第35話 因縁

 鼻唄を歌いながらシモンは上機嫌な様子だった。以前まで乗っていたネスト・ムーバーと比較すれば少々騒がしく、ハンドルは重いがそんな事はこの際どうでも良かった。とにかくこの新しい所有物を少しでも長く触っていたいと連日で運転を続けていたのである。


「ねえ、いい加減代わって欲しいんだけど?」


 運転席の後方、リビングのソファからレイチェルがウンザリしつつ言った。


「サフィライシティまで待ってくれよ。そこから次の目的地に行くまでは代わってやるからさ」

「はぁ…」


 早めに運転に慣れておきたいというのに、いつまでも代わってくれようとしないシモンに嫌気がさしていたレイチェルは、拗ねた様にソファに座り直して新聞に目を通した。やはりビーブックシティでの騒動に言及されており、レイチェルはあの夜自分達を助けてくれた生物の事を思い出した。しかし腹が微かに鳴ったのを耳にすると、どうでも良いと頭の片隅に追いやって台所へ向かう。そして新調された冷蔵庫から食材を取り出して早速調理に取り掛かった。


 通路を真っすぐ行った先、一番奥にある広い部屋ではジーナが黙々と鍛錬を続けていた。一通り終わり、シャワーを浴びた後に服を着ながら洗面台に置いていた灰色のペンダントを手に取る。月のレリーフが刻まれた小振りのチャームを開けると、凛々しい顔つきの白い体毛を持つノイル族の女性と、そんな彼女の肩を抱くノイル族の男性が写されている写真が入っていた。


(全てお前のせいだ)


 憎しみの籠った聞き覚えのある声が蘇ってきた。このペンダントを見るたびに、逃げ出せたと思っていたはずの記憶が脳裏から舞い戻ってくるのをジーナは感じてしまう。出来る事なら捨ててしまいたかったが、それだけは出来なかった。それらに気を取られていたせいで扉をノックされている事に気づかなかったジーナは、慌てて通路に出る。ルーサーから無邪気な顔で食事が出来たと伝えられ、みんなの元へ向かった。


 ネスト・ムーバーを付近の空き地に停めているらしく、シモンもテーブルに着いていたが、少々不機嫌そうにテーブルに並べられているポークビーンズをを見つめている。


「なあ、何でセロリ入れるんだよ」

「いい歳して好き嫌いしないの」

「匂いが嫌なんだ」


 シモンが愚痴を言うが、レイチェルはあしらいながら飲み物を用意していた。セラムはジーナを見ると、いつもの事だとでも言いたいのか、笑いながら首を横に振った。のんびり食事をしていると、ラジオから最近のニュースや話題が絶え間なく流れてくる。そんな情報についても素人目線からの会話を繰り広げていた。


「おい外見てみろルーサー、オッドホークの群れだ。珍しいな」

「え、どこ?」


 ルーサーは希少な種類の鳥が飛んでいると聞いて窓を見たが、そこには広がる田園以外何もなかった。見そびれたと思い食事に戻ろうとすると、切り刻まれた無数のセロリが自身の器の中に散らばっていた。


「大人げないわねホント」


 困惑するルーサーの前に座って一部始終を見ていたジーナは、シモンに冷めた視線を送りながら言った。


「…分かった食うよ、食えばいいんだろ」


 シモンが渋々ルーサーの器からセロリだけ戻し、苦々しい顔で口に運んでいく内に昼食は終わった。ごねた罰としてシモンが嫌々皿を洗っている間、各々が気ままに過ごしていた。ジーナはたまたま近くにあった雑誌を開く。著名人のゴシップやら見た事のない商品の広告だらけで毒にも薬にもならない内容であったが、暇潰し代わりには使えた。


「お、何読んでんだ?」


 いつの間にか皿洗いを終えたシモンが席に座り雑誌の表紙を見ていた。見たければ貸すと、雑誌を閉じてシモンに渡したが特に読みもせずに表紙に写る大胆な服装の女優を眺めていた。


「キャミィ・スワンソンか、いつ見ても美人だよなあ。養親からの虐めにも負けずに掴み取った栄光…だとさ」


 シモンは雑誌の煽り文を読みながら満足げな表情を浮かべる。話を聞いている間、ジーナはどこか胸騒ぎを感じた。


「最近、他の雑誌で和解したと言ってたな。カモにされている様な気もするが…」

「なあに今後の活動もあるんだ。裏があるにせよ、過去の事は水に流した方が良さそうと思ったんだろ」


 いきなり話に入り込んできたセラムに対して、特に驚くことも無くシモンは自身の考察を語る。ジーナは少し落ち着かなくなったのか、ゆっくりと席を立ち自室に戻って行った。シモンとセラムは不思議そうに彼女の後姿を見ていたが、すぐに食事の好き嫌いに関する話題へと切り替え、騒ぎ続けた。


「…はぁ」


 溜息をつきながらジーナは自室のベッドで横たわる。サフィライシティに近づいているというのが彼女の憂鬱な気分に拍車をかけていた。なぜよりにもよって自分の生まれ故郷の目と鼻の先である場所が、次の目的地になってしまったのかと鬱屈しそうになってしまう。


「ジーナ、いる?」


 ルーサーの声が通路から聞こえてきた。ここ最近の事件で色々と助けてからというもの、ルーサーは大人達の中でも特に彼女に懐いているらしく、度々彼女の元に来ては色んな話を交わすようになっていた。世界に生息している動物の事や、大陸に伝わるおとぎ話や神話について、ルーサーはいつも得意気に語ってくる。あまり勉学らしい事をしてこなかった彼女にとって、それは中々に刺激的な物であった。


「皆~、もうすぐサフィライシティに着くわよ~」


 話もある程度盛り上がってきた時、車内に突如レイチェルの声が響いた。部屋を出て、リビングへやってきた二人に運転席からレイチェルがはしゃぐように語り掛けてきた。


「こんな機能もあったの。凄いと思わない?」


 二人は無難に相槌を打つと、遅れてやってきたシモン達と共に準備を始める。ジーナはその間中ずっと故郷について思いを馳せていた。出来ればそちらに行く事が無いようにとだけ願いつつ、身支度を整えていく。


 彼らが訪れたサフィライシティは山々に囲まれた盆地であり、果樹を始めとした農作物の栽培で名を馳せている地域である。一方で、かつての戦争ではノイル族側の占領地であったためか、人口におけるノイル族の割合が非常に大きい。戦争が終わり、境界線の撤廃によって多くの地域で人口の流出や流入が起こっている現在でも、それは変わっていない。


 専用区画にネスト・ムーバーを停め、早速外に出ようと全員が席を立った瞬間に何者かが入り口を叩いた。シモンがドアを開けると、強面な警官が立っておりこちらを見ている。


「違反か何かか?一応、滞在許可は貰ってるはずだったんだが…」

「手紙を預かっている。差出人は言わなくても分かるだろう」


 警官はそう言うと手紙を少し雑に渡し、こちらの返事を聞きもせずにスタスタと行ってしまった。手紙の封を破ると、殴り書きされた簡潔な文章が目に入る。


 ――今夜八時、ターウェルホテルにて待ち合わせ。受付でこの手紙を見せれば分かる。


「…だとさ。行くしか無いよな?」

「聞くまでも無い」


 手紙を周りにも見せながらシモンは尋ねたが、ジーナは間髪入れずに返事をした。


 夜、賑わっている街から少し離れた場所にあるホテルの前へ五人は集まった。丁寧に掃除をしているのだと感じさせられるエントランスをくぐり、中へ入ると少し柔らかいカーペットが敷き詰められている受付へと辿り着いた。


「いらっしゃいませ…大変申し訳ございませんお客様、当ホテルは危険物の持ち込みは厳禁となっておりまして何卒――」


 フロントで愛想を振りまく従業員にシモンは手紙を渡すと、従業員は少し驚いたような顔をした。電話で何者かに連絡をした後、シモン達をエレベーターまで案内し、そのまま上の階へ連れて行く。最上階に到達すると一同は奥へ導かれるままに向かった。


「失礼します…お客様がご到着しました」

「おう、通せ」


 扉を開け、遠慮がちに従業員が言うと部屋の奥から豪快な声が聞こえた。それを確認した従業員は、五人を部屋に入る様に促して立ち去って行く。全員で中に入ると、異常なほどに広い部屋であり、豪勢な家具や飾りが並べられている。恐らく先程の声の主のために特別にこしらえた部屋なのだろうと思いつつ広間へ着くと、豪勢なテーブルの席に見慣れた人物達が座っていた。


「ハト婆、それにコーマック…!?」

「よっ。まだ生きてるみたいだね」

「お久しぶりです」


 驚く一同を余所に、二人は軽く挨拶をする。そしてワインセラーから酒を取り出していた一人の男が、ニヤリと笑いながらこちらへ歩いて来た。


「ウェルカム。歓迎するぜ御一行…デューク・リンドバーグだ。グリポット社の現社長と言えば分かるか?」

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