修学旅行は京都・奈良・伊勢かぁ
今は6月だけど中学校三年生にとって大きなイベントである修学旅行がもうすぐ行われる。
そして先生がそれについてホームルームで説明をしている。
「今年の行き先は京都・奈良・伊勢を3泊4日で回る。
みんなしおりをちゃんと読んで旅行の準備をするように」
「はい」
それが終われば一学期の期末試験と部活の引退があるんだけど。
それはとりあえずおいておいて、僕たちの修学旅行の行き先は京都・奈良・伊勢で中学校の修学旅行では関東の中学校では定番の行き先だね。
一日目と二日目が京都で三日目が奈良、最終日が伊勢で京都は観光名所が多いからあえて二日間に分けてるみたい。
最終日がUSJや大阪城のある大阪じゃなくて伊勢というあたりが時代を感じるね。
「京都といえばやっぱり清水寺だよね」
僕がそう言うと今田くんもうなずいて言う。
「ピカピカの金閣寺もいいよな」
そして斉藤さんも言った。
「私は京都御苑の蛤御門や本能寺が見てみたいわね」
斎藤さんの言葉に思わず僕は言う。
「斉藤さんはさすがだね。
幕末の戊辰戦争とか織田信長に関係する場所を見たいなんて」
「どうせ男子は新選組の羽織りとか木刀とか買うんでしょうけどね」
呆れたように言う斉藤さんだけど今田くんは大きくうなずいて言った。
「そりゃ京都に行くなら当然だよな」
俺もそれにうなずいておく。
「まあね、新選組は男のロマンだよね」
そう言いつつ笑っていると斎藤さんが言う。
「まあ私も祇園の舞妓さんとかは見てみたいけど」
「確かに京都って言えば舞妓さんって感じ」
それから今田くんが少し考えてから言った。
「奈良には大仏以外何があるんだろう」
今田くんが言ったことに俺は少し考えてから答えた。
「とりあえず奈良公園には鹿がいっぱいいて、その鹿に鹿せんべいあげるとか?」
「あのね、奈良にも法隆寺とか興福寺とか春日大社みたいな有名な寺社仏閣はあるでしょ」
そう言われて今田くんはキョトンとしている。
「興福寺……そんなものもあったっけ?」
「斎藤さんさすがにそのあたりは結構な歴史好きでないと知らないような気がするよ」
「そんなものかしら?」
どっちにしても自分たちで自由に見て回る場所を決められるわけじゃなくて、学校で決められた場所をクラス全員でバスに乗っていっしょに見て回るんだけどね。
そんな感じで京都や奈良では有名な神社仏閣を巡り、伊勢志摩では伊勢神宮へ行った後で真珠の養殖を見たりするらしい。
「初日と最終日の東京と関西の間の移動は基本新幹線で移動だって」
「新幹線かぁ、乗ったことないしなんか憧れるよね」
今田君と僕がそんな話をしていると斎藤さんは少し嫌そうにしている。
「あんまり長いあいだ電車に座って乗っているのは疲れそうね」
斎藤さんの言葉に僕はうなずいた。
「うーん、たしかにそうかもね」
東海道新幹線の開通は意外と古くて昭和39年(1964)だから、今現在から見ても20年前で、営業最高速度を210km/h。
東京-新大阪間は3時間ちょっとなんだけどこの3時間が長いと見るか短いと見るかは人によるだろうね。
「どうせならブルートレインに乗ってみたかったな」
今田くんがそう言うので僕はちょっと考えてから言った。
「寝台特急だと乗れる人数が少なすぎるから無理なんじゃないかな」
「なるほど、それもそうか」
そして斎藤さんも言う。
「それにお風呂に入れないのはいやよね」
「女の子はそうかもね」
僕がそう言うと今田くんも言うが
「一日ぐらい風呂に入らなくても平気だけどな」
「私はいやよ」
東京と大阪の間を走るブルートレインの銀河には食堂車もシャワールームもないというのも、利用者が減った理由だったのかもしれないね。
そういえば日本人の海外旅行が大幅に増えるのも今年から来年くらいからだったような。
そのあたりの理由には今年のコアラブームでオーストラリアに注目が集まったことと、プラザ合意により進んだ円高もあって安く海外に行けるようになるからなのだけど、プラザ合意は失われた40年と呼ばれる長期経済低迷の起点になるものだと思う。
1960年代後半の繊維製品、1970年代後半の鉄鋼製品等の貿易摩擦でも日本はアメリカに頼りきりだったんだけど、1980年代前半は日本の電気産業が最高潮だった時期で、日本では半導体やテレビなどの電化製品、自動車を筆頭に輸出が急伸し、経常黒字も著しく増大していて、これにより輸出産業を中心に好業績の企業が相次いだんだけど、逆にアメリカは、財政赤字と貿易赤字という、いわゆる双子の赤字を抱えていて、日本はアメリカによりもたらされる経常黒字が物価上昇圧力になっているということで、世界経済不均衡を是正するための効果的な手段としてドル安への誘導がなされたし、ドル安にすれば米国の貿易赤字、とりわけ対日貿易赤字が減ることが期待されたわけなんだけどまだ暫くはバブル景気のおかげでそれはあまり見えなかった。
けど、来年の僕は一介の高校生に過ぎないからプラザ合意自体はどうにもならないんだよね。
ただ円高で海外旅行がどんどん増えるのと反比例して国内の旅行者は、バブル崩壊前の1990年まではゆるやかに増加するものの見込んだほどには増えず、その後は減少してしまい、多くの観光地は廃墟となったホテルが立ち並ぶ異様な風景になるんだよね。
特にバブル経済の崩壊以降、国内の団体旅行は減少し続けていた。
企業の社内旅行などは経費削減でどんどん行われなくなっているし、保養所の閉鎖などもどんどん行われていたからね。
団体旅行という旅行スタイルそのものを敬遠する傾向も増えていたし。
そして個人の力ではお金がある人間は海外でお金を落とすようになるからこの構図はなんとかしたいけど、広告会社が芸能人がハワイに行ったとか騒いでテレビや雑誌を通じて海外旅行を煽ったのもなんらかの意図があったように感じる。
「観光地を見て回るというのはいい経験になるそうだね」
僕がそう言うと今田くんも笑って言った。
「ああ、そうだよね」
東京の近くだと伊豆半島の熱海や伊東、それに日光鬼怒川なんかそれはひどいものだった。
このときのアメリカの経済政策はレーガノミクスとよばれるもので、1985年にプラザ合意が形成されると、為替相場は一気にドル安となったことで株式ブームを生み出したのだけどそれは1987年のブラックマンデーにより短期間で終了してしまったんだ。
結局輸出に頼りすぎるのは良くないし国内の観光をもっと勧めるべきでもあるんだよね。
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