第39話 泣き虫
グルームは彼方からこちらへ巨大な足音と共に向かって来る巨影に怯えを隠せなかった。二体のゴリアテは異変に気付き、そちらの方へ向いて攻撃を開始する。当然ではあったが、山と見まがう巨体の前にはガトリング砲でさえも意味が無かった。雨が降り、落雷による閃光と激しい音が辺りに響き始めた。ほんの一瞬、雷が巨影の素顔を曝け出させると、グルームはその不気味さと雄壮な姿に息を呑む。
不気味な橙色の輝きを放つ二つの目は、まるですべてを見透かしているかのように、こちらを睨みつけている気さえした。あんな巨体でこちらの事が見えているわけは無いと思いたかった。だが自身の体に宿る本能がその可能性を否定するかのように、その場からの逃走を許さない。さながら蛇に睨まれた蛙のようにその場にいた誰もが動けずにいた…二体の無垢な生物兵器を除いては。
”我が名はオーズ…主のため、我が剛力を存分に振るおう”
”…待って…仲間を…巻き込まないで…”
端から見れば遠吠えとしか思え無い様な咆哮であったが、オーズはそう名乗っていた。しかし、どこからか声が聞こえる。自身に呼びかける事が出来る者がいるとすれば、それは主に他ならないとオーズは感じ、再び唸り声で返した。
”よかろう”
一歩、また一歩と近づくたびに地震と間違う程の振動が伝わって来る。巨大な人影に対してゴリアテ達は虚しく抵抗するが、しゃがみ込むようにして暗雲のように太く巨大な腕を伸ばして来た。多少の知能はあるとはいえ、自身に迫る危険を判断することは出来ないのか、ゴリアテ達は為す術もなく捕まる。
捕まえた二体のゴリアテを、オーズは街から少し離れている誰もいなさそうな畑へ放った。地面に叩きつけられたゴリアテ達はよほど堪えたのか、ぎこちなく立ち上がろうとする。だが次の瞬間、頭上を見上げてみると山が降って来たのかと思わせる程の大きさを持つ拳が眼前に迫っていた。
防ぐこともままならず、ゴリアテ達は見事に叩きつけられた拳の下敷きになった。拳が大地にぶつかると、地割れが起きた。周囲の雑草や作物が爆風で揺さぶられたが、やがてそれが落ち着いてからオーズは静かに拳をどける。拳によって作られたクレーターの中央には、体の中に収められていたはずのものを撒き散らし、車に轢かれた動物のようになってしまった二体のゴリアテの姿があった。
オーズはしばらく辺りを見回すと、再びどこかへ歩き去って行く。足音や気配が消えると、グルームは思わずへたり込んだ。ようやく自分が信じられない量の汗をかき、少々泣きそうになっていた事に気づくと、空を見上げて必死に深呼吸を繰り返した。
――――空を舞う巨影も主と思われる者からのメッセージを聞き取っていた。
”我が名はロキ…その願い、確かに聞き取った”
ロキは空から風を切って猛進してくる。鳥を模したと思われる翼を広げた怪物の気迫に誰もが神々しさを感じた。直後、ロキの姿が消えた。困惑する一同を余所に辺りが夜空よりも深い闇に染まっていく。歩こうにも泥に足を取られているかのように上手く歩けない。今自分が向いているのは右なのか左なのか、前なのか後ろなのかさえ分からなくなろうとしている時、ジーナ、シモンそしてセラムの三人はすさまじい勢いで何かに引っ張られた。
地面に打ち付けられたかと思い辺りを見回すが、先程と何ら変わらない雨が降りしきり、所々で火の上がっている戦場となっている街の姿があった。
「大丈夫か?」
「え、ええ…」
「二人とも…あそこだ」
シモンに手を貸してもらいながらジーナが起き上がっていると、セラムが二人を呼ぶ。彼が示す方を見ると、ロキが民家の屋根に止まっていた。図体のデカさから、どう考えても並みの建物では耐えられない筈だが、問題は無さそうであった。カカカと、ロキは乾いた笑い声の様なか細い鳴き声を立てながら、どこかを見ている。三人が振り返ると、地獄絵図がそこにはあった。
「やだ…やだ ! 死にたくない…死にたくない !」
「悪気はなかったんだ !信じてくれ ! もう二度としない ! 約束するさ ! もうしない!」
「骨が… ! 痛い痛い痛い痛い痛い ! いやああああああああ ! ごめんなさい ! 許して…! 」
阿鼻叫喚の混沌であった。兵士達やゲルトルードは、必死に何かへ懺悔をしながらのたうち回っている。壁に頭を叩きつけ、血が出る程に顔をかきむしり、遂には地面に這いつくばって頭を抱えていた。操っていたはずの化け物達も耳が痛くなるような声と共に暴れ狂い、ぐったり倒れて痙攣をする。
何が起きているのか分からないジーナ達とは対照的に、ゲルトルード達が見ているのは悪夢そのものであった。戦闘や、尋問と称した拷問によって死なせた敵兵達、人体実験や手駒である化け物へと変えるための贄にされた者達、実験の過程で失敗作と烙印を押され、生きたまま生物兵器の餌にされていった者達が自分達の目の前に現れていたのである。逃げようにも体が動かず、為すが為されるままであった。
兵士達は馬乗りになって殴られ、ナイフで顔を切られ、目を抉られ、銃弾を浴びせられる。必死に許してくれと懇願するが、誰一人として聞き入れてくれず、工場で作業でもしているかのように冷徹な顔をした人々によって淡々と苦しめられていく。体中が痛み、熱を持った。口の中も血の味しかせず、意識が朦朧としそうになる。しかしその都度、蹴飛ばされて意識を戻される。それは皮肉にも、自分達が捕虜に対してやって来た仕打ちによく似ていた。
ゲルトルードへの仕打ちは、それに輪をかけて熾烈を極めていた。彼女が人々を化け物に変えるたびに味合わせていた苦痛を、今度は彼女が一身に受ける羽目になっていたのである。兵士達がされている仕打ちだけではない。無理やり抑えつけられ、骨を折られ、砕かれていくその瞬間を何度も何度も味わった。時には噛みつかれ、皮膚や肉の裂ける痛みが体を走った。いっそ死んでしまいたいと願うが、死ぬ事も出来ずに体は気が付けば元通りになっている。そうすると再び人々が押し寄せ、同じように体を破壊されていった。
当然だが全てが幻である。端から見れば異常としか思えない光景を前にジーナ達が呆然としていると、カカカと鳴いていたロキの鳴き声が少し変わった。次第に甲高い鳴き声を連続的、しかも規則性の無いテンポで発しながら、体を軽く揺さぶる。その姿は、まるで苦しみに喘ぐ彼らを嗤っているようであった。
ジーナ達が底知れぬ不安と恐怖を微かに感じた頃、ひとしきり鳴き終わったロキは、静かに羽ばたかせて飛び立った。気が付けばロキは姿を消し、燃え盛る炎の音や、地面を這いずり回っているゲルトルード達の呟く声しか聞こえなくなっていた。あの様子では追ってこれないだろうとジーナ達が逃げようとした時、巨大な振動を地面から感じる。只ならぬ何かが起こっていると確信した三人は、互いに相槌を打ってその場を後にした。
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