第26話 再会

 二人は少々の間思考を巡らせながら、目の前の胡散臭い男の話が信用に値するのかどうかを見極めようとしていた。


「一つ聞かせて欲しい。仮に噂がクロだったとして、それを元手に潰せたところであんたに何の得がある?」


 判断材料が不足していると感じたのか、セラムはミハイルに尋ねた。てっきり二つ返事で了承を得られると考えていたのだろうか、ミハイルは意外そうにしている。


「どうやら私は疑われているようですね…おおよそ話が上手すぎるといった所でしょう。勿論、正直にお話ししますよ。噂の真偽を確かめようにも警察は取り合ってくれません…恐らく歓楽街を仕切っている元締めからの賄賂によるものです。つまりその元締めさえなんとかできれば…警察も味方をする理由が無くなる。すぐに不都合な情報を握りつぶすための捜査が始まるでしょう。それに乗じて私は仕事仲間と手を組み、乗っ取るつもりでいます」


 ミハイルは自身の野望をビジネスパートナーとなってくれるかもしれない者達に躊躇い無くぶちまけた。


 セラムは疑心が少し和らいだらしく、頷きながら酒を口にした。

「それで自分達が儲けられるからって事か…あなたに私達を騙すつもりが無いっていう事を証明できるものは無いの?」

「そう仰ると思いまして…こちらを用意しました」


 セラムに続けてジーナから質問されると、ミハイルは部下に黒く小さな鞄を持ってこさせた。


 ミハイルからの合図で部下が開くと、そこに入っていたのは積み重ねられた札束であった。


「前金の四千万ルゲンになります。もし引き受けてくださるというのであれば、この場ですぐにお渡しします。仮に失敗をしたとしても返金しなくて結構です。そして仕事が上手く行った暁には、さらに六千万支払う事をお約束しましょう。先程言った通り、あなた方の欲している情報と合わせてです」


 まるで路上にいる叩き売りの様に顔色を伺いながら、ミハイルは彼らに改めて報酬の内容を強調した。


 結局依頼を承諾した二人は帰路に就きながらも、複雑な心持のまま沈黙し続けていた。


「…やっぱり何か裏がある気がする」

鞄を片手にジーナはボソッと言った。


「…だな」

セラムも神妙な顔つきで返した。


 ネスト・ムーバー専用の区域に差し掛かった時、背後から視線を感じたセラムが振り返ると、不良達に私刑を加えられていた先程の少年が物陰から見ている事に気づいた。少し痣の残る顔がこちらからの視線に気づくと、慌てて引っ込んだのを見てセラムは静かに近づく。そして少年が再び顔を出そうとすると、目の前に立ちながら「ばぁ」と言っておどけて見せた。


 驚いた少年は体が一瞬だけ強張ったようにブルッと震えたが、すぐに落ち着いた。


「あの、さっきはありがとうございました。いきなりの出来事だったので思わず逃げ出しちゃって…」

「まあ、それが正しい反応よね」


 少年からの弁解にジーナはフォローを入れてから、冷ややかな横目でセラムを見た。セラムはバツが悪そうに首を傾げていたがどうでもよくなったらしく、少年になぜスリをしていたのかを問いかけた。


 少年はどこか陰のある顔と声で親がギャンブルに負けて借金を作ってしまった事、そんな中で母が稼げる仕事を見つけたと出かけて戻って来なくなっている事を語った。


「何でこんな事になっちゃったんだろうって…だからお金があれば母さんも戻って来るかもしれなかったから…」


 大粒の涙が少年の頬を伝う。堪え切れなくなったのだろうか、少年の声は震えていた。


「それで盗みに手を出したんだな。同情はするが、君の母さんはどう思うだろうな。怒るか、悲しむか、もしかしたら「そんな事をさせてごめん」なんて言って謝るかも…君とお母さんのどちらの立場であったとしても、恐らくは罪悪感に耐えられなくなる」


 セラムは厳しめの口調で少年を諭そうとしていたが、頼れる相手もいない少年にとっては気休めにすらならなかった。


 木箱に座っていた少年は膝の上で拳を固く握っており、言い返すわけでも無くただ俯いている。セラムの綺麗事を否定できないというのは分かっていた。だが、受け入れたところでここから先どうなるわけでも無いという現実との狭間に立たされている彼に出来る精一杯の行動であった。するとどこからか情けなく、気の抜けるような音が聞こえてきた。少年の表情からそれが腹の虫によるものだと分かると、ジーナは前に歩み寄って少年の前に屈みこむ。


「何か食べる?」



 ――――ネスト・ムーバーの車内、テーブルに置かれた有り合わせの食事を無我夢中で流し込む少年を見て、レイチェルは出来る限り周りの視線から目を逸らしているジーナに笑いかけた。


「何だかどこかで見た気がするわね」

「…うるさい」


 わざとらしく言うレイチェルに照れ隠しの暴言を呟きながらジーナは自分が食事を出された時もこんな光景だったのだろうかと僅かに羞恥心が湧き起こった。


「まあ気晴らしには最適かもな…っと。よう坊主、気分は晴れたか?」

 

 シモンは2人の会話に相槌を入れてから、少年の向かい側に座った。


 いきなり見ず知らずの男に話しかけられたせいで少年は少し困惑しているようだった。


「おっと自己紹介が遅れたな。俺はシモン・スペンサー、しがない便利屋をやっている者だ」


 シモンはそう言うと、顧客にするのと同じように少年にも握手を求めた。恐る恐るではあったが少年もそれに応じると、シモンはコップにジュースを注いでから話を始めた。


 ジーナ達に話した事と同じ内容を一通りシモンは聞いた後、シモンは指を鳴らして少年を見た。


「よし、分かった。どうせ俺達もその歓楽街には用がある…仕事ついでに出来る限り調査をしてみよう」

「ホ、ホント⁉ホントに⁉」

「ああ、信頼してくれ。おじさんは嘘が大嫌いだからな」


 純粋な瞳を輝かせながら何度も確認する少年に対してシモンは得意げに言いながら少年を見送った。


 少年が街角に消えると、シモンは笑顔をそのままに溜息をついてから、ソファに座り直した。


「正直言ってもう手遅れだろうがな…」


 露骨な気怠さを漂わせながら、雑誌をパラパラとめくるシモンはそう言った。


「まあ、やらないよりは良いでしょ?見栄を張った以上、裏切っちゃったら可哀そうよ」


 そんな彼に対してレイチェルは優しく叱咤しながら、ルーサーと共に皿を洗っていた。


 一通り家事が終わり、そろそろ床に就こうと全員で寝室へ向かおうとしていた時だった。激しくドアを殴打する音が聞こえたかと思うと、シモンにとってどこか聞き覚えのある声が彼を呼んでいた。もしやと思ったシモンがドアを開けると、息を切らしたロバートが立っていた。


「どうした急に?」


 危機感のない声でシモンは彼に尋ねた。


「ハァ…やっぱり…運動不足…ハァ…ああ、いや…大変なんだ。街で妙な…怪物が暴れてるって…歓楽街の方からこっちに来たみたいでよ。手を貸してくれないか?」


 ロバートの話から自身達が引き受けている依頼との関連性が全員の頭をよぎった。


 すぐにロバートを返すと、一同は急いで仕度に取り掛かった。


「念のため、すぐに動かせるようにしておいてくれ」

「了解」


 銃を用意しながらシモンはレイチェルに指示を飛ばすと、ジーナとセラムを引き連れて街に繰り出していく。最後にネスト・ムーバーから出ようとしたジーナは不意にレイチェルからの呼び声に反応して振り返った。


「籠手の名前さ…「タウラス」っていうの考えたんだけど、どう思う?」

「んじゃ、それで」

そう言うとジーナは二人に続いて外に飛び出していった。


 レイチェルが満足げな表情でネスト・ムーバーのエンジンを掛けて待機をしていると、助手席にルーサーが移動してくる。


「あの状況で聞く必要あったの?」


 ルーサーが不思議そうに聞くと、レイチェルは人差し指を横に振りながらルーサーを見た。


「せっかく特注の武器なのに名前も無いんじゃ量産品みたいで嫌でしょ?それに閃いちゃったから忘れないうちにと思って」


 自身の拘りを語るレイチェルにルーサーは笑いながらも素っ気なく返しながら、飛び出していった三人の無事を願った。


 街中を駆けるシモン達三人は、遠くから雑多の人々がこちら側へ向かってきているのを確認した。異変の起きているおおよその方角が分かると、さらにペースを上げて走り出していく。ようやく街の中央に差し掛かった時、シモンが息を上げながら「最悪だ」と呟いたのが二人には聞こえた。視線を彼方に向けたジーナは驚愕すると同時に植え付けられた恐怖、そして憤怒が心の奥底から静かに這い寄って来るのを感じた。


 彼らの視線の先にいたのは、一体の巨大な人影であった。上半身には何も纏っておらず、筋繊維を剥き出しにしたグロテスクな異形の姿。そしてその人間であった面影すら残していない不気味な顔は、燃え盛る建物や車両を蹂躙しながら周囲を見渡していた。その姿にシモンとジーナはどこか見覚えがあった。


「あいつ…生きてたの…!?」

「いや、同じくらい不細工だが俺達が見たのとは違う物だろう」


 忘れる事も出来ない過去の記憶がぶり返し始めていたジーナをシモンが落ち着かせると、これから起きるであろう事態に全員が覚悟を決めた。

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