第13話 水面下の暴君

 暗く、湿った下水道の中には足音と雫が滴る音のみが響き渡り、それらが心細さを醸し出していた。流れている汚水には大量のゴミが浮遊しており、そんな環境によってか下水道は人々に対して鼻につく異臭を生み出している。だが、彼らの不安を煽り立てたのはさらに別の所にあった。


「なんだあれは?」


 シモンは歩道の先に落ちている布が纏わりついている何かに目をやった。かなり日が経っているようで布は所々にシミがあり、ハエが集っている。


 一部の電球が壊れており目視での確認が難しかったため、シモンは嫌々ながらも近づきつつ、手袋をはめている左手でそれを触ってみる。固いわけでも無く、かといって柔らかいわけでも無いその何かはゴミなどとはまた違った強烈な臭いを持っていた…腐ったチーズを連想させる様な悪臭が鼻をくすぐると、シモンはすぐにその正体に勘付いてしまう。恐る恐る布に覆われたその物体を掴み、光の当たる場所まで持っていった。


 腕であった。肘から先、恐らくそれほど若いわけではない男性と思われる人間だった物が電球に照らされる。何かにしがみ付こうとしていたのか指が曲がっており、岸に上る直前に殺されたのだろうとシモンは確信した。

後ろでそれを見た職員の1人は耐えられなかったのだろうか、汚水に向かって吐き出していた。他の職員達は吐いている者の背中を擦っている。


「…皆、聞こえるか。殺された人間の腕を見つけた…間違いなく何かいるみたいだ。気を付けてくれ」

シモンは無線機を使って他の仲間達に状況を伝えた。


 話を聞いたジーナは了解と返事をしてから無線機をしまう。会話を聞いていたマイケルも不安そうにしながら周囲を見回していた。


「や…やっぱり怪物がいるんだ」

声を震わせながらマイケルは言った。


「とりあえず、向こうはセラム達がやってくれるとして…私たちはここから奥へ進まないといけないか…ねえ大丈夫?」


 ジーナは怯えている様子のマイケルに呼びかけた。大丈夫だとは答えたものの、どこか落ち着いていない。


 そのまま歩き続けながらジーナはマイケルに話しかけた。


「怖いのなら無理しない方が良いって言ったのに、なんでそこまでしてついて来たの?」


 ジーナからの問いにマイケルは少し黙ったが、大きく溜息をつくと理由を語り始めた。


「昨日見せた写真あっただろ?あの悪ガキ達が撮ったっていう…そいつらの中の行方不明になった内の1人がさ、俺の友達の倅なんだよ」

震える両手で猟銃を力強く握りしめ続けながらマイケルは話を続けた。


「仕事場に遊びに来るもんだから、俺も良く面倒を見ててさ…行方不明になったと分かったら、俺の友達も大泣きしててよ…悪ガキではあったが、俺もあいつも死んで欲しいなんて微塵も思ってなかった。…でさ、青臭え事言うけど、何かしてやりたいって思ったんだ」


 ジーナはそれをただ黙って聞きながら先頭を歩き続けていた。話を聞いていく内に彼女は、この中年が自分とは真逆な存在なのではと感じるようになっていたのである。彼には自分ほどの力は無い。そうであるにもかかわらず、友人の無念を晴らそうと勇気を振り絞ってここまで来ている。自分はどうだろうか?機会とそれに足る力が無いとみるや誰かが倒してくれるならそれでも良いと妥協し、命を助けてくれた恩人たちとの生活に甘んじている。最近ではとうとうその生活も悪くないとさえ思い始めてしまっていた。連邦政府が約束を守ってくれる保証も無いというのに、そんなものを当てにしている自分の情けなさを次第に痛感し始めた。


「…立派な考えね」

「え?」

 ジーナからの言葉にマイケルは素っ頓狂な反応を示した。


「仇が討ちたいからって自分から危険な場所に来たんでしょ?並大抵の根性や精神力で出来る事じゃない…強いのね、とても」

ジーナが歩きながらそう言うと、マイケルは少し顔を明るくした。


「な、何か照れるな!…いやそれを言うんならあんた達だって部外者だっていうのに俺達の手助けを買って出てくれたじゃないか。報酬があるとはいえ、関係のない事だってのに体を張れるって方がよっぽど凄いぜ」


 マイケルは段々と調子を取り戻してきたのか、仕事を引き受けてくれた彼女や仲間達の事を称賛した。


 ジーナは「それが仕事なのだから仕方ない」とあっさり返した。しかし本心では自己嫌悪に陥りつつあった自身の心が、褒められたことによって少し救われたような気がしていた。自分の現状に目を背けているのは分かっていたが、少なくとも仕事が終わるまでは忘れたいと思っていた。


「へへ…なんかあんたに打ち明けたらスッキリしたぜ。よーし、頑張るか!仇討つってのにビクビクしてちゃ、どうにもならないもんな」


 マイケルは決意を改めると、銃の具合をもう一度確認した。そして他の面々と共にジーナの後を追う。


 すると、ジーナが突如足を止めた。ジェスチャーで後方にも指示を出しながら目を凝らすと、別の水路に繋がっているのであろう鉄格子の近くで何かが動いた。ゆったりと動いていたそれは、水の中にいる様ではあったが体の一部が水面に出ていた。明らかに人間ではない。ジーナは後ろにいた連中に準備だけするように合図をした。全員がそれに応じて、銃を取り出す。水中にいるであろう何かは、しばらくその場を漂っていたが、ふとした瞬間に水中へと潜ったかと思えばそのまま浮かび上がって来なかった。


 一行は安堵し、警戒を促すためにジーナやマイケルが周囲に連絡を取ろうとしたその時だった。背後で何かが水辺から引き揚げられたような音がした直後に耳をつんざく様な悲鳴が聞こえた。振り返ると、同行していた職員が異形の怪物に足を噛みつかれ水中に引き摺り込まれかけながらも必死に叫びながら助けを求めている。その怪物は、丸みを帯びた頭部を見せながらそこにある巨大な口で足に齧り付いていおり、歩道に前足2本をかけて踏ん張りながら職員を引っ張っていた。襲われている職員は、辛うじて近くにあった柵にしがみ付いてはいるものの、長くは持たないであろう事が分かる。


「う、撃つんだ!早く!」


 マイケルがそう言いながら猟銃から弾丸を発射すると、他の者達も後に続いた。無数の弾丸の内、一発が怪物の目に当たるとドス黒い液体が溢れ出してきた。苦痛のあまりに驚いたのだろうか、その怪物は口を開きながら野太い鳴き声を上げた後に慌てて水中に潜りこむ。


 職員達やマイケルはまだ恐怖や混乱が収まっていないのか、ジーナに止められるまで無我夢中で水中に向かって銃を撃っていた。ようやく落ち着くと、すぐに噛みつかれた職員の傷の具合を確認した。歯形が右足に深々と残り、まともに動かせなくなっているのか、だらりと地面に伸ばしていた。よく見ると骨にまで深刻なダメージがあったらしく、激痛のためか職員はただ呻き続けているだけだった。


「ま、また来たぞ!」


 手当にしていた他の職員が指をさした先には怪物がこちらに泳ぎながら向かってくる姿があった。鳴き声の大きさや勢いもあってか、かなり激昂していることが分かる。マイケル達もとっさに撃とうとしたが、先ほどの無駄撃ちで弾が切れている事に気づいた。そんな中でジーナは、付近に積まれていた鉄製の太く長いパイプを見てある考えが浮かんだ。恐らく配管の工事にでも使うつもりだったのだろうそのパイプを掴むと、ジーナはそれを肩に担いだ。


「ねえ、ここの深さってどれくらい?」


 ジーナは近くにいた職員に急いで聞く。職員は戸惑いながらも自分達ならば腰が浸かるくらいだと答え、それを聞いたジーナは「分かった」とだけ言うとそのまま下水に飛び込んだ。


 予想にもしてなかったジーナの行動に付近は動揺した。


「ジーナさん、あんた何を!?」


 マイケルの声を無視しながらジーナは、パイプで付近の柵や歩道を叩いて音を出した。怪物もそれに反応し、狙いをジーナに定めて近寄って来る。


「来なよ…かっ飛ばしてやる」


 獲物との距離が着々と縮まり、遂には目と鼻の先にまで来た。怪物は勢いよく水面から出てくると、前足で彼女を抑え込もうと飛び掛かる。次の瞬間、ジーナはパイプを猛烈な勢いで振り抜いた。パイプは怪物の側頭部と思われる箇所に当たり、鈍い音を立てた。そして、ジーナが先ほどまでいた場所とは反対側にある歩道の方向へ吹き飛ばした。


 怪物は壁に叩きつけられると、そのまま地面にずり落ちた。やはり四足歩行だった様で足で藻掻きながら再び立ち上がろうとしていたが、追撃とばかりにジーナが振り下ろした鉄パイプによって頭を叩き潰されるとその場で痙攣しながら横たわった。念のためにジーナは岸に上がって近づき、怪物の様子を確認しようと顔を近づけた。すると、再び吠えながら動こうとした直後、マイケルの猟銃から放たれた弾丸が頭を貫く。そして、そのまま二度と動き出さなくなった。


「や…やったぜ!ざまあ見ろってんだ!」

マイケルは少しはしゃぐように言いながらジーナの元に向かう。


 動かなくなった怪物を落ち着いて観察すると、体長にして5メートルはあろうかという大きさだった。一見オオサンショウウオの様にも見えなくない外見であったが、非常に分厚い皮膚を持っている。4本の足はどれも非常に太く鋭い爪を持っており、確かに飛び掛かるといった事が出来ても不思議ではなさそうな逞しさであった。鋭い牙も持っており、迂闊に触ると危険である事が見て取れ、何よりも目から溢れ出ている黒く粘り気のある液体がこの生物の異常さを物語っていた。


「…とりあえず連絡した方が良さそうね」


 ジーナはマイケルにそう言うと、マイケルは無線を取り出して他のメンバーに連絡を入れた。


 シモンが他の職員達と共に同じ風景しか見えない通路を延々と歩いていると、曲がり角がようやく目に入った。そこをさらに曲がって行こうとした時、無線に連絡が入った。


「皆聞こえるか?こっちで怪我人が出た!…だけどデカい収穫もあったぜ!怪物をぶっ倒してやったんだ!凄いんだぜ!?ジーナさんがな、俺達を庇う為とはいえとんでもない重さの鉄パイプを軽々と持ち上げて怪物が潜んでいる下水に自分から飛び込んで行ったんだ!怪物も襲って来たんだがジーナさんがまるでバットみたいに鉄パイプを振り回して怪物を…」


 早口で捲し立てるマイケルの話にシモンは驚きと高揚を顔に出しつつ、歩きながら彼に返事をした。


「お、落ち着いてくれないか?よし、とりあえず応急処置が済んでるなら怪我人はそのまま元来た道から外に運んでくれ。俺の仲間がネスト・ムーバーを停めてるから多少の手当ては出来るはずだ。俺達も確認が終わったら、その怪物の死体の…方…へ…」

「ん?なあ、どうかしたのか?」

急に黙ったシモンに対してマイケルは不思議そうにした。


 だが、しばらくするとシモンから重い口調で質問が返ってきた。


「……参考までに聞くが…そいつのデカさは?」

「ああ、大体5メートルくらいだぜ!」

「なるほど…だとするとマズいな」


 シモンはそう言いながら、周囲にある夥しい量の食い散らかされた死体とそれに囲まれている鉄格子が跡形も無く破壊された別の水路への入り口を前に呆然と立ち尽くした。


 その頃、セラムとフォレスト率いる3つ目のグループは、市街地の真下を通る下水道を歩いていた。


「シモン、どうした?何かあったのか?」


 無線を聞いたセラムはシモンに何度も聞いたが、「また後で連絡する」と言われ無線を切られてしまう。


「まさか、ジーナ殿が遭遇したものとは別の何かが…?」

フォレストは動揺を隠せない様子でセラムに話しかける。


「そう考えるのが自然だろうな…話が変わるが、拳銃だけで良かったのか?」

「え、ああ…これですか。ただの拳銃じゃありませんぞ!」

そう言うとフォレストは得意げに取り出した。


 シモンが腰に携えている違法改造した大型拳銃ほどでは無いが、中々の大きさの口径を持っており、よく手入れされていることが分かる物であった。


「クロードという男の店から仕入れた44口径のマグナム弾です。食らってしまえば多少のデカブツであろうがひとたまりもないでしょう!寧ろセラム殿は、刀やナイフだけで良かったのですか?」


 誇らしげに、しかし大事そうに銃を披露するフォレストはセラムの装備について聞いた。


「銃の心得が無いわけではないんだが、刃物の扱いの方が得意なもので」

それを聞いたフォレストは特に反論をするわけでも無く感心するように頷く。


「なるほど、こだわりというわけですな…分かりました。もしもの時の援護はお任せください!」

フォレストは自信たっぷりに笑いながら言うと、セラムも笑顔で返した。


 そうしてしばらく歩いていると、不意にセラムが曲がり角で身を隠すようにして待てとフォレストに合図を出した。フォレストや後について来た者達は静かに、音を立てないようしつつにその場で待った。曲がり角の向こうを少し確認したセラムは、フォレストに曲がり角の向こうを見てみるように言った。フォレストはこっそり除くと、小声でセラムに伝えた。


「ええ、彼らに間違いありません。」

 その奥では茶髪の二人組がマンホールへと続く梯子の前に現れた。


「ウェイド、さっさとずらかろう!」

オービルは焦るようにそう言った。


「分かってるって!しかしあんなにデカくなるなんてなあ…ホントに街をぶっ壊してくれそうだ。ベヒモスか…半信半疑だったけど凄いや」

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