70年代からの少子化の理由は何なのだろうか?

 少子化に関しては非正規雇用などによる収入の減少による育児や教育の負担に耐えられないことや終身雇用制度の崩壊などからの将来の不安から結婚を諦めることなどは確かにあったと思う。


 だが根本的な問題は結婚という社会システムが時代にそぐわないものになっているのに、それを変えない政府や高齢者の意識が最大の問題であったと思う。


 ”なぜ結婚しないの?””早く結婚しなさい”といいつつ”嫁は家(姑)に絶対服従するもの”という考えを老人たちは無意識に当然と考えているだろう。


 日本の結婚制度は明治時代の“家制度”と密接に関係しているが、“家制度”とは農業や漁業、林業、伝統工芸や自営業者、町の小さな工場などの土地や家、そして家業を維持していくために必要な制度であったと思う。


 これは江戸時代の武士や百姓の長子相続や商人の婿入り相続的な家族制度を基にしていると思う。


 しかし、戦後には職業選択の自由が認められ、サラリーマンが大多数を占めるようになり、子供に親の家業を継がせる必要性は薄れた。


 これは逆に言えば農業や漁業、林業、伝統工芸や自営業などの後継者不在を招いている原因でもあると思う。


 お嬢さんを僕に下さいと言わないといけないという、亡霊のような概念が恋愛結婚全盛になってもつきまとうのは家制度のときには「戸主」である相手先の父親が結婚を認めなければ婚姻できなかった頃の名残であるのだ。


 本来であれば結婚したい本人達の同意があれば、結婚は成立するはずであるが、実際には結婚にはお互いの親や親戚の影響はまだまだ大きいし、それは遺産なども関わってくるから話がややこしくなる。


 要するに現代的な恋愛環境から戦前的な結婚による窮屈な家庭環境に切り替わることに耐えられない若い人間も多いのだと思う、「父親」や「姑」にとって「嫁」は「家の所有物」的な旧態依然の考え方も実際に残っている。


 この頃の結婚では3高すなわち”高学歴””高収入””高身長”が良しとされた上に家付きジジババ無しがもてはやされたのも、そういった理由があると思う。


 実際にはそれにより育児の際に祖父祖母などの力を借りる事も出来ず、嫁の側が孤立して育児ノイローゼにもなったりしたわけであるが。


 また、ニホンザルなどのユーラシア大陸の旧世界猿や霊長類はボス猿と複数の嫁という形態が多いが、それは人間にも当てはまり、モテる男性に多くの女性が群がることで、モテないからと恋愛や結婚を諦める男が増えてもいるのだろう。


 合計特殊出生率が2を割り込んだのは70年代だが、この時期はオイルショックによる就職難に加えて、60年代には既に恋愛結婚の比率が見合い結婚を超えていて”もてない男は結婚しづらい”状態になっていたということもあるが、まだ近所の見合いおばさん等によるフォローもあった。


 1950年代後半の恋愛結婚数は280,781に対して見合結婚数は418,845だった。


 1960年代後半の恋愛結婚数は466,402に対して見合結婚数は430,009と恋愛結婚は増えたが見合い結婚は減っていなかった


 しかし、1970年代後半の恋愛結婚数は562,409に対して見合結婚数は256,330と見合い結婚が減少した。


 そして2000年代後半の恋愛結婚数は633,406に対して見合い結婚数は38,148と見合い結婚が激減しただけでなく結婚数そのものも減っている。


 結婚件数は昭和45(1970年)から昭和49(1974)年にかけては年間100万組を超えたが、昭和53年(1978年)以降2010(平成22)年はおおよそ年間70万組台で、平成28年(2016年)は、62万531組まで減り、その後も婚姻数は減っていった。


 また80年代までは35~39歳の未婚率は男女ともに10%以下だったが平成27年(2015年)には男性はおよそ3人に1人の35.0%、女性はおよそ4人に1人の23.9%が未婚となっていたが、この数字もその後回復することはなかった。


 そして結婚しない、もしくは出来ないものが増えても婚外子の割合は増えなかったのもまた少子化をさらに推し進めた。


 更に40年代には男性の初婚年齢平均は26歳女性は23歳だったものが、2010年代には31歳と29歳になったのも生涯に産める子供の数の減少に拍車をかけただろう。


 世界的には多くの国で、子供を育てたり長期的に親密な関係をもったりすることを目的として結婚する必要はないという風潮が広がっており、ヨーロッパでは法的な結婚をしていない事実婚や、シングルファーザーやシングルマザーの子供である婚外子の割合が50%を超えたりしている。旧態依然としたシステムや意識に支配されている日本は戦前から結婚というシステムが変わらなかったが、フランスでは1972年より、嫡出子・非嫡出子の区別なく、「いかなる生まれでも子は同等の権利を有すること」が法制化された。


 子が生まれても結婚しなくていいとなると、『親である養育責任』から逃げようとする男が出てきそうであるが、フランスでは全ての親に養育義務があり、そして全ての子には『親を知る権利』があり、父親に『この子の親である』という疑いがかけられた時には、遺伝子検査で身の潔白を証明することしかないが、この検査を拒むことは、事実上不可能だったりするし、それを拒めば社会的に死ぬ。


 もっともフランスではアフターピルは未成年者に無償で配布され、女性側が望まぬ妊娠をすることはあまりなくなっていた。


 フランスのように妊娠=人工中絶か出産して結婚の二択とならない社会は”前”の日本よりは良いのではないかと思う。


 フランスにおける事実婚の際の民事連帯契約というものは結婚より締結も解消も容易で、遺産相続に関しては結婚ではないので相手の両親が死んだときなどには当然遺産はもらえないが、納税や手当の受給などは、結婚したカップルと同様の「世帯」として扱われる。


 こういったフランスのやり方を見習い、まずは同調してもらえる人間に市議会の議席をとって発言権をとったり市長となって市の条例などで、事実婚でも結婚と同じ扱いのフランスを見習ったやり方をしていくべきではないだろうか、それは県や都に広げられればさらに良い。


 また子供が出来た女性には庭付き住居が無償無税で与えられることで出生率を回復させた国もあったはずだが、日本では住居や保育、教育に金がかかりすぎるのが問題ではないだろうか。


 シングルマザーの再婚相手や連れ子に対してのレイプや暴力などが多いことも考えると、シングルマザーやシングルファーザーに対しては無理に再婚を進めず働きやすい環境と保育などを心配しない環境も整えるのが大事だろう。


 そもそも高学歴でないとまともに就職できないという環境自体を変えていくべきでもあると思うが、たとえば高校在籍中に学業の一貫として“見合い”を行い、農業や町工場などの跡継ぎが若いうちから結婚できるような学科もあったほうが良いのではないだろうか?


 自治体による無料での見合い制度でもよいが、山形県の戸沢村のように嫁不足に悩んだ結果花嫁募集をしたところ韓国人嫁が来て、嫁は農作業を一切せず親類、友人を呼び寄せ、地元住民よりも韓国人の比率が高くなり、終いには乗っ取られてしまい、道の駅「とざわ」は山形県名産ではなく韓国土産が並び、建物も韓国風であるような事例も出ているから家族による経営ではなく大規模な企業経営に切り替ええて農業や畜産業、漁業や林業はサラリーマンとして働くようにしていったほうがいいかもしれない。


 事実婚により見かけはシングルマザーだが、実は父親が複数の女性に子供を産ませている場合がでてきても、父親に子供の養育能力があるのならば、それはそれで問題はないのではないだろうかとも思う。


 日本も戦前までは妾やその子供に対しても寛容な風潮はあったし、芸妓などに対してのタニマチなどはそういうものだったのだし、歓楽街の芸者はまず見習いの「半玉」となったあとに、半玉から芸者になるのはつまりはタニマチである「旦那」がついて「女」になることであって、ギャラも立ち位置も変わったようだ。


 また、芸術家や文筆家に対してのタニマチという存在がもっと増えてもいいのではないだろうか。


 尤もこれは結婚や子供とは全く関係ないかもしれないが。


 そして同性愛カップルが養子を取ることなども、もっと許されてもいいのではないだろうか。


 無論、虐待や育児放棄などは許されるものではないので慎重に事を運ぶ必要はあると思うが。

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