第29話 追跡者

 蜘蛛の子を散らすように化け物達が三人を追いかけていくと、ゲルトルードは部下達に連絡を取った。


「全員別々の方向に逃げて行ったわ。すぐに分かると思うから後は好きにして」


 そう伝えた直後、よろけながら近くにあるベンチに座り込んだ。巨大な万力で締め付けられているような頭痛と強烈な吐き気が彼女を襲う。


「頼むわよ…あまり長く持ちそうに無いかも」


 どうにか堪えた彼女は、少し息を荒らげながらそう呟いた。


 追跡を撒こうとセラムはなるべく障害物の多い場所を通り抜けて行った。化け物達は大所帯で無理やり押し寄せようとするためか、あちこちにぶつかっていく。そしてその度に渋滞が起こり、揉み合いとなっていた。おかげで距離が離れたのが分かると念のためにセラムは煙幕を放ち、付近にあるドアを片っ端から押したり引いたりしていく。


 ようやく鍵の掛かっていないドアを見つけると、急いで中へ押し入った。すぐに鍵をかけ、近くにあったものを片っ端からドアの前に置いて即席のバリケードを作り上げる。少し落ち着いたセラムは、入り込んだ建物を慎重に忍び足で見て回った。


「…風俗か」


 入り込んだ部屋にある設備やそこらに転がっている死体から察しがついたのか、セラムは気まずそうに言った。


 不意に二階から足音と思われる床の軋みが聞こえた。静かに二階に上がり、部屋を見て回る。通路の奥にあった最後の部屋に一歩踏み込んだ瞬間、何者かが酒瓶を振り下ろしてきた。間一髪で避けたセラムは、急いで距離を取ると、その正体と対峙する。一人の女性であった。震えながら酒瓶を突き出し、怯えた目でこちらを見ている。


 セラムは静かに両手を上げて、敵意が無い事を表しながら少しづつ近づいていく。


「大丈夫だ…何もしない。信じてくれ…とりあえず、それを下ろしてくれないか?」


 なるべく角の立たない穏やかな口調で語り掛けると、女性はようやく気が抜けたのか、酒瓶を捨てて彼に抱き着いた。


「助けて…死んだ…皆死んだ…」

「落ち着いて…よし、何があった?」


 まだ冷静になれていない様子で、同じような言葉を繰り返す彼女をゆっくり引き離し、肩を優しく掴みながらセラムは尋ねた。


 ようやく泣き止んだ女性は、しゃくりを抑えながらセラムに語り始める。


「分からないの…急に街の奥の方から悲鳴が聞こえて…そしたら店の入り口からいきなり変な化け物が出てきて…すぐに逃げて隠れてたから分からないけど、確認しに行ったら…」

「全員死んでた…と」


 女性の説明にはあやふやな部分もあったが、事の顛末は先ほど見た死体たちのおかげでセラムには分かっていた。


 女性は数回ほど首を縦に振った。何にせよここにいては危険だとセラムは考えたが、外にいる化け物がいつこちらに向かってくるのかも分からない状況で彼女を連れていくのはあまりにも無謀であった。しかし、他の仲間を下手に危険に晒すというのも彼の良心が許せなかった。


 そうして困りあぐねている最中に、無線から連絡が入る。すぐに手に取ると、妙にせわしなく銃声が響き渡る中で何者かが負けじと大声を張り上げていた。


「ちょっとー!誰でも良いから出てくれない?!状況を説明してほしいんだけどー!」


 間違いなくレイチェルであった。その後ろではやたら乱暴な罵声を吐きながら、何者かが銃を乱射しているようだった。


 セラムは何か思いついたようにハッとすると、すぐに折り返した。


「レイチェル、今どこにいる?」

「セラム?良かったーようやく繋がった!他の二人とは全然繋がらなくて…今はずっと歓楽街の大通りを走り続けてる!」


 セラムは女性にこの店の名前を尋ねた。女性が「オアシス」という店であると告げると、再び無線で彼女に呼びかけた。


「近くにオアシスという店がないか?見つけ次第そこの入り口で止まってくれ。生存者がいる」

「オッケー、すぐに見つける!」


 レイチェルはそう言うと無線を切って、助手席にいたルーサーにロバートからオアシスという店について聞き出すように頼んだ。


 ルーサーは大急ぎで工房に入る。そして設置されている梯子を登った先で機関銃を用いて周辺の化け物を撃ち続ているロバートを呼んだ。


「オアシスか!ここから先の交差点を右に曲がった通りだ!デカいピンク色のネオンが光ってるからすぐに分かる!」


 それを聞いたルーサーはすぐに助手席に戻ってロバートの説明を伝えると、レイチェルは「了解」と威勢よく返しながら、ハンドルを右に切った。


 その頃、セラムは女性を連れて慎重に階段を下りていた。やがて玄関に辿り着くと、腰を低くして身を隠させながらレイチェルの到着を待った。


「なぜ、あんたはここに?」


 セラムは息をひそめながら女性に尋ねた。


「生活費のためだったの。子供にはとてもじゃないけど教えられない仕事だったから黙ってた。三日だけだって言うから来たのに、辞めると言ったら脅されて…でも他に仕事も見つからないからどうしようもなかった」


 女性は自身の軽率な判断を恥じるように鼻で笑いながら言った。


 セラムは険しい表情で黙って聞いていたが、やがて静かに口を開いた。


「ここに来る前に一人の子供と出会った…親がいつまで経っても帰って来ないと泣いていたよ」

「え…?」


 セラムが唐突に語り出した話に心当たりがあるのか、女性は思わず顔を上げて仰天した。


「金が無いから悪いのかもと言って盗みに手を出していた。母親の気持ちを考えろと言ってやめさせたんだ。泣いていたが、素直な子だった」


 セラムがそう言うと余程ショックだったのか、女性は押し黙っていた。良かれと思って取った行動によって、かけがえの無い息子まで困窮してしまっているという事実が彼女の心を強く締め付けた。


 セラムは少し表情を柔らかくしながら女性に再び語り掛ける。


「運が良かったのはあんたがまだ死んでいなかった事だ。生きて帰って…子供に謝ってやれ。子供には親が必要なんだ。守って、導いてくれる存在がな」


 女性は静かに頷き、それを見たセラムも穏やかに笑みを浮かべる。


 突然、先ほどまで追われていた化け物のものだと思われる鳴き声がどこからか響いた。セラムは女性に身を隠すように手で合図をした後、背中の刀に静かに手を掛けた。開けっ放しのドアから店の外を恐る恐る見渡していた時、銃声が響いた。直後に何かが眼前の歩道に叩きつけられる。ピクピクと微かに動いているそれは断末魔というにはあまりにもか細い声を上げて動かなくなった。間違いなく自身を追いかけていた化け物の一体であった。


 唸りながら迫るエンジンの音がセラムの心に余裕をもたらした。店の前によく見慣れた灰色のネスト・ムーバーがタイヤが擦れる音と共に勢いよく停まると、運転席からレイチェルが顔を出した。上に設置されている銃座からはロバートとルーサーが手を振っている。


「お待たせ!」


 安堵すると同時に得意気に言うレイチェルにセラムは手を振り返す。女性に手を貸しながらすぐに向かおうとしたその時だった。


 自分が入り込んだ方角から何かが壊される音が聞こえる。そして何かがこちらに乱暴な足音と共に近づいて来た。通路の奥から白い体毛を持つノイル族の男が姿を現すと、セラムはすぐにその異常性に気づく。上半身を露にしているその男の背後では、人間の腕程度の太さを持つ巨大な触手が四本、うねっていたのである。そしてそのどれもがサーベルを携えていた。


 どうやらこちらに気づいたらしく、男は前方に向けて軽く手をかざす。危険を察知したセラムは女性を突き飛ばした。こけた女性が驚いて起き上がると、先ほどまで自分が立っていた壁際にサーベルが突き立てられていた。セラムは彼女に近づき、無理やり引き起こした。


「いいか、走って外にあるネスト・ムーバーに乗るんだ。そしてすぐに発進するように伝えてくれ。俺が時間を稼ぐ、行け!」


 セラムは早口になりながらも女性に伝えて、彼女の背中を軽く押した。


「レイチェル、今店の外に女性が出てきたはずだ。彼女を乗せたらすぐに行け。敵が来たんでな…後で追いつく」


 セラムはそう言うと、返事を待つ前に無線を切った。そして玄関を塞ぐように男の方へと向き直った。


 一方外では、ロバートが向かってくる化け物の群れにありったけの弾丸を浴びせ続けていた。


「ハッハァ!戦場での勘が戻って来たぜ!来やがれタコ野郎ども!ご褒美に鉛玉をくれてやる…ん?」


 ギルバートはそんなことを口走りながら引き金を引き続けていたが、女性がネスト・ムーバーに近づいて来た事に気づくと、下にいたルーサーに中に迎え入れてやれと告げた。女性が倒れこむようにして乗ると、レイチェルはすぐにアクセルを踏み込んでそのままネスト・ムーバーを走り出させる。


 薄着だった女性にコートを着せ、飲み物を与えてからルーサーは運転席にいるレイチェルの元へ向かった。


「セラムは待たなくて良かったの?」

「敵が出たから先に行けってさ」


 レイチェルの声色には戸惑いや迷いが一切感じられなかった。まるで友人から待ち合わせに遅れるという連絡が来たとでも言っているかのように軽いものであったことにルーサーは困惑した。


「だって敵なんだよ!?助けた方が…」

「下手に余計な事をして全員ピンチに陥ったら元も子もないでしょ?それに…あいつなら大丈夫よ、たぶん。今まで散々見てきたんだもの」


 そうやってルーサーを強引に諭しながら、レイチェルは他の仲間達に無線で呼びかけ続けた。

 伝言を聞いた女性が必死に店の外へ出て行った後、セラムは改めて男の方を見る。男は特に何を言うわけでも無く、ただ静かに歩み寄る。セラムは刀を二本とも鞘から抜き、片一方を牽制代わりに前に突き出した。


「ディバイダ―ズだな」

「…御存知でしたか」

「今、俺達を狙う奴らなんてお前らかグリポット社ぐらいのものだ」

「ほう、そこまで把握しているとは…」

「その手の話に詳しい知り合いがいるんだ」


 そんな会話を続けていた二人だったが臨戦態勢である事には変わらず、少しづつ距離を取りながら隙を伺い続けていた。


 やがて待ちきれなくなったのか、互いに立ち止まった。あの化け物達が襲いに来ないのが少々不思議ではあったが、恐らくギルバート達によるものだろうとセラムは考える。


「では、話はこのくらいにしておきましょうか…」

「言わなくても分かるだろう」


 男が笑顔でそう言うと、セラムは準備万端である事を遠回しに伝え、静かに構えた。


 男も腰からサーベルを引き抜き、両手に携える。

「六対…二です」

「質を蔑ろにする馬鹿はいつもそうやって数に縋るんだ」


 自慢げに六本のサーベルを掲げる男を、セラムは小馬鹿にした。流石に何か思う所があったのだろうか、男の顔が少しひきつった様に見えた。


 次の瞬間、触手の一本が驚異的な速さで突きを放ってくる。上体を少し逸らしてそれを躱すと、セラムは一気に距離を詰めた。男はすぐに他の触手達で迎え撃とうとするが、セラムが片手に持っていた刀を投げつけ、直後に煙幕を落としたことによって見失ってしまう。


 触手に刺さった刀を慌てて抜き、煙を振り払おうと軽くサーベルを振り回していた時だった。男は何か重いものが床に落ちるのを聞いた。そして自身の背中が少し軽くなったのを感じると、その音の正体にようやく勘付く。煙が晴れた後、床に目をやると自身の触手が一本切り落とされていた。


「数だけじゃ埋まらない差っていうものを教えてやろう。」


 セラムの機械的な声と冷淡な表情は、男に戦慄と恐怖を与えるのに十分な材料であった。

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