第15話 新たな力

 ジーナとシモンが怪物を追いかけている一方で、セラムは逃げ出したもう一人の不審者を探すために奔走していた。障害物を乗り越え、時には壁蹴りやクライミング、壁走りも駆使し街を縦横無尽に走り抜けていくその様は、まさしく疾風であった。この並外れた移動能力は彼自身の経歴と、種族としての特徴が見事に融合したことによって生まれた産物と言えよう。


 ザーリッド族は元来密林で生業を立てている種族であった。木々の上に居住区を作り、一定の年齢に達した若者達は奇襲を主軸とした狩りの方法を学び育っていく。その生活文化や体の動かし方、技術が幾世代によって受け継がれていく中でその肉体も次第に環境に適応していった。他の種族を圧倒的に上回る恐るべき体幹やバランス感覚、多少の凹凸であれば引っ掛けてよじ登る事が出来るだけの指の力と強固な爪、危険な生物との戦いによって磨かれていった反射神経は、セラムの生業には持って来いな才能であった。


 セラムはそんな持ち前の才能と長年培った技術を生かし、街の一角にある建物の屋上に辿り着く。すると、フォレストから預かっていた無線からターゲットが付近を逃げているという情報が流れてきた。念のため下見をしておいて正解だったとセラムはほくそ笑み、付近の建物などから逃走経路を予測し、ターゲットの捜索を再開した。


 オービルは、狭い袋小路や鍵の掛かっていない空き家などに逃げ込みながら警察を撒こうと躍起になっていた。ウェイドがどうなったのかは分からない、或いは察してはいたがなるべく考えないようにしつつ、今はただ集合場所であった隠れ家をがむしゃらに目指していた。しかし表通りに二人の警官が周囲を見回しながら立っているのを見つけると、慌ててゴミ箱の裏の隠れた。


 さすがに疲れている様子で、警官は周囲を警戒しながら一息入れ始めた。


「はぁ~…全然見つからねえや。もうこの街を出てんじゃないのか…ったくよ」

ザーリッド族の警官は苛立ちを隠さずに仲間に話していた。


「そういやもう一人いたらしいが、そいつはどうなったんだ?」

間抜けそうな小太りの警官が質問する。


「ああ、それが抵抗したもんだから…フォレスト巡査部長に同行していた便利屋に殺されたらしいぜ。何でも始末される前に化け物に変身したって話らしい」

「化け物!?まさか今追っている奴も…」

「そうじゃないと良いな。ほら、さっさと行くぞ」


 二人の警官はそんな駄弁りを繰り広げながらどこかへと去っていった。だが、オービルはその場で縮こまったまま動けなくなっていた。「殺された」という警官の言葉が頭に残り続け、他の思考をさせる余裕を与えなかったのである。


「……ウェイド…嘘だよね…?」


 人違いだと思いたかった。だがこの状況で警官達に追われ、殺される人間が他にいるわけも無かった。自分をずっと守ってくれると思っていた存在がもういないという事を静かに受け入れると、オービルはすすり泣きながら歩き始めた。


 おぼつかない足取りで表通りに出た時、ふと一台のネスト・ムーバーが停まっている事に気づく。そこから、ノイル族とムンハ族の女性が何やら話しながら出てきていた。奥には自分より少し年上かと思うくらいの、栗色の髪を持つ少年も見える。


 オービルは唐突に昨晩ウェイドが自分に話していた事を思い出した。街に来ている連中は5人組。銃を担いでいるムンハ族の男、大柄で屈強なノイル族の女、金髪を持つムンハ族の女、二本の刀を背負っているザーリッド族の男、そして栗色の髪を持つ子供…とすると、下水道で自分達が遭遇したあの男は…そしてこいつらはまさか…


 点と点が結ばれていく感覚というものを、オービルはこの時初めて理解した。こいつらなのだ、こいつらさえ現れなければウェイドが死ぬ事など無かったとオービルは彼らに対して理不尽な憎悪を抱きはじめた。自身の推測の真偽を確かめるつもりすら毛頭無かった。これ以上何かを失う事も無い自分が、せめてこの忌々しい連中に一矢報いてやろうと決意を固めていく。こいつらにも自分と同じ気持ちを味合わせてやると。


 ウェイドが自分に託したバッグを漁ると、ウェイドが使った物とはまた違う怪しい何かが詰め込まれている注射器がもう一本見つかった。注射は昔から苦手ではあったが、そんな事さえどうでもよくなっていた。オービルはその場にバッグを投げ捨ててフラフラと、しかし確かに標的を見据えて着実に歩を進めた。


 ジーナはレイチェルから渡された籠手を不思議そうに身に付けていた。いざ装備すると、指先まで覆ってくれる上に手の平側は通気性の良い素材で作られている事に気づいた。しかしなぜこれを渡そうと思ったのかはイマイチ分かってない様子で、自信たっぷりなレイチェルとは裏腹に不服そうな顔をする。


「うん、サイズもバッチリ!後は使ってくれればたぶん分かるわ…特に攻撃を防ぐ時にね」

レイチェルは朗らかにジーナに言った。


「防ぐも何も籠手ってそういうものでしょ?…ねえ、アレ…」


 ジーナがレイチェルに言っている意味がどういうことなのかさっぱりだと言い返していた時、ネスト・ムーバーの正面から近づいてくる子供の存在に気づいた。


 子供は虚ろな目をしていたが、明らかに自分達を狙って近づいて来ていた。片手に持っている注射器は針の保護キャップを既に外しており、ある程度近づいてくるとそれを袖を捲っている右腕に刺した。ジーナは確かにその注射器に見覚えがあった。それは思い出したくもないあの光景と、憎き仇を思い出させるにはあまりにも十分すぎた。


 少年は喉が裂けるような悲鳴を上げ始めた。地面にのたうち回り、やがて四つん這いになると、少しづつ体が膨らんでいく。黒い塊が彼の皮膚を内側から引き裂き、やがて全身が黒く覆われた。気が付けば先ほどまでのいたいけな少年とは似ても似つかない醜い生物がそこにいた。丸太の様に太く厳つい両腕を持ち、歯を剥き出しにしながら唸り続けている。


 姿こそ違えど注射器や頑強そうな皮膚は、かつてジーナが遭遇したスーツの男が従える巨人を彷彿とさせた。


「全員下がって!」


 ジーナは急いで周りの人間を遠ざけると、落ち着き払った様子で対峙する。静かに拳を構えると、醜悪な化け物も彼女の意思に呼応するように唾液をまき散らしながら吠えた。


 ジーナは周りへの被害を抑えるために少しづつ怪物に近づいて行った。怪物もまたのっそりと、しかしジーナに狙いを定めたかのように見つめながら動き出した。道の中央で円を描くように2人は間合いを取りながら牽制し合う。ジーナはレイチェルの籠手に対する説明の意図を確かめるために化け物に対して、手で挑発を行って見せた。


 化け物はすぐさま走り出し、勢いのままに彼女へ剛腕を叩きつけてきた。真正面から飛んできた拳を、ジーナは両腕で防いだ。あの巨人の攻撃と同じように腕や全身にぶつかる衝撃を覚悟したが、妙な違和感があった。確かに化け物の拳を食らっているはずだというのに、防御をしている自身の腕はガードを崩されるどころか、衝撃による痺れさえ感じていなかった。流石に力では押し負けたものの、巨人に食らった時の様な致命傷には至っておらず、本当に攻撃を受けたのかとさえ思ってしまう程であった。


 驚く暇も無く化け物はすぐさま拳を振り回し襲ってくるが、変身する前の巨人と同様かそれにも達しない様なのろさであった。さすがに学習したのか腹や下半身を時折攻めてくることもあったが、防ぐまでも無くそれらの攻撃に対しては回避に徹した。


 この籠手に秘密があるのだとは分かってはいたが今は目の前の化け物を倒す事を優先することにしたジーナは、迫りくる化け物の拳に合わせてカウンターを放つ。やはり巨人ほどの耐久力は無いのか、拳がかち合うと化け物は少しふらついた。


 少し遅れてきたセラムは状況を把握するのに時間が掛かった。というのも、彼が目撃したものは得体の知れない謎の生物と自身の旅仲間による殴り合いだったのである。付近で隠れてみていたレイチェルに近づき何が起こっているのかをすぐに尋ねた。


「レイチェル、あれは一体?」

「凄いでしょ?シモン用の大型拳銃「アルタイル」、あんたの持っている特殊合金を鍛えて作った二本の刀「ジェミニ」に続く新しい発明よ!名前はそうね…」

「それは後で考えてくれ。アレのお仲間にさっき遭遇したんだ。決して生半可な攻撃ではない筈なのになぜ受け止められている?」

余計な事を考え始めたレイチェルにセラムは呆れつつ彼女に説明を求めた。


 少し不貞腐れたレイチェルは、嫌みったらしく説明を始める。


「昨日クロードの店に行ったときに貰った物で作ったのよ。クストスの甲羅…依頼で防弾チョッキを作っていたら素材が余ったって言うからさ」

クストスという生物の事はセラムも以前図鑑で読んだことがあった。


 クストスはバビロンにおいて危険地帯及び環境保護地区に指定されているニール山脈周辺の森林や湿地帯に生息している甲羅に覆われた巨体を持つ生物である。その甲羅は外側からの衝撃を和らげるという性質を持っており、非常に長寿で人前に姿を現すことなく死ぬが、稀に死体から入手される甲羅の一部が高値で取引される事がある。


 そんな生物の素材をクロードが仕入れ、そのおこぼれをレイチェルが頂いたというのが事の顛末であった。


「しかし、加工が難しかっただろう。どうやって形を整えた?」

セラムは図鑑で読んだことを思い出しながらふとレイチェルに聞いてみた。


「夜のうちに刀を借りた」


 レイチェルはただフンと笑いながらセラムの刀を見てそう言った。セラムは面食らった顔をしながら、思い出したようにジーナの手助けに向かう。


 ジーナは攻撃を防ぎつつ、胴体や顔に反撃しつづけた。タフさもさほどなく、今や攻撃さえも恐れるに足らない相手と化していた化け物に対してかなりの余裕を持ち始めていた彼女は、果敢に化け物を攻め立てる。一方で化け物もタダでやられるつもりは無いらしかったが、ジーナは援軍が来てくれたことで負担がさらに軽くなったような気さえした。


 セラムが化け物の背後に立ったのを確認したジーナは、セラムの合図でそのまま標的の元へ駆け出す。セラムが背後へ回り込んだ事に気づいていない化け物は、すぐさまジーナに対処しようとしたが、何か固い物が自身の背後に叩きつけられた様な気がした。セラムが刀で化け物の背中を切りつけており、完全に切断はされなかったが、大きな切り傷が刻まれた。そして、背後からの不意打ちに気を取られた化け物はジーナによる飛び掛かりと、その勢いに任せた顔への拳をまともに食らってしまう。


 ジーナとの殴り合いによるダメージの蓄積に加え防御もままならない状態で攻撃を食らったせいで化け物は、そのまま大きく吹き飛ばされる。受け身を取れないまま地面を転がり、ようやく止まると震えながら立ち上がろうとする。


「あいつは一体何なんだ?」


 セラムは執念深く戦いを続行しようとする化け物を前に疑問と愚痴を孕んだ風に言った。


「さっき現れた子供がいきなりあんな風になったの。どちらにせよ、まだやる気みたい」

「そういう事か…」


 2人がそんなやり取りをしながら化け物を見ていると、化け物は走っているのか歩いているのか分からないような足取りでこちらに向かってきた。


 ジーナにセラムは耳打ちをすると、ジーナもそれに応じる。2人も堂々と歩きだし、化け物との間合いに入った。化け物が最後の力を振り絞り右フックによる攻撃を仕掛けたがジーナはそれを籠手で受け止めた後、顎へ全力のアッパーを放つ。セラムはその直前にジーナを踏み台にしてジャンプをした。パンチの衝撃で宙を舞った化け物の脳天にめがけて剣で狙いを定めるとそのまま突き刺し、頭を串刺しにした剣を着地と共に地面に突き立てた。


 立ち上がりながら剣を引き抜くと、化け物はまだ息があるのか少し痙攣していたが、やがて完全に動かなくなった。


「手伝ってくれてありがとう。もう少し早く来てくれても良かったけど」

ジーナは皮肉交じりの感謝を述べる。


「すまない、状況の整理が追い付かなくてな…まだまだ未熟だ」

セラムは言い訳をすることも無く素直に謝罪した。


 二人が化け物の死体に近づいて調べようとした時、無線から聞きなれた中年男性の苛立っている様な声が聞こえてきた。


「オイ、誰かいないのか⁉援護が必要なんだすぐに来てくれ!場所は――」


 2人はレイチェルや駆け付けた警官達に処理を任せてその場を後にすると、シモンの元へ急行した。

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