――涙を失った魔女の話――

 「この魔法を完成させるには、自分自身の涙が必要なんだ」


 私に魔法を教えてくれた御婆様はそう言った。その瞳は布に巻かれていて、瞳の色を見ることはできなかった。


 私は孤児院にいたごく普通の捨て子だったが、ある日御婆様がやってきて、私を引き取っていった。魔法の担い手を探していたらしく、私に魔法の才があると見て引き取ってくれた。

 御婆様は私が魔法を習得する度に笑顔を見せてくれた。それが嬉しくて、私は魔法の勉強を頑張っていた。仲間も友人もいなかったから、私の世界の全ては御婆様だった。

 御婆様はこの世に残る最後の正しい魔女だと言っていた。教えを途絶えさせてはいけない、魔法を正しく扱い、正しく知る者は必ずいなくてはならないと、毎日朝ごはんの時にお話をされていた。

 他の魔女や魔法使いはもういないの?と尋ねたことがあったけど、御婆様は顔をしかめるばかりで、答えてくれたことはなかった。きっと答えられない理由があるんだな、と子どもながらに思っていた。

 魔法の習得のための修行は大変で辛かったけど、とても楽しかった。孤児院で同じ年くらいの子と遊んでいても、あまり馴染めず、面白くないと思っていた私にはとてもぴったりだった。勿論、遊び半分でやっているわけではない。魔法はとても危険で、扱い方を間違えてしまえば私自身の命をも消しかねないものだった。それに関しては、御婆様からの叱り文句を一言一句全て暗記できてしまうほど聞かされていた。

 御婆様と過ごす日々は、とても穏やかで、幸せという一言に尽きる。きっとこのまま緩やかに、のんびりとした日が続くのだろうと、思っていた。


 御婆様に引き取られて、私が成人と呼ばれる年齢になった頃。突然その日はやってきた。


 「魔女よ!粛清の時は来た!お前の所業によって散っていった仲間達、友のために!永遠の断罪を!」


 鎧の重たい音を響かせながら、何者かが私と御婆様の静かな家に騒々しくやってきたのだ。悪魔の騎士団とでも言おうか。それは、黒く分厚い鎧を身に纏った人間達だった。

 御婆様はすぐに移動魔法を使い、私と家の外へ出て、そこから更に魔法を使い、森の中へと逃げ込んだ。ここはどこですか、あれは誰ですかと問う暇もなく、御婆様は私の肩を掴んだ。


 「お前の質問に答えている時間はないよ」


 そう言って再度移動魔法を使い、今度は荒れ果てて、草木も生えていないような山にやってきた。この様子では、動物も少ないだろうし、近くに村や街もなさそうだ。隠れて生きていくことが難しそうなこの場所にやってきたということは、短期間で離れるつもりなのだろうか。

 御婆様は辺りを見回す私に気にせず、がりがりと地面の表面を削って魔法陣を描き始めた。これまでも魔法陣を必要とする魔法を学んできたけど、今まで見たこともないくらい大きな魔法陣だ。


 「命の終わった木の枝と、二度と芽生えない草の根を集めておいで。この魔法陣の周りを囲えるくらいの量だよ」


 ぼやっと様子を見ていた私に、御婆様が声をかける。言われた通りに探してみるも、なかなか見つからない。そもそもこんな硬い地面が表面に出ている山なのに、木や草の根があるものなのだろうか。

 早くしな、と御婆様から声をかけられ、少し急いで探すことにした。とはいえ、広い山なので召喚魔法で使い魔を呼び出し、手伝ってもらった。動物はいないけれど大地の奉仕者である妖精や精霊が居たので、彼らにも手伝ってもらった。すると彼らはどこからか木の枝と草の根を見つけ出し、あっという間に必要数はそろった。


 「上出来だ」


 御婆様は僅かに微笑んで言った。その微笑みは陰りが見えていて、言葉にはどこか覇気がない。


 魔法陣を書き終えた御婆様は、私を手招いて魔法陣の中心へと導いた。真ん中から見ても、魔法陣は寸分の狂いもなく綺麗な円を描き、その中に魔法の呪文や記号が多く敷き詰められていた。目を布で覆っているにも関わらず、どうしてこんなことができるんだろう。いつも不思議だったけど、結局聞けずに毎日が終わっていた。

 御婆様は力無く私の手を握り、その手を御婆様自身の額へと当てた。


 「今まで避けていた話をさせておくれ。……私以外の魔法使い、魔女共は人間と手を組み、魔法で全てを支配しようとしている。支配が終わったら人間達は奴隷として歯向かう者は皆殺しだ。私は過去に何度も見てきたからそれを止めようとした。だが逆にあいつらのしでかした罪を着せられ、大罪人とされていて逃げていた」


 御婆様はふと、そう話し始めた。声は震えている。


 「私はもう戦えない。だから最後の魔力をお前に全て託したい。でも」


 御婆様は膝をがくっと落とされた。私は慌てて支えようとしたけれど、手を離してくださらないからそのまま私も膝を折る形になった。


 「この魔法は……お前の涙を奪う。涙を奪うということは、感情を失うということ。感情を失えば、お前はただひたすらに私の願い通り、魔法使い共を殺すだろう……」


 何をそんなに怯えているのですか。私は問いかけた。


 「もうお前は今のお前に戻れない。今までの生活に戻れない」


 他に方法はないのですか、平和に解決する方法もないのですか。私は再度問いかけた。御婆様は首を横に振る。


 「……私はこの日のためにお前をここまで育ててきた。だがどうしてか、どんどんその瞬間が近づくたびに、嫌になるんだ。お前を育てていて、とても楽しかった。毎日がとても楽しかった。子どもに恵まれなかった私に、本当の娘ができたようで……」


 御婆様の布の下から何かが流れた。それは紛れもなく涙。一緒に暮らして長くなるけど、初めてみる御婆様の涙だった。御婆様は、慌てて涙を拭う。


 「……この魔法を完成させるには、自分自身の涙が必要なんだ。今ここで私が流せば、私が自我を失ってしまう。そうしたらお前を傷付けてしまうからね」


 御婆様は、やっといつも通りの笑顔を見せてくれた。その笑みに安心して、私は御婆様の手を改めて握り、言う。


 「一度どこかに隠れましょう。そして私と考えるんです。きっと二人でなら、何か良い案が浮かびますよ、御婆様」

 「あるわけないだろう」


 御婆様ではない声が答えた。背後からしたので振り向くと、見知らぬ女が数人立っていた。胸元には、先ほど家に押し入ってきた人間達と同じ文様のブローチを付けている。


 「残念だったなエトラ。お前が追い詰められてここに来るのはわかっていた。これだけ大きな魔法陣を人里から離れて描くには、ここが一番いいからな。お前は我々の信頼を絶対にするために、公開処刑する必要があるのだ。この裏切り者の老いぼれが」


 女の一人が腕を前に出すと、禍々しい魔力を帯びた木の根が地面から伸び、御婆様の体を捕らえた。私の手がするりと離れて、御婆様は天高くへと木の根によって持ち上げられる。

 みしみしと嫌な音がした。御婆様の骨がきっといくつか折れたのだとわかり、私は女達へ手の平を向ける。無論、魔法を放つためだ。


 「やめておけ、娘。所詮お前も人間。魔法の才能は持っていたようだが、我々には敵わんぞ」


 女達は特に私を見ずに言う。魔法を使っている女が御婆様を見上げて、問いかけた。


 「エトラ。お前、この傀儡魔法を使って娘を殺戮人形にする予定だったようだが……なぜ躊躇った?昔のお前なら、躊躇いなくやっただろう。冷酷で残忍だと知られるお前なら」

 「昔話は嫌いだよ。私は老いぼれ。死にゆくものが過去にふけって何になる」


 御婆様が血を吐きながら答えると、女は眉間に皺を寄せ、腕を勢いよく下へ向けて振った。それと一緒に木の根は御婆様を地面へと叩きつける。御婆様の体は一度強く跳ね上がり、再度地面へと打ち付けられた。


 「御婆様!」


 駆け寄ろうとするも、木の根が私の行く手を阻む。


 「逃げ……」


 御婆様がか細い声で言った。逃げられるわけがない!初めての反抗をした私は、木の根を魔法で燃やし、駆け寄ろうとした。


 「別に傀儡魔法は私達でも使える。お前の死体さえ手に入ればそれでいいんだよ、エトラ」


 次の瞬間、御婆様は木の根で串刺しにされ、天を仰いでいた。手足が力無く垂れ下がっている。赤い血が木の根を伝い、止まらない湧き水のように流れ落ちていた。

 

 「お、おば……」


 声が出ない。木の根を払おうと魔法を使おうとしたのに、魔法が出ない。もたもたしていると、木の根が私の腹を突き、弾き飛ばす。魔法陣からはみ出すギリギリまで飛ばされた私は、血を吐きながら御婆様の方を見た。

 女達が御婆様へと近づき、その身体を持ち上げる。御婆様の全身から血が流れていた。ああ、早く助けなくては。私の、私の唯一の家族を!


 涙が自然と流れ落ちて、魔法陣の線の上に落ちた。魔法陣が輝きだす。驚いたような女達は一度足元を見て、私の方を見た。

 御婆様の流れ出た血は、地面に吸い込まれず、魔法陣の線を伝って私の元へと集った。御婆様の血が私の体に張り付き、新しい私の形を生み出してくれる。

 そうだ。こうすればよかったんだ。もっと早く、御婆様の話を聞いてすぐにこうすればよかった。こうするしか、私と御婆様の安寧を守ることはできなかったんだ。

 御婆様の目元に巻いていた布がずれて、虚ろな目が私を見ていた。血と涙が混ざって、赤い涙を流している。もう見ていられない。


 私達の幸せな生活を奪った女達が憎い。憎い。憎い!憎い!!憎い!!!

 私は新しい力に身を任せた。それは想像以上に清々しく、強い快感だった。


 ――気付いたのはどれくらいの時が経ってからだろうか。御婆様に揺られて目を覚ます。でもそこは、柔らかなベッドの上ではなくて。


 「目が覚めたかい」


 血まみれだった御婆様は、元気な姿だった。骨が折れている様子もなく、しっかりと背筋を伸ばして立っている。

 ぼやっとしていると、御婆様の遠い背後に数個の土の盛り上がりを見つけた。あれはなんですかと問うと、御婆様は「私が殺した」とだけ言って、目を伏せた。

 そこで気付いたけど、御婆様はもう目元に布を着けていなかった。初めてみた御婆様の目は左右で色が違い、宝石のような青と赤の輝きだった。


 「……悪いことをしたね」


 御婆様は涙を流した。それはもう透明で、自然な涙だった。でも、私は特に何も思わなかった。涙を失ったからだろうか。何が悪いのか、御婆様がなぜ泣いているのかわからない。

 魔力は以前より強くなった。御婆様も元気になった。恐らくだけど、私が魔法で治したのだろう。御婆様を守りながら、御婆様のやりたかったことを成し遂げられる。でも一つだけ、一つだけ気になるのが、御婆様の気持ちがわからなくなったこと。

 御婆様のその涙は何のための涙なのだろう。御婆様は今、嬉しいのか、悲しいのか、わからない。分かち合えない。

 その代償として私は強大な力を手に入れたのだ。永遠に強い魔女として君臨し続けられることに、私は特に何も思わなかった。


 御婆様はしばらく涙を流し続けた。私はそれを眺めることしかできなかった。

 だって、私の涙は失われてしまったのだから。

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