第2章

第8話 利害の一致

 けたたましい音量で鳴り響く目覚まし時計を停止させると、男は静かにベッドから出ていった。水垢などて少々薄汚れた鏡の前に立つと、蛇口から出てきた水を手に溜めて優しく顔を洗う。そして剃刀で髭を剃り、歯を磨き、髪に整髪料を付けて整える。一通りこなすと、次に向かうのはクローゼットである。ワイシャツやネクタイ、スーツを順番に来ていく事でようやく彼の日課の一つである身だしなみの調整が終わった。


 軽く焼いたトーストを片手に新聞を読んでいると、ベッドの近くに置いていた無線機に連絡が入った。


「ノーマン様、回収した”ゴリアテ”が到着しました。準備が出来次第、研究室へいらしてください」


 ノーマンはトーストをコーヒーで流し込むと、お気に入りである赤いスーツの襟を正してから早足で研究室へと向かう。


 彼がドアを開けると、怪しい液体で満たされた特大のカプセルに入れられた巨人が白衣を来た部下に囲まれていた。そんな彼らの後方で巨人を眺めている人物がいた。薄汚れた軍服を羽織り、スキンヘッドをした中年の男は足音に気づいたのか強面をノーマンの方へと向ける。


「突然押し掛けてしまい、申し訳ない。話を聞いているといても立ってもいられなくなってな」

男は不敵な顔で挨拶をすると、再び巨人へと視線を戻した。


 彼を見るなり、ノーマンは彼に真横に立ちながら巨人を眺める。


「しかし、驚いたよ。まさかゴリアテが民間人にここまでの痛手を負わされたとはな」

「一人はノイル族の女、リミッターが解除されてなかったとはいえ素手で渡り合っていた。その後トドメを刺したのが誰なのかは不明だが骨折や打撲だけでなく、胴体を貫通してる穴の存在からして、かなり高火力の装備を用いていた可能性がある」


 ノーマンが説明をしている間、男は黙ったまま解説を興味深そうに聞いていた。ノーマンが話し終わると、男は巨人が浸かっている液体で満たされたカプセルに近づいた。


「状況は分かった…それで俺達にどうしろと?」


 男はカプセルを撫でる様に触りながら、ノーマンの方へ振り替える。笑ってはいるものの、その声はどこか苛立ちと不服を感じられるものだった。


「ゴリアテは今回の反省点を活かし、強化と機能の改善を行うつもりだ。いずれは量産も視野に入れてはいるが、それにはまだ時間がかかる。それまでの間に不安要素を排除しておきたい…勿論だが人探しと並行でな」


 それを聞いた男は呆れたように首を横に振りつつ笑った。ヨーゼフ・ノーマン…この男はいつもそうなのだ。金や技術を貸し出しているのを良い事に自分たちを顎で使い、どんな無茶でも出来て当然だと言わんばかりに冷たく指令を下して来る。「信用して力を貸してやってるのだからその分の働きをするのは当然の事だ。」などとおべんちゃらを言うが、実際のところは利害さえ一致すれば自分達でなくても良かったのだろう。


「なあ、探す手間についてはこの際とやかく言わない。ただ…このデカブツを再起不能にしちまう様なヤツを始末するってのに何の支援も無いとは言わないでくれるよな?」

男はノーマンに対する不満を押し殺しつつ尋ねた。


 男からの問いに反応したのかノーマンは少し眉を動かし、彼を見た。


「…ダニエル殿。記憶が正しければ、私は既にゴリアテを除くマハトシリーズ達を君に貸し与えている上に、君の仲間と部下たちにも継承の成果によって生み出した装備を与えた筈だが、これ以上何を求めている?」

ノーマンはそう言いながら、男に冷めた視線を送る。


「ここ最近、連邦政府の動きが活発になっているんだ。あんたが1枚噛んでいる事も恐らくは勘付かれているだろう。エンフィールドの倅を誘拐するにしても慎重にやるべきだ」


 ダニエルは少し語調を強めつつノーマンに反論をした。だが、肝心のノーマンはこれっぽっちも動じた様子を見せておらず、ダニエルの反論を嘲笑うかのように鼻を鳴らした。


「現段階では貴様が私に意見出来る身分だとは思わない事だ。…私からすれば手を切ろうと思えば切れるが、そうされると困るのはお前達だろう?」


 ノーマンからの脅しとも取れる忠告をダニエルはただ黙って聞くしかなかった。実際の所、彼の言っている事があながち間違いではないというのも反論する気を失せさせていた。


 先ほどまでは確かにあった彼への対抗心を完全に失ってしまったダニエルは、溜息をついて研究室から重い足取りで立ち退こうとした。


「やるべき事を果たしてくれれば、私も君たちの目的が達成できるように最大限の努力をしよう。せいぜい期待を裏切らないでいてくれ」


 そんな心にも思ってないであろうノーマンの励ましを背中に浴びながらダニエルは研究室を後にした。廊下を歩き続けて、自分の部屋に入ったノーマンはやり場のない苛立ちを拳に込めて壁を殴った。壁に入ったヒビから拳を離すと、ベッドに倒れこみ仰向けになりながら天井を睨む。


「…何が「期待を裏切らないでくれ」だ。良い気になりやがって…」


 そんな時、部屋のドアを何者かが小突いた。ダニエルが入って良いと返事をするとドアが開き、ザーリッド族の若い青年が部屋に入ってくる。


「ダニエルさん、例のエンフィールドの息子の捜索についてですが、進展があったそうです!もし時間が空いていれば会議室へ来て貰えますか?」

青年は溌溂とした声でダニエルに聞いた。


「ああ、すぐ行こう…見ない顔だが、新入りか?」

「は、はい!シェイと言います!」

「そうか…よろしくな、シェイ」


 ダニエルはそう言いながら青年の肩を軽く、優しく叩いてから部屋を出ていった。青年は嬉しそうな表情を顔に出しつつ、意気揚々と彼の後に続いて部屋を出た。



 ――――灰色に曇った空の下に広がっている海は荒波を立てていた。その沿岸沿いの道をネスト・ムーバーが駆け抜けていく。ネスト・ムーバーが走っている最中、鍛錬に使っているという小部屋でジーナは黙々と腕立て伏せを行っていた。それが終わればスクワットや部屋に取り付けられていた鉄棒にしがみ付いて懸垂を行う。幸いな事にバーベルやダンベルも置いてあったため、それらを拝借してウェイトトレーニングも行った。重量の軽さもあってか完璧に鍛えられるというわけでは無いものの、出来る限り体を怠けさせるわけにはいかないという彼女なりの努力であった。


 一通り終わった後、シャワーを浴びてから部屋着を纏ったジーナは居間へと赴く。テーブルではセラムとレイチェルが談笑しており、ルーサーは一人で本を読んでいた。


「お疲れだな。ソーダがあるが、飲むか?」

 セラムはジーナにソーダの瓶をチラつかせながらテーブルへと誘った。ジーナも喉が渇いていたのか、特に何を言うわけでも無く席についてソーダを受け取る。


「まさかあんな部屋まであったなんてね。何で教えてくれなかったの?」

ソーダを一口飲んだ後、ジーナはセラムに聞いた。


「まさか終わりの見えない長旅に付き合うなんてことになるとは考えていなかったんでな。説明しなくても良いかと思っていたんだ。」

「そんな事言って、自分が使える時間が短くなるのが嫌だっただけなんじゃないの?」


 セラムが理由を説明するとレイチェルがすかさず茶々を入れた。セラムはすぐに否定したが、トレーニングルームに置かれていた刀やナイフを思い出したジーナはレイチェルが言っている事の方が正しいのではないかと考えていた。


 ジーナがルーサーに目をやると、相変わらず読書に夢中なのかこちらへ関心を寄せるような素振りをルーサーは見せなかった。初対面の時からあまり口数が多くなかったこの少年については知らない事が多かったが、それを知るにはまず距離を縮めなければならないとジーナは考え、話題を振ってみようと試みる。


「そういえば、ずいぶん難しそうな本を読んでるのね」

「え、ハイ…昔から結構好きなんです」

思わぬ形で話かけられた事に驚いたのか、ルーサーはたじろぎながらそう言った。


「…ジーナさんは何か本を読んだりってしないんですか?」


 戸惑ってはいるようだが人との会話自体は嫌いでは無いらしく、ルーサーはすぐに質問をし返した。ジーナは質問が返ってくるとは思っていなかったのか少し慌てる羽目になってしまった。


「わ…私はそんなに…昔から漫画くらいしか読まなかったし」

「え、どんな漫画ですか?」

「ほら、「メルトダウン・ナイトメア」とか…」

「へ~意外!そういうの読むんだ」


 恥ずかしそうに自身が読んでいた漫画についてジーナが語るとレイチェルが食いついてきた。ルーサーも作品自体は知っているのか感心しているかのように軽く頷く。


 その後はシモンを除く全員がお気に入りの漫画だとか、子供の頃の思い出話にしばらく花を咲かせていた。ルーサーも打ち解け始めたのか、心なしか相槌を打ったり笑う事が増えた印象であった。そんな中、ネスト・ムーバーが静かに止まりシモンが運転席から戻ってきた。


「そろそろ交代の時間だぜ」

「了解、後は任せて」


 戻ってきたシモンがレイチェルにそう言うと、飲みかけのソーダ瓶を手に取りながらレイチェルは運転席へ駆けていった。


 そしてレイチェルが先ほどまで座っていた場所に座り込むと、周囲の会話が止まっている事に気づく。


「何だか…邪魔しちゃったみたいだな」

「そんな事無いさ。ちょうどジーナの子供の頃の話を聞き出そうとしてた所だったんだ」

「だーかーら、別に大した思い出なんか無いってば…」


 シモンの問いかけにセラムが悪戯っぽい笑顔を浮かべながら言った。そんなセラムに対してジーナは気だるそうに言い返しながら話を避けようとしていた。


「シモンさんも子供の頃に漫画を読んだりしてたんですか?」


 ジーナの気持ちを汲んだのか、ルーサーは話題を変えようとシモンに同じような疑問をぶつけた。


「俺か?まあ、それなりには読んできたな!…っとその前にだ坊主」


 話始める前にシモンはルーサーがいる方向へ少し身を乗り出した。ルーサーは少し驚いたように目を丸くしながら彼を見た。


「ここで生活する以上は今から言う事を守ってもらうぞ。まず、敬語は禁止。それから、さん付けも無しだ。呼び捨てで構わない」

「ええ?で、でも…」

「子供に気を遣わせるってのは良い気分がしないんだよ。ここで協力して生活する以上は、皆対等だ。いいな?」

「…うん。よ、よろしくね…シモン!」

「へへっ合格だ!」


 シモンの強引ではあるものの、親しみの湧きそうな挨拶にルーサーも戸惑いながら威勢よく応えた。そんなやり取りの最中、セラムは時計を確認してから椅子から立ち上がり、背伸びをすると通路に向かって歩いていく。


「ルーサー、昼食作りの手伝いをしてくれないか?家事に慣れる良い機会だ。それに本に関する事についてもう少し色々と聞かせて欲しい」

「うん、分かった!」


 セラムからの誘いを快く承諾したルーサーは彼の後に続いて台所へ向かう。子供であるというのに大した順応力だとジーナは感心した。


「子供ってのは色んな可能性を秘めている。一線を越えたりしない限りは、大人になるまで伸び伸びさせてやるべきだ。そう思わないか?」

シモンは感慨深そうにジーナに話しかける。


「ええ、否定はしない」

ジーナもまた感慨深そうに言った。しかし、その顔には僅かに曇りがあった。シモンはソーダ瓶のふたを開けて軽く飲んだ後、ジーナを見た。


「なあ、ジーナ。フォグレイズシティに戻らなくて良かったのか?」

シモンはジーナに聞いた。


「別に構わない。特に大事な物を置いてたわけでも無いし…そういえば刑務所みたいな部屋なんて呼ばれて揶揄われてたっけ」

「そうか…」


 ジーナの私生活が垣間見えたような発言をシモンは聞き流しながら、ふと彼女が現在置かれている状況を考えた。そして申し訳なさそうに彼女を見つめる。


「すまないな…」

「どうしたの急に?」


 シモンからの突然の謝罪にジーナはキョトンとしつつ彼に聞き返した。シモンはそのまま話を続ける。


「いや、お前との約束の件だよ。まさかここまでの長旅に付き合わせることになるとは思ってなかったんだ。依頼の達成がいつになるのかも分からない…ましてや連邦政府が言っていることが本当なら、お前が仇討ちをする機会をほとんど奪ってしまう事になるだろ?あのノーマンとかいうクソ野郎が直接出向いてこない限りはな。だから正直なところ、不思議なんだ。何でわざわざ協力してくれるのかってな…」


 シモンからの告白にジーナはどう返して良いか分からず、暫く沈黙した。だが少ししてから静かに口を開くと、気丈でありながら優しい口調で語り始める。


「確かに直接ぶん殴れる機会は無くなるだろうけど、相手が相手だから仕方ないって割り切っている。政府が動いてキッチリ始末してくれるんならそれはそれで悪くない。勿論、ちゃんとやってくれればの話だけどね?…それに、納得行かないからって別れたとしても私一人で出来る事なんてたかが知れてるし、連中の元まで辿り着けたとしても歯が立つかどうか…」


 ジーナはそこまで言うと一息入れるつつ、窓の外を見た。相変わらず濁った色の海が広がっており、無邪気な目をしたカモメたちが空を飛び交っていた。外の景色から視線を戻したジーナは再びシモンに向き合う。


「こういう弱音を面と向かって誰かに言うなんて夢にも思ってなかったけど、今の私だけじゃどうしようも無いの。とにかくアイツに一泡吹かせたい…だからあんた達に協力する事にした、それだけよ」

「なるほどな…じゃあ改めてよろしく頼む」

「一応言っておくけど、あくまで”同盟”って事を忘れないでね?」

「ああ、分かってるさ。利害の一致による短い仲に幸あれ!」


 シモンとジーナはそう言い合いながら握手を交わした。互いが互いの手をしっかりと掴み、さながら鎖のように固く繋がっているかと思わせるほどの気迫を漂わせている。そして静かに握手を解くと、部屋に充満し始めた芳しい香りに気づく。ふと台所を振り返るとセラムが野菜や肉を炒めていた。隣ではルーサーが鍋に火をつけ水を沸騰させている。なるほど、カレーだと推測した二人は彼らの作業の工程からして当分は待ちぼうけを食らうことが分かったのか、少し窓の外を眺めることにした。


 ボンヤリとモヤがかかった状態の工場群が遠くの海岸沿いに見えた。ペーブシティで見た湯煙とは違う薄汚い煙を煙突から立ち昇らせているそれが現れると、シモンはニヤッと笑い、ジーナに語り掛けた。


「俺のお気に入りの街が見えてきたな…トゥーノステシティ。別名、「バビロンの背骨」だ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る