水俣病は熊本に大きな爪痕を残している

 さて、グリーンヒルランドのオフィシャルホテルはまずまずであることが分かったのは大きな収穫だったと思う。


 熊本というと工業地帯からは外れている感じがするのだが、全くそういったものがないわけではない。


 そして、熊本の場合は、それはむしろ大きな傷跡として今でも苦しんでいる人がいるのだが。


 熊本県水俣市にある窒素水俣工場は、かつてアセチレンを原料にしたアセトアルデヒド・酢酸・塩化ビニル等を製造していたが、アセチレンの付加反応に金属水銀や塩化水銀を用いており目的の反応生成物を取り除いたあとの工業廃水を無処理で水俣湾に排出していたため、これに含まれていたメチル水銀が魚介類の食物連鎖によって生物濃縮し、これらの魚介類が汚染されていると知らずに摂取した不知火海沿岸の熊本県および鹿児島県の住民の一部に「メチル水銀中毒症」が見られ、昭和31年(1956年)5月1日に熊本県水俣市にて公式発見され、昭和32年(1957年)に発生地の名称から水俣病命名されたが、水俣湾の安全宣言がなされるのは平成9年(1997年)であるが大正3年(1914年)には水俣工場でカーバイドを原料とする石灰窒素法による硫安の製造を開始しヘドロが海に流れ出し漁業被害が始まっていたのでその根は深い。


 そして環境汚染の食物連鎖で起きた人類史上最初の大規模有機水銀中毒でかつ世界中に知れ渡った公害病であるが、水俣湾の安全宣言は現状ではまだ出ておらず、水俣病裁判での敗訴後、窒素水俣工場は被害者や漁業関係者への賠償金支払い、第一次オイルショックなどにより経営がさらに悪化。債務超過・無配継続により 昭和53年(1978年)に上場を廃止し、実質上、国の管理下へとおかれた。


 そして、水俣病患者が裁判に勝って一時金一人1,600万と年金、医療費の支給などをうけるようになると、それ以前は〝あそこの家は貧乏やから、魚しか食うもんがなくて病気になった”などと患者を非難していた連中が〝自分もそういう症状だ”と我も我もと水俣病の申請するようになったりしていたりもするんだが、逆にこれで熊本県南部や鹿児島県北部の貝や魚は危ないという認識がついてしまっているのだな。


 昭和29年(1954年)にはすでに水俣病患者が発生していたし、昭和34年(1959年)にはネコにたいしての実験により、アセトアルデヒド酢酸製造工場排水を投与した猫が水俣病を発症していることを確認し、工場責任者に報告しているが、工場の責任者は実験結果を公表することを禁じ、同年には熊本大学医学部水俣病研究班が水俣病の原因物質は有機水銀であると公表しているためのちに最高裁判所判決は、国や熊本県は1959年の終わりまでには水俣病の原因物質およびその発生源について認識できたとし、1960年以降の患者の発生について、国および熊本県に不作為違法責任があることを認定しているが、政府が発病と工場廃水の因果関係を認めたのは昭和43年(1968年)だった。


 結局のところ安全性を軽視して目先の利益を優先すると後々にダメージが蓄積してかえって損害がでかくなるというのは東日本震災での福一原発事故でも同様だったりするのだがな。


 さすがに現状の日本では排水や煤煙を処理しないまま垂れ流すことは許されないわけだが、50年代や60年代の日本の発展の陰には安全性の無視という側面も大きいのだ。


 これは90年代から2000年代の中国でも同様で2020年代後半には中国当局の公害取締りに対しての規制対策と景気後退で工場が悲鳴を上げていたりもするわけだが。


 これはダンプカーの過積載なども同様であるが、公害訴訟などでそういった対応は許されなくなり設備費が高くなったこともあって、”前”におけるバブル崩壊後は人件費削除で対応したことで商業は余計に悪化していたともいえる。


 まあそれはともかく熊本のホテルならもっと熊本らしさを前面に押し出したほうがいい気もするんだよな。


 翌朝の食事も味はいいしそれ自体には文句はないのだが、どこでも食べられるメニューなのでなんかパンチが弱い気がするのだ。


「ホテルの朝食もうまかったけどもうちょっと熊本らしさとかもほしいな。

 熊本名物といえば馬刺しとか」


 俺がそういうと朝倉さんが首を傾げた。


「さすがに朝から馬刺しは重くないです?」


「うーん、まあそれもそうか」


 と言っているところで上杉先生が言った。


「だが、新鮮な馬刺に地元の焼酎の組み合わせはたしかに捨てがたいな。

 バーベキューのメニューに加えてもよかろう」


 それに北条先輩も付け加える。


「このあたりですとヤマメやアユなども取れるようですわね。

 そういった川魚もうまく使うべきかもしれませんわ」


 そして明智さんがニッと笑って売店で売っていたらしいおみやげの箱をとりだした。


「熊本名物っていえばいきなり団子っすよ。

 サツマイモの甘みがたまらないっすよ」


「なるほど、熊本の郷土料理も結構いろいろあるんだな。

 そのあたりはやっぱり改善の余地はありそうだ」


 馬刺しだけでなく、地鶏、牛や豚、羊などの牧畜も盛んだから盛り上げる方法はたくさんありそうだと思う。


 まあ問題は大分の別府との差別をどう図るかではあると思うけど。


 そんなことを話し合った後俺たちはレンタカーに乗り込んで大牟田駅へ向かいレンタカーを返却して、別府まで電車で向かったのだ。


 ここから博多経由で別府までは電車で三時間半くらいだがまあのんびり行くとしよう。

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