ディスカウント店などを使っても4割は売れ残って焼却処分されていたりする。
燃やすくらいなら洋服を買いたくても変えない貧しい人に配ればいいと思うのだがそうして売れなくなっても困るので結局は処分するのだな。
スーパーやコンビニの食料廃棄などとこれは似たようなものであると言える。
そして和服が高価であり着付けが大変で、しかも着付けの作法にやたらとうるさいことなどでだんだんと若い人たちに敬遠されていった。
マスコミが着物はダサい、韓国のチマチョゴリ、沖縄のアオザイ、北海道のアイヌ衣装は可愛いなどとしたのも余計に和服のイメージを損ねただろう。
韓国のチマチョゴリを押しているあたりに、そういった雑誌の背後にどういった勢力がいるかはわかるけどな。
また和服は洗濯や保管が大変で特に女性の服装としては動きにくいというのもあった。
西陣織のような繊維系伝統工芸も含めた業界の売上も年々落ちていき比較的生き残ったと言えるのは作務衣や甚平と浴衣くらいだろう。
その西陣織は、1980年代にコンピュータ導入による前衛的な生産体制とかに挑戦しているはずだから支援したほうがいいかもしれないな。
それとともに日本国内製造の衣料品繊維市場の規模もどんどん縮小していった。
戦前の製糸業は日本の重要産業で、第1次世界大戦を契機として紡績業も飛躍的な成長を遂げ、繊維製品は日本の輸出の50%を超えていた。
ヨーロッパでカイコの伝染病の流行により、養蚕業が壊滅した事もあって、1900年頃には中国を追い抜き世界一の生糸の輸出国になり、それは昭和10年(1935年)前後にピークを迎える。
だが1929年の世界大恐慌、1939年の第二次世界大戦、そして1941年の太平洋戦争によって、生糸の輸出が途絶し、一方で1940年には絹の代替品として化学繊維のナイロンが発明され、日本の養蚕業は、ほぼ壊滅に至った。
敗戦後はまず食料増産を優先したため養蚕業の復興は遅れ、1950年代にようやく復興することとなったが、パルプを原料とする人工絹糸の開発や、ナイロン・ポリウレタン・ポリエステル・ポリエチレンなどの化学繊維の大幅な普及もあって、戦前のようには輸出は不可能になり、昭和33年(1958年)には養蚕業危機に直面したが、日本政府は軽工業から重工業へ主軸を既に移していた。
しかし、高度経済成長によって内需が伸び、和服業界の売上が上がると、それに応じる形で生産が増加し1970年代に再度のピークを迎えた。
また、昭和37年(1962年)の生糸輸入自由化により、生糸輸入国に転じており、”前”では平成28年(2016年)には全国の養蚕農家数は349戸にまで減少している。
養蚕は中国やインドなどでは活発に行われているのだが日本ではほぼ壊滅してしまったのだ。
衣料繊維分野において高級品はイタリア、廉価品は中国・インドが大半を占めるようになってしまった。
とはいえ日本の繊維業界が完全に壊滅したかと言えばそうでもなく、医療用のマスクや紙おむつなどに使われる不織布は凋落の著しい日本の繊維産業の中で唯一健闘している。
とは言えこれの製造においても中国の後塵を拝しているのだが。
もっとも毛布や枕、布団、クッション、カーペットなどの「家庭・インテリア用」の需要は大きく低下することはなく、自動車のカーシート、シートベルトやエアバッグ、天井材やトランク材などや住宅の壁紙・音楽用スピーカーなどに使われる「産業用繊維」の比率はむしろ上がっている。
それはともかく入院服や寝間着とかの場合は着物スタイルのほうが便利であったりもするのだからやり方次第だと思うのだが。
室町時代とかの庶民の着物では女性用の着物はなかなか可愛い上に活動的であるし、男性用も機能的でもあったりするのだからそういったデザインのものを普段着として展開していってもいいと思うのだが。
というわけで俺は北条先輩に電話で連絡をとった。
「もしもし、私前田健二と申しますが、北条精華さんはいらっしゃいますか?」
電話に出たのは男性だった。
「ああ、娘ですか。
少々お待ち下さい」
家電だと家族が出ることが多いのが怖いよな。
まあ別に俺には後ろめたいことはないのではあるが。
「お待たせいたしました。
ご用件はなんですの?」
「ああ、北条先輩にお願いしたいことがあって」
「お願いしたいこと……それは構いませんがもう殆どの企業やお店は本年度の店じまいをしていますわよ?」
「あ、うん無理なものは年明けでいいのだけど、まずは新年の挨拶回りに先立って、そういった際の礼儀作法とかを教えてくれる先生を紹介してもらえないかなと思って」
「確かにクリスマスパーティの時もほとんど挨拶とかが出来ておりませんでしたわね。
と入っても今すぐご紹介できる方はおりませんので明日にでも私がお教えしますわ」
「ああ、それは助かる」
「その代わりスパルタになりますので覚悟してくださいませ」
「まあ、そうなるよな、覚悟はしているよ。
あと身だしなみとかのアドバイスをしてくれるスタイリストやコーディネーターと、洋装用のテーラーや和装用の呉服屋や和装の仕立て屋、社交ダンスや茶の湯の作法なども学ばないといけないかもしれないからそのあたりの紹介もお願いしたい」
「それも当然ですわね。
それは年明けにいたしましょう」
当然と言われるのもちょっとあれだが、このあたりは北条先輩の認識のほうが正しいのだろう。
家庭が富裕な部類であるのと、生まれが富裕層に属しているということには厳然たる壁があるのだな。
「うん、お願い。
あと、和服業界や織物染色業界、はては養蚕農家にいたるまで、今のままだとヤバそうだからどっか業績のやばい和服の小売メーカーを買い取って根本的に変えていきたいのだよね」
「なるほど、和服の市場規模は今の所は小さくありませんが現状では急激に縮小しているようですしね。
わかりましたわ」
「できればフランスのように結婚と同棲の間のような事実婚も認めたりするべきだと思うんで、船橋市とか市川市、千葉市や夕張市でだけでも先行してできないだろうかとおもうんだ。
日本的に言えばお妾さんを容認するって感じだけど」
日本では妾を持つことが悪いこととされつつあり、90年代には不倫がもてはやされたがその後は不倫騒動を起こすと社会的制裁を受けるようになりマスコミのマッチポンプはかなりひどい。
「そうやっていき、あなたが女性を囲いたいのですか?」
「いや、俺がやりたいからって言うより、シングルマザーの貧困対策とか少子化対策でやっていくべきだと思ってるのだけどね。
幸い船橋の海神や千葉の幕張や市川の菅野あたりは社長がたくさん住んでいる高級住宅地だしそういった人たちから説得して市議会とかに話を持ち込めば条例とかを施行はできると思うんだよね。
富裕層はもともと妾を持ったりタニマチになったりするのは男の甲斐性と考えているはずだし」
北条先輩は大きくため息を付いた後言った。
「まあ、そんなことだろうとは思いましたが。
確かに人口減少は大問題ですしその辺の働きかけもやっていく必要はありますわね。
あなたにもそういった甲斐性があれば私達は苦労しないのですが」
「あ、うん、北条先輩ばかりに仕事を投げる甲斐性なしでごめん。
だから来年はもうちょっと自分でも交渉の場に立って働こうと思っているよ」
「ああ……いえ、そういう意味ではございませんが……まあそのあたりにおいて意識が変わったのはいいことではあると思いますわ。
とは言えあなた一人で何でもできるわけではないですし、代理人を動かすのも重要ですが」
「まあ、そうだよな」
何れにせよ日本の富裕層の金融資産でいえば1億円以上をもっていて、愛人のような“日陰”の遊びにじゃぶじゃぶとお金を注ぐことができるようなレベルの人間が100万人いるのであるのだからそれを活用するべきだろう。
甲斐性なんかなく、大した稼ぎもないくせに不倫をしている男はヤリステとかをするだろうからむしろそういう男を非難していくべきだろう。
「あと、企業買収に関しては日三自動車が買い取れたら、週刊少年ホップの集英組をなんとかして買い取りたいな。
それが無理ならコマンダー翼や聖戦士星矢の版権だけでも手に入れてゲーム化したい」
「確かに週刊少年ホップの影響力は男の子に対して極めて大きいですし、できればそのようにしたいところでもありますわね。
わかりました将来的なスケジュールとして入れておきますわね。
では明日は礼儀作法などを叩き込みますので、朝9時に私の家に来てくださいませ」
「あ、うん明日はよろしく」
明日の休みは潰れるがこれも必要なことだし、年明けも多分やることはいっぱいだから宿題はとっとと片付けるか。
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