国鉄の分割民営化は成功だったの失敗だったのか
さて日本国有鉄道は、今年昭和61年(1986年)12月4日に制定される、日本国有鉄道改革法により、1987年4月1日に分割民営化される。
明治から日本政府が直接運営していた日本公営の「国有鉄道」は、第二次世界大戦後、インフレーションに加え、復員兵や海外引揚者の雇用の受け皿となったため、運営を所管していた運輸省の1948年度国有鉄道事業特別会計は300億円の赤字となり、財政は極度に悪化した。
そんななかで、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の総司令官であったダレダヨ・マッサーカー元帥は、国家公務員の争議を禁止する一方、国家権力の行使とは関係ない国の専売事業や国有鉄道などの国営事業を一般の国家公務員から除外し、公務員より緩和した一定の労働権を許すことで効率的な事業経営を目指す、独立採算制の公共企業体設置を勧告し、その結果、国営鉄道に労働組合を取り入れるため、国から分離し公共事業体としたが、これが日本国有鉄道という特殊法人になった。
日本国有鉄道は昭和24年(1949年)6月1日に発足し、当初国鉄はきちんと利益を上げ、優秀な公共事業体となった。
しかし、昭和39年(1964年)に国鉄は初めて8300億円の赤字決算となった。
東海道新幹線の開通により東海道本線の輸送力不足は解消したが、それに伴う出費で国鉄収支はこの年から赤字に転落することになり、山陽新幹線・東北新幹線・上越新幹線の建設や都市部では通勤利用者のために複線化・複々線化や高架化、主要幹線の電化などで国鉄は赤字を増やし、収支は一向に好転しなかった。
自動車が普及し高速道路が整備され物流はトラックに置き換えられることで、貨物の赤字は深刻になっていき、東京から北海道や九州などの長距離の移動では旅客機に客を奪われていった。
この頃には世界的にも鉄道が斜陽産業と呼ばれ始めた。
特に面積の広いアメリカでは鉄道では移動に時間がかかりすぎるために航空機がメインになりつつあった。
今までによりもずっと早く移動できる東海道新幹線の開業は、鉄道の維持にために必要な政策ではあったが、昭和41年(1966年)以降は単年度赤字が長らく続き、借金は増える一方で、ようやく昭和59年(1984年)に、旅客部門は単年度黒字になったが貨物の赤字はますます深刻になるばかりだった。
国鉄は民業圧迫を避けるため、副業が制限されていて、私鉄のように不動産やホテル、遊園地、流通など別の事業の黒字で鉄道を支えるという仕組みもなかったのが痛かった。
政府の決定によって、地方の鉄道路線も国鉄が建設し開業したが、そもそも地方路線は赤字路線がほとんどだった。
また、政府の雇用対策の受け皿として、戦後の引き揚げ者などを大量に雇ったが、給料は年功序列で増え続け、定年退職すれば退職金、さらには年金の負担もあり、準公務員だから、一定以上の役職には恩給も追加負担する必要もあった。
そして80年代初頭には国鉄職員は40万人ほどいたが準公務員であることもあって横柄な態度のものも多かった。
また重要な交通インフラであったため国鉄は長年値上げできず、昭和51年(1976年)になり、ようやく国が運賃値上げを認めたが、今までの赤字を取り返すため、同年の値上げ率は50%と急上昇し翌年の昭和52年(1977年)にも50%の値上げに毎年の運賃値上げが行われたことや、ストライキで深刻化した労働組合問題、その後の職員のモラル低下により、長距離旅客と貨物荷主の国鉄離れを招いた。
結果、国鉄長期債務は25兆0600億円まで膨れ上がり、赤字額は鉄建公団債務および本州四国連絡橋公団債務の国鉄負担分、北海道・四国・九州の各新会社に対する経営安定化基金原資を合わせた31兆4500億円に上った。
結果国鉄の分割民営化に至ったわけだ。
国鉄の労働組合には中核派や革マル派など入り込み、一部は公然と社会主義革命を主張していたし、昭和60年(1985年)11月29日に中核派が国電同時多発ゲリラ事件を起こして首都圏ほかの国電を1日麻痺状態に置いたが、国民世論は国鉄の分割・民営化を強く支持する結果となった。
で、この分割民営化が成功であったと言えるかどうかは判断が難しい。
まず巨額債務のその後だが国鉄分割民営化の時点で、累積赤字は37兆1,000億円に達していたが、このうち、25兆5,000億円を日本国有鉄道清算事業団が返済し、残る11兆6,000億円を、NR東日本・NR東海・NR西日本・NR貨物・新幹線鉄道保有機構が返済することになって、経営難の予想された、NR北海道・NR四国・NR九州は、返済を免除された。
清算事業団による土地売却はバブルの地価高騰で1989年の時点で30兆円を優に超えていたが、土地売却による都市再開発が、さらに地価高騰を悪化させるとする主張がなされた結果「その地域の地価の異常な高騰が沈静化するまでこれを見合わせる」とする閣議決定など政治介入があり資産売却が進まず、バブル崩壊によって、土地の時価総額が急減して、その間に有利子負債が嵩み、かえって債務総額は増え、2兆8,000億円増の28兆3,000億円に達していた。
その28兆3,000億円の借金のうち、16兆1,000億円の有利子債務は、たばこ特別税で返済、年金等将来費用3兆4,000億円は国鉄清算事業本部が、厚生年金移換金など7,000億円をNRが、これまでの負担分とは別に返済することになり、その残りは債務免除、要は国の貸し倒れになった。
で、貨物も入れて7分割して黒字になるかというと、東日本・東海・西日本は黒字だが、北海道・四国・九州・貨物は大赤字だ。
特に北海道は悲惨で”前”では不採算路線をどんどん廃線していったが、それでも毎年400億円の営業赤字を計上し、170億円以上の経営赤字を出し続け、自力では鉄道の維持が困難な線区として、道北の旭川から稚内、道東の帯広から根室や網走、南では苫小牧から様似などがあるが苫小牧から様似の日高本線は平成27年(2015年)と翌年平成28年(2016年)の災害で不通になったまま廃線になっていたりもする。
結局分割民営化は成功だったか失敗だったかを考えると、成功とも言えるし失敗とも言えるだろう。
”前”では不採算路線廃止や改札や駅そのものの無人化などでNRの発足当初の半分程度の10万人程度まで正規従業員数は減ったから利益は確かに出るようになったが、それは10万人の正規雇用を奪いある程度を人件費の安い非正規効用に置き換えたということでもあった。
人件費を削るということは内需を削るということでもあるし、儲からなければ人を減らせば良いのだというリストラの先例になったのもたしかだと思う。
それはともかく、NRは50ヘルツ区間の東日本と60ヘルツ区間の西日本に貨物の3つに分けるだけで良かったのではないかというのが正直なところだ。
基本的にNR東日本の営業路線のうち半分以上はローカル線だが、売上の3分の2を東京・八王子・横浜・大宮・高崎・千葉管区の首都圏通勤路線、3分の1を新幹線で稼いでいて、その他ローカル線はわずか3.8%にすぎず、NR西日本も全営業キロの3分の2がローカル線だが、売上の半分を新幹線、3分の1以上を近畿圏通勤路線が占め、ローカル線の寄与は12.8%でしかない。
要は新幹線と大都市圏の稼ぎで地方の鉄道網はようやく維持できるだけなのであり、ローカル線があまりない東海は利益がめちゃめちゃ出ても、ローカル線ばかりの北海道や四国では採算が取れないのが当たり前なのだから。
個人的には良い給料をもらっているにも関わらずストライキを繰り返したことで、国民にストライキなどろくでもないと言うイメージを植え付けた国鉄の労働組合は、その後のブラックな職場でもストなどで経営に反発することができなくなった原因で最大のがんだと思うのだが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます