この頃はインターネットどころかパソコン通信もほとんど存在しないんだよね

 念願のパソコンを手に入れた僕だけどいろいろと違和感が大きくて、結構とまどっていた。


「そういえばこの時期はマウスはほとんど使えないし、インターネットどころかパソコン通信もなくて、接続は音響カプラを使うんだっけ」


 インターネットでは最終的に光ファイバーを用いた光回線からルーターを通じて有線や無線のLANを使ってパソコンやタブレット、スマホと接続するのが通常だった。


 けど、そもそも昭和59年(1984年)だとまだ通信自由化がなされていない。


 企業間がオンラインでデータ交換を行う電子商取引やオンラインによる情報提供サービスなどの新規事業、通信事業民生化による自由競争および発展などへの要望が高まってはいるのだけど、現状では日本電信電話公社が通信事業を独占していて、データ通信や企業間接続など新しい分野に関して「原則No」の立場で規制をしていた。


 しかし翌年の昭和60年(1985年)に電電公社が民営化されMTT株式会社になり、通信の自由化、回線開放、民営化などの法的改革が行われた。これによりデータ通信は、「原則NO」から「原則OK」へと大きく変わった。


 それまでは電話機は電電公社による貸出のみで黒電話しか無かったんだけど、それが変わってたとえばプッシュホンのような多様な電話機や通信機器が出現したんだけど、その結果として、電話のモジュラージャックなどの技術基準を満たしていれば、NTTなど第1種電気通信事業者が敷設する一般加入回線への端末設備の接続が、個人でも法律的に認められるようになったんだね。


 これを受けて、数社からモデムが発売され、パソコン通信普及のきっかけとなったし、公衆回線を用いた他社とのデータ通信までできるようになった。


 パソコン通信自体は 昭和57年(1982年)には秋葉原のダイデン商事が代理店になっていたアメリカのCompuServeも一応あったけど、これは完全に英語だけだった。


 だけど通信自由化によって昭和60年(1985年)にはダイスキーネットが、昭和61年(1986年)にはギフティサーブやMEC-VANなんかが参加してくる。


 それ以前はどうだったかといえば昭和55年(1980年)にはFORESIGHTというマイコンサークルがあって、一月に1度会報の情報提供とカセットテープによるプログラム提供を行なっていたが、これはパソコン通信の発達によって昭和63年(1988年)に活動を停止している。


 また昭和59年(1984年)には東京大学、東京工業大学、慶応義塾大学を実験的にUUCPで結んだ“JUNET”が誕生してるけど、これはあくまでも大学などの学術機関の間だけであって後々のインターネットのように誰でも参加できるものじゃなかった。


 日本語でできる日本国内の一般人が参加できるパソコン通信は昭和59年(1984年)に「千代田常磐マイコンクラブ」が松戸市内に開設したものが始まりと言われているらしい。


 このホストから、全国各地幾つもの草の根ネットが誕生したのは間違いない事実なはずなんだけどね。


 で、昭和59年(1984年)の時点では音響カプラを使うんだけどこれは、パソコンと音響カプラをケーブルで接続し、その後音響カプラと黒電話の受話器を紐できっちり縛りつけ、電話機のダイヤルを回して、通信先に接続したら、通信が開始されるというもので、音響カプラはデジタル信号をアナログ信号に変換して受話器に伝えて通信していた。


 当然だけど速度は遅いし雑音や振動にも弱いので通信がうまくいかなかったり全然関係ないデータが入り込むこともしばしば。


 なので音響カプラはあっと言う間にモデムに取って代わられたんだけど、暫くはまだ家にモジュラージャックがなかったりする場合もあるので暫くはモデムと併用して使われた。


 そしてその後暫く使われたのが電話回線とモデムを使う「ダイヤルアップ接続」。


 これは固定電話の電話回線があれば、電話会社との別途回線の特別な契約や工事なしに利用が可能であったんだけど通信速度は遅くて、パソコン通信に接続する場合は電話会社への電話料金と、パソコン通信の通信料金が、別々に課金された。


 “みかか”が怖いなどと言われるのはキーボードのひらがなではNTTがみかかになるからで、チャットを一晩やれば電話代やパソコン通信の料金合わせて何万円となることも珍しくなかった。


 後々は電話料金は月額で定額なのが当然になるんだけど、その走りのテレホーダイがはじまったのは、 平成7年(1995年)でそれも深夜23時から翌日8時までの限定された時間のみだった。


「んーまだパソコン通信に手を出すには早いかな、掲示板を見ればいい情報がいろいろ手に入りそうなんだけど」


 実際に千代田常磐マイコンクラブも松戸市馬橋のクラブ員の自宅に集まってテープやフロッピーのデータを交換したりすることのほうが多いらしいしね。


「ああ、でも千代田常磐マイコンクラブには参加しておきたいかな。

 なんて名前になるかはわからないけど」


 なんだかめちゃくちゃ泥沼にはまり込んでいる気がするような気もするけど気にしないでおこうか。


 能天気に監督の指示に従って走り回ったりしてるだけのラグビー部だった前は学生生活はなにも考えなくてよかったから、楽ではあったんだなと思ったりもするけどね。

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