第14話 猪突猛進

 セラムは彼らの話に出てきた聞いたことも無い単語に疑問を持った。


「ベヒモス…?」

「まさか、例の怪物と何か関係があるのでは?」


 フォレストもセラムと同じように考えていたらしく、二人は顔を見合わせた。そして、確かめるのが一番であると判断し彼らの元へ急ぎ足で向かった。


 梯子を登ろうとしていたウェイドとオービルは背後からの気配を察知し振り返ると、そこには数人ほどの人物が武器を持って立っている。


「ここで何をしているのか、少し話を聞きたいんだがいいか?」


 先頭に立っていたザーリッド族の男が自分達に話しかけてくるが、その佇まいと眼光から自分達に友好的では無いという事をすぐに理解した。パニックになりつつも、ウェイドは隠し持っていた煙幕を投げつけた。周囲に煙が立ち込める中、自分が持っていたバッグから注射器を手にした後、バッグをオービルに渡す。


「後で追いかけるから先に逃げろ。いつもの場所で落ち合おう」


 戸惑うオービルにそう言い聞かせながら梯子を登らせると、煙の中から静かに近寄って来る人物がいる事に気が付いた。ウェイドはそのまま大急ぎで下水道の奥深くへと逃げていく。


 セラムは何か感情を出すわけでも無く、背中に装着している2本の鞘から一本だけ刀を引き抜いた。片手に携えた後にウェイドの後を追いかける。ウェイドはそのまま逃げ切れると思っていた矢先、何かに足を取られ転んでしまう。膝の痛みをこらえながら確認すると下半身を食われた野良犬の死体であった。


 ウェイドを襲った想定外のトラブルによってセラムはようやく彼に追い付いた。


「一度しか言わない。無駄な抵抗はするな」


 淡々と言いながら近づいて来たセラムに対してウェイドは、震える手で握りしめる注射器を見つめた。万策が尽きた時のためにと言われながら「彼ら」に渡された注射器の中では、黒い不思議な物体が薬品に満たされた透明な筒の中で蠢いている。


 ウェイドは覚悟を決めると、注射器の保護キャップを外す。そして注射器を自身の左腕に突き刺した。セラムが止めようとするも一足遅く、すぐにウェイドは苦しみだした。遅れてきたフォレスト達も何か異常な事態になりつつあると判断したのか、セラムの背後で銃に手を伸ばしていた。


 ウェイドの苦痛に喘ぐ声は次第に慟哭に変わっていった。彼の腕は徐々に膨れ上がり、遂には所々から裂け始めていく。裂け目からミミズの様にうねりながら紐状の何かが溢れ出て来た。それらは左腕を覆い尽くすと一つに纏まり、巨大な腕を作り出した。


 セラムを除くその場にいた者達は、見たことも無いそのおぞましい姿に戦慄した。セラムはその蠢く物がシモンの触手と酷似していると思いつつも、落ち着きながら様子を見た。似てこそいるものの、シモンと違って完全に操れてるわけじゃないらしかった。ウェイドは叫びながらその腕をこちらに振り回して向かって来る。狙いが定まっていないのか、それとも腕が勝手に動いているのかは分からないが、壁や地面に激突するばかりで当たりはしなかった。だが、まともに食らえばひとたまりも無さそうな破壊力であった。


 後ろにいた者の1人が思わず発砲し、弾丸が青年の胴体や腕に命中はしたものの、肉体にもなんらかの変化があったせいか特に何の反応も見せることなくウェイドは迫って来た。


 セラムはフォレスト達と共に咄嗟に少し後退すると、彼に耳打ちした。


「これ以上放っとくと手が付けられなくなってくる。銃を使って腕の動きを封じてくれないか?その隙に俺が奴を倒す」


 そんなセラムからの問いに対して、フォレストは腕の猛威に怯みながらも拳銃をホルスターから抜いて見せる。


「仕方がありません。やってみましょう!」


 フォレストは威勢よく応じ、そのまま狙いを定めて発砲した。弾丸は腕に命中すると、怯ませることに成功したのか動きが少し止まる。これをチャンスと見たフォレストは立て続けに銃を撃ち続ける。


 その間にセラムはウェイドの元へ駆け出した。腰に装着している鞘からナイフを抜くと、何をすべきか瞬時に考える。ウェイドの左腕も敵が近づいているということを察知したのか慌てて暴れだすが、彼の足元へ滑り込みながら紙一重で躱したセラムは、そのままナイフを顔に目掛けて投げた。ナイフが目に刺さった相手が怯んで狼狽えた直後、体勢を立て直しながら背後に回り込むと左手に持っていた刀で彼の首を刎ねた。首が地面に転げ落ちても尚、左腕は暴れようと藻掻くが間もなく切り落とされてしまう。


 左腕はしばらく陸に打ち上げられた魚の様に跳ね回ったが、すぐに静止した。 


「い…一体これは?」


 フォレストは銃を構えながら恐る恐る近づくとそう言った。セラムは特に答えることも無く、刀に染みついている気色の悪い液体を服で拭いながらフォレストの元に近づいた。


「詳しくは知らない…だが、似た様な物なら見たことがある。」


 セラムは何を考えているのか分からない平坦な声でフォレストに言った。その顔は涼しげで、とてもではないが人を殺した者が出来る様な表情では無かった。セラムと自身とでは場数が違うと感じたフォレストは隣にいるそのザーリッド族の男に少々畏怖した。しかし、どうにか余裕を繕いつつ彼に接する。


「何にせよ、こいつの事は倒された怪物と同様に詳しく調べる必要がありそうですな。ここは仲間達に任せて我々はもう一人を追いましょう」


 フォレストの提案にセラムは賛同すると、先ほどまでいた梯子の付近まで駆けていった。


 その頃、シモンは付近にある死体と破壊された鉄格子に近づき、まじまじと見た。付近にある死体は最早肉体と呼べるようなものではなく、腕や足…さらには臓物までもが辺りに散らばっていた。鉄格子は曲げたりしたというよりは何かで砕いたか、千切ったような破損の仕方をしており、生物がやったとするならばその体格や力は計り知れないものである事が分かる。


「待てよ…」


 シモンは鉄格子を見るとそれが自分の立っている場所…つまり内側から破壊されている事に気づいた。


「オイ、ここから先はどこに通じている…?」


 シモンは付近にいた者達に大急ぎで確認を取ろうと叫んだ。すると、一人の職員が震えながら言った。


「…し、市街地です…!市街地に建っている精錬所付近の川に…」

「フォレスト巡査部長と連絡を取れ!すぐに付近にいる人間を避難させろと伝えるんだ!俺達も向かうぞ!」

 

 シモンの声と同時に、無線を繋いで連絡を取ろうとする者とシモンに連れられ外に出る者とで分かれた。


 街を走っていたフォレストとネスト・ムーバーに戻っていたジーナの二人は、すぐに無線からの連絡に気づいた。


「こっちは怪我人も運び終わって怪物の死体も外に運び出したわ。どうかしたの?」

ジーナは手当をしている職員を見ながら無線に話しかける。


「こちらは今逃げ出した不審者の内の一人を追っている。何があった?」

息を切らしつつであったが、フォレストもまた同じように応答した。


「シモンさんからの伝言です!ジーナさんはすぐにそのまま市街地へ向かってください!フォレスト殿は付近の人間に伝えて住民達を避難させてください!さらに巨大な怪物が…下水道を通って市街地へ向かっているみたいなんです!」


 その職員からの連絡にジーナは絶句し、フォレストは驚愕した。しかし、うかうかしていられないと気持ちを切り替え、すぐに行動に移った。


 ジーナはレイチェルにネスト・ムーバーをすぐに動かせないか確認を取り、怪物の死体を管理する者とそうでない者とに分けてから他の仲間達を連れて大急ぎで市街地へと向かう。一方のフォレストは、不審者の追跡をセラムと一部の警官達に任せて残りの人員たちに住民の誘導を行う様に取り次いだ。

 


 ―――街の精錬所付近の川には相変わらずゴミが浮いており、底が見えない程に汚れていた。みすぼらしい老人が竿を使って釣り糸を垂らしていると、気の良さそうな若者が笑いながら老人に近づく。


「また来てたのかい?爺さん、諦めなよ。釣りをするんなら海にでも行った方が良いぜ!こんな場所じゃせいぜい空き缶が関の山だ。」

そんな若者からの忠告に老人は酔っぱらっているのか悪態をついた。


「ふん、言っておれ。今にぎゃふんと言わせてやるわ。」


 頑固な老人に呆れ果てたのか、若者はどこかへ行ってしまう。静かに待っていた老人は喉が渇いたのか、傍らに置いていたビール瓶に手を伸ばそうとする。


 ほんの僅かだが、どこからか聞こえる鈍い音と共に水面が揺れた様な気がした。工事か何かかと思ったが、周囲でそんな事に勤しんでいる者はいない。振動が徐々に大きくなってきた。ビール瓶に入っていた飲みかけのビールさえも波打っている。老人はその揺れを引き起こしている原因が自分の目の前にある大きな暗い穴、下水道の入り口にいる事を悟った。


 次の瞬間、穴に設置されている鉄格子が歪む。暗闇にいる何かが噛みついた事によるものであり、遂には鉄格子が噛み砕かれた。その現実離れした光景を作り出した元凶が暗闇から這い出ようとして来る状況を前に、老人は釣り竿を投げ捨て脇目も振らずに走り出した。


 老人が逃げ出してから間もなく、噛み千切った鉄格子を口の中で咀嚼して飲み込みながら、一歩ずつ鈍重な足取りをした怪物が白昼の川へと姿を現した。その容姿は下水道で調査をしていた者達によって倒されたという例の怪物とよく似ていた。切羽詰まりながら走り抜ける老人を前に人々は何事かと迷惑そうにしたが、彼が走ってきた方角を見るとすぐにその理由を知ることになってしまった。たちまち近隣は混乱と恐怖に見舞われてしまい、フォレスト達からの連絡を生半可な気持ちで聞いていた警官達も事態の深刻さを思い知った。


 シモンは、怪物が通ったと思われる水路を延々と進み続けた。そして出口を見つけると担いでいたライフルを片手に携え直し急いで近づいていく。既に壊されてしまった鉄格子から外に出て、街へ向かうと怪物が蹂躙した後だという事を証明するかのようになぎ倒された街灯や街路樹が横たわり、石で舗装されている道には足跡と思われるへこみやヒビが出来ていた。怪物がぶつかったのだろうか、損壊している家屋なども目に入る。


「安請け合いはするもんじゃないな…」

シモンは出来るだけ周りに聞こえないようにコッソリと呟いた。


 逃げ惑う人々でごった返す市街地付近にジーナ達が乗っているネスト・ムーバーはようやく到着した。ジーナは大急ぎで外に出ようとしたが、すぐにレイチェルに呼び止められてしまう。


「これ渡しとく!」

 

 レイチェルは投げるようにしてジーナに何かを手渡す。受け取って確認するとそれは籠手であった。不思議な光沢のある素材を纏わせており小振りではあるが、想像とは裏腹に重量を感じる。


「昨日の夜から大急ぎで作ったの。最低限しか安全は保障しないけど、良かったら持って行って!」

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