第25話 憤り
シモンのどこかおぼつかない足取りや体からする酒の残り香もあってか、結局二人は来た道を引き返してネスト・ムーバーへと戻った。車内に入ると先程まで談笑していたと思われる三人が予定より早く帰ってきたシモンとセラムに驚いていた。
「早かったわね…って酒飲んできたでしょ」
呆れ顔のレイチェルに構わず、シモンは洗面所に向かった。
「すまない、あいつの顔馴染みに会ってな。俺は飲まなかったが」
シモンを擁護すると同時に自分は問題ないとセラムは主張する。レイチェルはまあそんな事だろうと考え、諦めた様に首を振った。
シモンがそんな状態であったため、彼が洗面所から戻ってくる前にセラムは先に行ってしまおうと再び外に出ようとした。
「ねえ、じゃあ私が一緒に行こうか?」
ジーナはセラムを呼び止めて自身の同行を提案すると、笑顔で承諾した。二人が去った後にシモンが戻ってきたが、勝手に留守番を任せられてしまった事に少々憤慨した。
改めて殺伐とした雰囲気の街を通りすがるセラムとジーナだったが、不意に路地裏が騒がしい事に気づく。何かが引きずられ、ゴミや物にぶつけられてたのであろう乾いた音や怒号が耳に入った。何も言わずに音のする路地裏へと進んでいくセラムに呆気に取られていたジーナは慌てて彼の後を追いかけた。
路地裏では一人の少年が数人の不良達に囲まれ、今にも泣き出しそうな顔で地面に這いつくばっていた。不良はゲラゲラと笑いながら子供の腹を蹴り追い討ちをかけるなど、倫理観をどこかに捨て去っていそうな素行を繰り広げる。
「オイ見ろよ。こいつ泣いてるぜ?」
「あのなあ坊主。悪いのはお前だろ?人の財布盗んだらダメだって教わらなかったのか?」
そうは言ったものの、不良たちは少年の返答を待たずに無理やり引き起こして羽交い絞めにした。
そんな時、周囲から微かにどよめきが起こった。それに気づいたリーダーらしき男は仲間たちの視線の先にザーリッド族の男とノイル族の女性が立っていた事に気づく。彼らは妙に物々しい雰囲気を放っていた。
「なんだよ、デートか?場所が悪いぜ。ここは今貸し切りなんだ」
「邪魔されるのが嫌なら見張りでも立てろ間抜け。スリとはいえ子供相手にやりすぎだ」
不良たちからの揶揄いに対してセラムは辛辣に答えた。
「これは躾だよ。同じ過ちを繰り返さないようにちゃんと教育してやるのが大人の役目だろ?」
リーダー格の男は上手い事を言ったつもりなのか自慢げな顔をして笑った。
「寄ってたかって子供を甚振るしか能の無い奴らが教育を語るのか。見事なジョークだ…教育者より漫才師の方が向いているよ」
セラムが鼻で笑いながらそう切り返すと、流石に腹が立ったのかリーダー格の男から笑顔が消えた。
先程までのお気楽そうな空気が鳴りを潜めると、後ろにいた子分がセラムの持っている武器に気づく。
「…あいつ刀持ってるぜ…なんかマズくないか?」
小声でリーダー格の男に向かって相談するが、彼は鼻でせせら笑った。
「どうせ使う度胸なんか無いさ。」
手短にそう言い返すと、ナイフを取り出しながらセラムに近寄っていく。
セラムは自身の目の前でチラつかせられるナイフに気を配りながら、男を見返す。
「ほら、どうしたビビッて声も出ねえか」
得物を片手に調子づいている男はセラムを煽って見せた。
「何の真似だ?」
しかし直後にセラムから出たその言葉が挑発や扇動ではなく、本心からの疑問であるという事はイントネーションからも見て取れた。
「あ?」
男がそんな素っ頓狂な声を上げた時だった。気が付けば、自身の手首に出来ている大きな引き裂かれた傷から血が流れていた。
刃物によるものだと分かったのはセラムがいつの間にか手に握りしめていた血のついたカランビットナイフを見た瞬間であった。腕に力が入らず、思わずナイフを落とした。手に何かされたという事を実感した後に、ようやく鋭い痛みが瞬時に腕中に伝わった。血もとめどなく溢れ続けて路上に滴っている。
「う…腕…!腕が…!」
リーダー格の男はその場にへたり込みながらわめき続けた。呆気に取られていた仲間達もようやく事の重大さを把握し、駆け寄ってくる。歯向かう気にもならなかったらしく「失せろ」の一言を皮切りに、リーダー格の男に肩を貸しながら路地裏のさらに深い闇の中へ消えていった。
どうやら少年も逃げ出してしまったらしく既にもぬけの殻となった路地でセラムとジーナは突っ立っていた。
「…お礼ぐらいは欲しかったな」
「あんな物を見せつけた癖に?」
図々しい発言をするセラムをジーナは冷笑すると再び目的地に向けて足を進めていった。
巨大な道化師を模した立体的な看板が妖しく光るカジノこそが今回の依頼主との待ち合わせ場所であった。中は眩いシャンデリアや黄金色の装飾に彩られ、特注で作らせたのだろうと思わせられる服飾を身に纏った人々がスロットやルーレット、様々なテーブルで繰り広げられているカードゲームを楽しんでいた。
「申し訳ございません。当店は会員制となっております故、一般の方々のご入場はご遠慮いただいております」
「シモン・スペンサーの使いが依頼について話を伺いに来たと…オーナーに伝えて貰えないか?」
入店を遮った店員にセラムがそう伝えると、店員は一瞬だけ怪訝そうな顔をしたが、すぐに物腰の柔らかそうな顔で彼を見た。
「かしこまりました。確認を取りますのでしばらくお待ちください」
そう言い残すとスタスタと軽やかな足取りで店の中へと入って行った。
場違いな服装の二人組として周囲から奇異の目に晒されていたが、しばらくすると奥から先程の店員と共に一人の初老の男性が歩いて来た。青い瞳が目立つ、笑顔を常に浮かべている不気味な男だった。頭頂部の髪の薄さも気になったが、男は笑顔で二人と握手を交わす。
「よくぞ御出でくださいました。私、当カジノのオーナーをしていますミハイル・ステインです。以降お見知りおきを…ところでセラム・ビキラさんとジーナ・クリーガァさんですね。お話には聞いていましたが、スペンサー殿はどちらへ?」
自己紹介を済ませたミハイルからの問いに、セラムは大急ぎで言い訳を考えた。
「職業柄もあってか忙しい身で…急遽別件についての調査を行わなければならない事態となってしまい、我々が代理として来る事になった」
真に受けたのか、感心した様に頷いて反応するミハイルに対して二人は少し罪悪感が湧いた。
シモンの名誉を守るための嘘をついた後、立ち話を続けるのも酷だという事で2人が通されたのは彼のオフィスであった。奇妙な姿をした熱帯魚が無駄に広い水槽の中で贅沢に泳ぎ回っており、大理石で出来た床には照明や人影が鏡の様に映し出されていた。案内されるがまま座らされたソファーの前にはテーブルがあり、豪勢な雰囲気を放つ皿に乗せられた果物が灯りに照らされ輝いていた。葡萄や林檎…中には見慣れない星形の果実が輪切りにされて添えられている。
「どうぞこちらに…こんなもおもてなししか出来なくてすみません」
琥珀色の酒を入れたグラスを二人に渡しながらミハイルは言った。
場合によっては嫌味とも取れる言葉だったが、二人はそういった本音を心に留めつつも話を始める。
「知り合いの情報屋や知人達から噂や評判は耳にしておりましたが、まさかこうして直接お会いできるとは光栄です」
二人はハト婆やかつての依頼人達が余計な事を吹き込んだのだろうと察し、過剰な期待によって難題を押し付けられるのではと少し危惧した。
ミハイルは空いているグラスに酒を注ぎながら話を続ける。
「つかぬ事をお聞きしますが、こちらに来る前に街の様子はご覧になりましたか?今更お聞きするまでも無いでしょうが…どう思われました?」
「控えめに言って世紀末?」
ミハイルからの問いにジーナは率直な感想を述べた。
セラムは一瞬突っ込みを入れそうになったが、ミハイルが微笑んだのを見て言葉を引っ込めた。
「歯に衣を着せぬ言い方ですね…嫌いでは無いですよ。かつては食材の商業取引やリゾート地によって栄えていたこの街の面影はどこにもありません。私はこの街に出来た歓楽街の影響であると睨んでいます。急速な開発によって作られた物ですが、違法賭博や風俗…それに溺れてしまった人々の不の波が生活にも影響を及ぼしていったのでしょう。たちまち失業者や犯罪者が増加しました。両親が蒸発してしまい、取り残された子供が盗みで生計を立てる事も珍しくないと聞きます」
演技なのか定かでは無いが、悲しげな顔を浮かべながらミハイルは話した。
ジーナはカジノを訪れる前に出くわしたスリの少年を思い出し、彼もそうだったのだろうかと物思いに耽っていた。その最中、セラムが訝しみながらミハイルを見ている事に気づく。
「あんたはどうなんだ?カジノを経営しているんだ。端から見れば人の事を言えた義理ではないと思うがな」
セラムからの問いにミハイルは少々驚いていたが、すぐに穏やかな調子に戻った。
「ですから会員制にしているんです。こちらにいらしている方の多くは私や同業者が経営しているリゾートホテルから直接来ていただいている方が非常に多い故、その…問題を起こす可能性のある程度の低い方々は立ち入りすら出来ません。当然ですが警備も万全です」
ミハイルは自身たっぷりに答えた。あまりの誇らしげな表情に反論する気が無くなったのか、セラムはただ頷いて話を途切れさせた。
少し間をおいてから、ミハイルは再び話を切り出し始めた。確証があるわけでは無かったが、ここらが本題である事は二人にも分かっていた。
「しかし、最近は歓楽街へと足を運ぶ宿泊客も増加しているせいで我々にも損害が出始めているのです。そんな中で例の歓楽街には妙な噂がありましてね…なんでも債務者やホームレスに怪しい仕事を斡旋する存在がいるらしく、引き受けてしまった者の大半は聞くにもおぞましい末路を遂げてしまうと。ここからが本題です…あなた方には歓楽街に潜む悪事の尻尾を掴んでいただきたい。報酬は最大で一億…そしてスペンサー殿が興味を示しているとお聞きしましたので、かつて行われたというオークションに関する情報を知っている限りでご提供します」
そう説明しながら不敵に笑うミハイルの顔には、妖しさや妙な不安を煽らせる雰囲気があった。仕事の危険性は現段階で把握するのは難しいものの、こうも望み通りの報酬を用意されるという事が二人にはどうも腑に落ちなかったである。
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