第10話 動き出す影

 長い廊下を歩いた後、奥にある会議室に辿り着いたダニエルとシェイは勢いよくドアを開けた。安物の机と椅子が並べられた部屋の中では既に彼の部下が待っており、全員が只物ではない風格を持ち合わせている。ダニエルは席に着くと、目の前に置かれてあった一枚の写真を見つめた。


「これは…!?」

「ようやく尻尾が見えてきたって所です。シェイ、詳細を頼む」


 写真には一人の少年が数人の大人に連れられてペーブシティの郊外を歩いている姿が映し出されていた。被写体との距離は少し遠いものの、顔立ちなどを認識するには困らない程度には鮮明に映し出されている。驚愕するダニエルを余所に、長髪を持つムンハ族の青年は透き通るような声でシェイに呼びかけた。


 シェイはその声に頷くと、近くの壁に貼られている大きな地図の前に立った。


「その写真はペーブシティに潜伏している仲間達が撮影したものです。資料と照らし合わせてみても、そこに写っている少年があのヘブラス・エンフィールドの息子と見て間違いないかと思われます」

「それは確かなのか?油断させるための影武者だという可能性だって少なくないだろう」


 シェイの説明にすかさず反論をしてきたのが、ザーリッド族の老人であった。赤い瞳でシェイを睨みながら彼は疑問を呈した。


 シェイはごもっともだと言わんばかりに少し黙るが、すぐに説明を再開した。

「確かに可能性は否定できません。しかしノーマン氏にもこちらの情報を提供したところ、この写真に写っているノイル族の女性ついては見たことがあるとおっしゃっていました。どうやら標的の情報を握っていた例のマフィアと関わりがある人物らしいです」


 そういうとシェイはさらに、新聞をダニエルに渡す。そこに記されていたのは連邦政府がディバイダ―ズと名乗るテロリスト…つまり自分達を追っているという事と過去に行ってきた活動の数々を糾弾しているという記事が一面に飾られていた。


「確かな情報筋によると、連邦政府は我々の狙いに気づき始めているらしく、現在の政府職員だけでなく、戦時中の軍の関係者達の身柄を保護しているそうです。勿論それには、ヘブラス・エンフィールドと彼の子息も含まれています…そうなると浮かび上がる疑問はなぜその子息がペーブタウンに、それも連邦政府とは何の関係も無さそうな者達と行動をしているのかという点です」


 そう言い終えるとシェイは長髪の青年の方を見た。彼の視線を受け取った青年は静かに口を開く。


「つまり連邦政府、もしくはヘブラス・エンフィールドは自分の息子を守るために「連邦政府が身柄を保護している」という偽の情報を流した。そして、なぜか政府連中と関係があるそのマフィアに息子を預かってもらう様に頼んだ…っていうのが今回の情報を基に作った仮説だけど、どう思います?」

そう言いながら青年は周囲にいる仲間達の反応を伺った。


 大半は納得した様子だったが、ザーリッド族の老人やダニエルなど一部の面子は腑に落ちないような顔をしていた。


「確かに筋は通っている…だが、こいつが本物であるという可能性は?影武者は複数いるかもしれんのだぞ!」

「保護しなきゃいけない連中が山ほどいるってのに、ガキ一人のために何人も影武者を用意するほど連中が暇だと思うか?ちったあ落ち着けジジイ」


 不満を捲し立て続ける老人を目に傷を持つノイル族の男が乱暴に宥める。なにくそと言い返し続ける老人の罵倒をダニエルは遮った。


「少し落ち着いてくれ…確かにまだ謎は多い。だが、有力な情報がこれ以外に無いとなれば警戒をするに越した事は無いだろう。ベン、奴らの動向は?」

ダニエルは長髪の青年に聞いた。


「すぐに街を出たそうです。方向からして恐らくトゥーノステシティ方面に出たかと」

「トゥーノステか、確かあいつらが居たな…よし、付近にいる連中に情報を送って警戒するように伝えろ。そして…オービルとウェイドに指令を出しておけ。標的の確保とその護衛の抹殺だ。手段は問わない」


 ダニエルが今後の方針を決めると全員がそれに応じ、各々の活動のためにその場を後にした。


「うっかり手伝っちゃって悪かったね。でも初めてにしては上出来な報告の仕方だったよ。まあ、あの爺さんの事は気にしないが吉だから」


 ベンは立ち去る前にシェイに近寄ると彼を労った。シェイも彼に礼を言うと、その場を立ち去る。一人残ったダニエルは椅子に座ったまま写真を見つめながら呟いた。


「ひとまずはお手並み拝見…だな」



 ――――レイチェル達が用事を済ませた後日、淀んだ色をした空の元をシモン達は歩いていた。街の外れにある寂れた倉庫で開催されているというボクシングによる賭博が目当てだったのである。


「なあ、ジーナ。本当にやるのか?」


 セラムはジーナに背後から語り掛ける。今後の生活だけでなく、彼女の身を案じているとも取れる様な言い方であった。


「いいんじゃねーか?俺は好きだぜこういう考え」

「有り金を全て持ってきているんだ。もし失敗したらどうする?当分の間この街から身動きが取れなくなるかもしれないんだぞ…」

「だからと言って俺達が見つけた依頼を引き受けるにしても数日は街に滞在しなきゃならないんだ。その間の生活費を考えても金は持っておいた方が良い。ある程度資金さえあれば、いざって時にこの街からすぐに出ていける」


 心配するセラムに対してシモンは冷静かつ楽観的に自身の考えを示す。そうこうしている内に倉庫に到着した一行は、入場料を払い中に入った。木の柵で囲われたリングを中心に様々な観戦客によって構成された人だかりが出来ており、近づいていないにも関わらず、むせ返る様な熱気を感じたルーサーはふぅっと溜息をした。リングから少し離れた柱の近くではブックメーカーと思われる一人の男が大声を張り上げながら観衆の気を引こうとしていた。


「さあさあ、間もなく試合が始まるぞ!今回は果敢な挑戦者が、我らがチャンピオンとの素手によるバーリトゥードをご所望だ!果たして新たな伝説が生まれるのか!?それとも、血みどろの惨劇と化してしまうのか!両選手の入場後から試合開始3分前までの30分間は受付を行いますので、賭けに参加したい方はこちらで待機をお願いします!」


 リングの付近でジーナが準備運動を始めているとシモンとルーサーが戻ってきた。

「あとの二人は賭けに参加するからブックメーカーの所で待ってるとよ。それと…坊主が近くで見てみたいって言うからな」

「えー?シモンが心配だからって言うから来たんでしょ?」


 2人がそんな言い合いをしている傍らでウォーミングアップが終わったジーナはリングに入って上着を脱いだ。


 元々大柄であった彼女の体格と地道な鍛錬が合わさってか、Tシャツの上からでさえも分かる程には逞しい肉体を持つ挑戦者が姿を現すと、観客の中でざわつきが起きた。

「オイ、見ろよ…ノイル族だとは聞いてたが…でけぇな、ホントに女か?」

「腕の太さが大したもんだ…見た感じ下半身もちゃんと鍛えてやがる。あれは伊達じゃねえな」

「お、俺あの子に賭けてみようかな…」

「馬鹿、あのギルフォードが相手だぜ?無駄金にしたくないんならやめとけ」


 これまでとは一味違いそうなオーラを持つ挑戦者を眺めながら周囲から多くの囁きがシモン達の耳に届いていた。ジーナが立っているリングの反対側からチャンピオンだというノイル族の男が現れると、見物人たちから歓声が巻き起こる。まさしく彼の強さと人気を象徴するには申し分のない光景であった。しかし、当の本人はリングに入り挑戦者の顔を見た瞬間、先ほどまでの余裕が顔面から消え失せていった。周囲に悟られないように取り繕ってはいるものの、ジーナはそれを見逃さなかった。


 一方、レイチェルとセラムはブックメーカーに手持ちの金を全部渡すと挑戦者の方に賭ける様に頼んだ。


「おっと…三十八万ルゲンか!随分思い切ったねお二人さん。確かに倍率がぐんぐん上がってるから当たればデカいが…負けたら全部パァだぜ?」

「承知の上よ」


 自信たっぷりに言い返したレイチェルとは対照的に、セラムは最悪の場合はスリでもするべきかなどと考えを巡らせていた。


 間もなく試合が始まる事が知らされると、ブックメーカーも受付を終了した。ジーナはリングの中央へ向かい、妙に落ち着きの無いギルフォードに握手を求める。ギルフォードも渋々とそれに応じる。


「久しぶり…元気にしてた?」

ジーナは小さい声で揶揄うように話しかける。


「何でお前がここに…!」

 ギルフォードは恐れや不快感を言葉に込めているかのように低い声で彼女に言い返す。


「いつだったっけ…借金返そうとしないあんたが私にボコられて、漏らしながら泣いてたのって?街から逃げて今じゃお山の大将ってわけだ」

「あの時とはちげえ…同じ屈辱を味合わせてやる…!」


 屈辱なんざ既に味わってるなどとジーナは思いつつもその場を後にして、柵にもたれ掛かりながら開始を待つ。ギルフォードは反対側の柵に向かい準備を行い始めた。


「…って兄貴大丈夫すか?妙に顔色が…」

「黙ってろ…!」


 心配する舎弟にギルフォードは辛辣に言い放つと柵を離れた。最早チャンピオンとしての矜持など頭に無く、目の前にいる因縁の相手を負かす事以外に何も考える事が出来なくなっていた。今の自分の実力が伊達ではないと信じているだけではなく、ここで決着を付けなければ一生怯え続ける事になるかもしれないという予感が彼の勝利への執念を助長した。


 ジーナも準備が完了したのか柵を離れた。

「ジーナ!頑張ってね!」


 ルーサーからの応援に無言で頷くとジーナは再びリングの中央へ立つ。ギルフォードと同様に構えを取ると、静かにそして冷静に開始の合図を待った。


「終了条件はギブアップかノックアウト!チャンピオンと挑戦者による素手でのガチンコ勝負だ!レディー…ファイッ!!」


 ゴングが鳴ると同時にギルフォードは凄まじい勢いで拳を繰り出した。だが、その拳はジーナの顔に当たる事無く、空を切ってしまった。ギルフォードの攻撃を横に避けたジーナは、彼がパンチを振り抜いた僅かな瞬間に脇腹めがけてボディブローを放つ。拳が体にめり込んでくると、ギルフォードは苦悶の表情をしながらよろけた。決して油断をしていたわけではない。攻撃が来たとしても耐えられるはずだという根拠のない自信を持っていた数秒前までの自分をギルフォードはひたすら恨んだ。


 開始早々ながら思いがけない展開となりつつある勝負に数人を除いて観衆は騒然としていた。


「おいチャンピオン、さっさとやり返せ!いくら賭けたと思ってんだ!」


 遂にはそういった罵声を浴びせる者まで現れ始めてしまう始末であった。言うまでもなくギルフォードも反撃に出るが、まともに命中させる事が出来ない。躱されたり、防がれたりするたびに蹴りや拳が自身の体を痛めつけてくる。それならばと服を掴もうとすれば逆に掴み返され、頭突きの餌食となった。そして次第に反撃も出来ず、ただただ彼女に殴られ続けるようになってしまっていた。


 あの時と全く同じだ、と薄らいでいく意識の中で走馬灯の様にギルフォードは思いだしていた。フォグレイズシティでの金を借りてバックレるという日々はそれなりにスリルがあり、生活にも困らなかった。多少は格闘技を齧っていた事もあり、取り立ててくる連中は腕っぷしで何とかなった。そしてこれからも出来ると思っていたそんな時だった。最後に借りた連中がよりにもよってあのエドワード・ライクの手下だったのが不味かった。


 飲み仲間や連れの女達と酒場のカウンターで飲んでいると、ノイル族の女が尋ねてきた。


「ギルフォードって人を知らない?」


 そんな質問に対して俺がそうだと答えた瞬間、その女は躊躇も無く俺の頭を掴むと木製のカウンターへ叩きつけた。叩きつけられた後に強引に引っ張り上げられると、叩きつけられた箇所が鼻血で濡れているのが見えた。さらに入り口から女の仲間と思われる連中が入ってきた。


 連中は嗤いながら「すぐにでも金を返してくれれば痛い目を見ずに済む」などと言って来た。頭にきて殴りかかろうとすると、女はいつの間にか持っていたガラス製の灰皿を振り下ろしてきた。並の人間なら即死だろうが、ノイル族なら大丈夫だろうという考えもあっての事だろう。頭は割れるように痛かったが案の定死なずに済んだ…むしろ死んでた方が良かったのかもしれんが。そこからずっと連れが見ている前でひたすらにぶちのめされた。何度も殺されると思った。ビビってたのか知らない内に小便を漏らしていたらしい。そのノイル族の女以外は全員が俺を見て笑い始めた。飲み仲間や連れの女達は何もせずに怯えている様子だった。


 幸い”臨時収入”があってか返そうと思えば財布に入ってる金で何とかなりそうだったが、視界や何もかもが朦朧としており、まともに喋る気にもなれなかった。自分を先ほどまでぶちのめしていた女が胸倉を掴んできた。まだやるのかと思いきや「今ならまだ間に合う」と囁いてきた。それに触発されてしまったのだろう、気が付けば財布を地面に投げ捨て必死に許しを請う自分の姿があった。財布を拾い上げて中身を確認した連中は嘲りながら店を出て行っていた。今にして思うとあのまま殺されていてもおかしくなかった…彼女は自分にせめてもの情けを掛けてくれたのだろうか。


 後遺症が残らなかったのがせめてもの救いだった。病院で治療が終わると、すぐに街を抜け出した。あんな場所で再起なんてしようと思わない。今までやってきた事に対しての償いをするつもりも無かった。負け犬としての自分を忘れたい一心で逃げてきたというのに、ようやく忘れつつあったというのに…またこうして彼女が目の前に現れた。あの時以上に冷たい顔と恐ろしい覇気がある…どんな修羅場を潜り抜けて来ればこんな強さを…気迫を手にする事が出来るのだろうか…少なくとも自分には無理だ…負けを受け入れられず…逃げ出す事しか出来なかった自分には…


 立つのもやっとな状態のギルフォードに対してジーナは若干息が上がりつつも、最後の一押しと言わんばかりに腹に後ろ蹴りを食らわせた。ギルフォードはそのまま吹き飛ばされ、柵にぶち当たると膝から崩れ落ちた。一瞬静まり返った会場だったが、すぐに地鳴りのような歓声が沸き上がった。試合終了のゴングが鳴り、観客達は収まりきらない興奮を全員で分かち合った。


 そんな騒々しい倉庫の近くに建てられているボロ家に二人の人影があった。薄汚いマットに寝そべっていた茶髪の少年は倉庫からの歓声に叩き起こされるようにしてゆっくりと目を開けた。


「全然寝られないや…騒がしすぎてダメ…」

「どうせいつもの悪趣味な見世物だろ。つくづく呑気で間抜けな連中だよ」

眠たそうに愚痴をこぼす少年に対して同じ色の髪を持つ青年が答えた。


 しばらくすると青年は、先ほどまで持っていた無線機を机に置いて、少年の元に歩み寄った。


「それよりオービル、指令が来たぞ。なるべく早めにあいつを暴れさせてくれってさ」

「ええ…ウェイド、それはもうちょっと待った方が良いんじゃない?」


 何者かからの指令を伝えてきた青年に少年は反論した。しかし、すぐに首を横に振られてしまう。


「ダメだ…どうやら計画を少し急がせないといけないらしい。それに例の人探しの件だが、どうやらこの街に来てる可能性があるみたいなんだ」

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