第7話 無理難題

 コーマックの言葉を最後に沈黙が続いた。困惑や驚きが入り混じる中ようやくシモンは口を開いた。


「…へ?」


 それが様々な感情や憶測の整理がつかない彼にとってようやく口にできた言葉である。ジーナとセラムも同じ様な反応をしていた。シモンは戸惑う様に少年を一度見た後、再びコーマックに目を向けた。あのエドワード・ライクが、過去には自分の上司であり、共に死線を潜り抜け、今やマフィアの親玉となっていたあのエドワード・ライクが死に物狂いで自分に頼もうとしていた仕事とは子供のお守りだったのか?


 3人の困惑が見て取れたのか、コーマックは少し考えるようなそぶりをして、再び口を開く。


「…どうやら詳しくお話しした方が宜しいみたいですね」

「ああ、頼む」

異論はなかった。


「こちらの少年の名は、ルーサー。この依頼におけるあなた方の警護対象です」

「警護しなきゃならないって事は相応の理由があるんだよな?」

「ええ…特にシモン殿、あなたにとっては他人事では無い理由です」


 そういうとコーマックは1枚の写真を懐から取り出して渡した。それを見たジーナは声を上げる。


「シモン、こいつだ…!あの時いたのは…間違いない!」

「やっぱりか…なんであんた達がこいつを?」


 そこに写されていたのは間違いなく、ジーナがあの時見た襲撃犯と思われるスーツの男だった。シモンの反応からするに、彼が収容されていた施設で見たのもこの男だろう。


「その男は我々が今捜索しているヨーゼフ・ノーマンという科学者です…元、ですがね。彼はかつて起きた戦争ではムンハ族が率いる軍で科学者として活動していたそうです。そしてある計画の主任として実験漬けの日々を送っていた。何を隠そうその計画こそが…」

「”継承”…だろ?だがそれが今回の依頼と…」

「どう関係あるのか?と言いたいのでしょう。勿論ご説明しますよ」


 コーマックは近くにいた部下から数枚の資料を受け取ると、それをシモンに差し出した。


「ここ数か月、正体不明のテロ組織によるものと見られる事件が多発しています。ジーナさん…でしたね?あなたの雇い主の殺害に関しても、恐らく彼らの仕業と見て間違いないでしょう。そして…我々が諜報班から手にした情報を整理した結果、その大半が”継承”によって得られた技術や結果を応用して生まれた兵器であると推測しています」


 それを聞いたジーナは彼女が対峙した謎の巨人を思い出した。あのバカげた怪力もシモンと同じ人体改造の賜物であるとすれば納得がいく。


 シモンが資料のページをめくっていくと、彼らが見た巨人の写真が貼られていた。それを見たシモンはある疑問を抱いた。


「確かに俺以外にも被検体になっていた奴はいたみたいだが、生き残った奴はほとんどいなかった筈だ。少なくともこいつに関しては施設では見たことが無い」

「それも当然でしょう。その巨人は戦争の後に生み出されたものだからです。”継承”で得られた成果を基に作られた生物兵器…マハトシリーズとテロリスト達の間では呼ばれているようで、他にもまだ違う種類の個体がいるでしょう」


 シモンからの問いにコーマックは冷静に、そして淡々と答えていった。一切の迷いも無く、今のところは嘘をついているというわけでも無さそうだった。そうなると次の疑問が湧いてくる。


「随分と詳しいようだが、連邦政府といえどそこまで把握できるものなのか?」

セラムは話に割って入るとコーマックを冷ややかな目で見ながら言った。


「そこでうちの出番さ」


 ソファに座っていたハト婆がセラムの疑問に答えた。気が付けば灰皿は煙草で埋め尽くされている。


「こう見えてうちの人脈ってのは恐ろしくてねえ…このバビロンで手に入らない情報なんてほとんど無いよ。その資料に関してもうちの連中がまとめ上げた物が殆どさ」


 弟子の時と同様、フンッと鼻で息をしながら誇らしげにハト婆は言った。ほとんどというのが少し気がかりだが、彼女なら大丈夫だろうという妙な安心感があった。


「我々がヨーゼフ・ノーマンを捜索している理由が分かっていただけましたか?”継承”に関する情報を持ち、このような兵器開発を主導できる様な人間となれば彼以外には考えられないのです」

「それは分かったけど、私たちが子守をしないといけない理由になってないわよ」


 コーマックに対してジーナはすぐに突っ込みを入れた。しかし、コーマックは分かっていると言わんばかりに軽く笑うと「最後のページを見てください」とシモンに言った。シモンが最後のページを見るとそこには少年に関する情報が記されていたが、ふとある項目に目が留まる。


「…なんだと?」


 シモンの驚きの原因が気になったジーナとセラムは両側から資料を覗いた。しかし、彼らもまたシモンと同様に驚愕する事となった。


「そう…この少年は、かつてのムンハ軍のリーダーであったヘブラス・エンフィールドの実の息子です。実験を中止され自身の出世への道を閉ざされたヨーゼフ氏は酷く彼を恨んでいたようです」

「だからその子も彼らに狙われているという事か…まあ確かに坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというからな」

セラムは納得した様子で相槌を打ちながら言った。


「彼らはこの少年を人質に交渉を行うつもりでしょう。恐らくはテロリストたちが掲げている目標…土地の確保とバビロンからの独立が目当てでしょう。我々が護衛できれば良いのですが、エドワード・ライク氏やその他の管轄地域での被害を見るに我々の内部に裏切り者がいる可能性があるのです。ですから我々の人脈の中でも彼らの息がかかって無いと思われる人間に頼まなければならなかった」

「そして巡り巡って俺達に白羽の矢が立ったってわけか。なるほどな…俺達はいつまでその子を預かっていればいいんだ?」


 シモンはコーマックに聞いた。コーマックは少し躊躇うような素振りを見せたがすぐに話し始める。


「それについてですが…明確な期間はありません。我々が彼らの尻尾を掴み、攻撃をするための準備が完了するまでの間といったところでしょうか。報酬や支援についてですが、内部にいるスパイの危険性を考慮すると流出先の分かる大金や物資を動かすわけにはいきません。そのため、報酬の支払いは依頼の達成の完了後となります。」

「ハハハ!いつ終わるかも分からない中でテロリストに狙われ続けるってのに前金も支援も無しか…つくづくお偉いさんってのは現場の人間の気持ちが分からないらしいな。」


 シモンは皮肉を言いながらコーマックを睨むが、彼は少しも動じずにシモンを見ていた。暫し黙っていたが、その後重々しく口を開いた。


「気苦労をお察しします。しかし、現状では連邦政府からの協力には期待はできないでしょう…」

コーマックは部下たちに合図をすると札束を取り出させた。


「これは今この場にいる我々の手持ち金から出したものです。前金とは言い難い金額ですが…せめてものお気持ちです。」


 シモンは意見を求めるかのように二人を見た。ジーナは好きにしてくれと言った具合に軽く頷いた、セラムもまた、お前の判断に委ねるとでも言いたげな表情でシモンを見ている。シモンは少し黙り込んだ後、溜息をつきながら札束を乱暴に受け取った。


「ご協力に感謝します。報酬についても我々に可能な範囲でなら、そちらのご希望の金額をお支払いする事をお約束しましょう」

「…その言葉、ちゃんと覚えとけよ」



 ―――時刻が午前十一時を回った頃、レイチェルは新聞を読みふけっていた。仲間達の帰りが遅いのもあってか暇を持て余していた彼女は、こうした雑用で気を紛らわせていたのである。一度だけ彼らの身に何か起こったのではという考えが頭をよぎってはいたが、すぐに彼らにとってそんな物は要らぬ心配だという結論に至り、昼食の事を考えていた。たまには奮発でもしたいなどと思っていた矢先、ドアが開きジーナ達がネスト・ムーバーに入ってきた。三人の後に続いてルーサーが入ってきたのを見たレイチェルは目を丸くする。


「お帰り…って言いたいところだけど、その子は?」


 シモンはレイチェルにこれまでのいきさつを話した。この少年は戦時中のリーダーだった人物の子息である事、彼らに恨みを持っていたその科学者がテロリストと手を組んでこの少年を狙っている事、ジーナが遭遇した敵はその科学者によって生み出されたものだという事、そして自分たちの役目はこの少年をしばらくの間だけ保護する事など…とにかく覚えている事を片っ端から伝えていった。レイチェルは一通り聞き終えると、何とも言えない複雑な表情をしていた。


「なるほど…一筋縄じゃ行かないって分けね」

「そしてさらに残念な事がある」

 シモンはテーブルに渡された札束を置いた。


「これは?」

「前金だとさ」

「…連邦政府って意外とケチなの?」

「スパイ疑惑がある以上、下手に金や資源を動かせないんだと。因みに任務達成の間は支援も無いそうだ」

「…よく引き受けたわね」

「仕方ないだろ。エドワードさんの頼みを無下にするわけにいかない。それに任務達成後の報酬は言い値を払ってくれるそうだ」

「それまで生きていればの話だけどね」


 シモンから伝えられた連邦政府の無茶苦茶な頼みとそれを請け負ってしまったシモンに呆れと憤りをレイチェルは感じていたものの、すぐに気を取り直しルーサーの元へ行って笑いながら挨拶をする。ルーサーは少し戸惑いつつも返事をする。


「安心して。あなたに八つ当たりするほど、大人げない事なんてしないわ。あなたフルネームは?」

「ル…ルーサー・イザーク・エンフィールドです」

「いいわよ、そんなにかしこまらなくても。私はレイチェル・フィリップス、忙しくなるだろうけどこれからよろしくね!」


 レイチェルがルーサーに話しかけているのを見て、自己紹介をちゃんとしていなかったことを思い出した3人は後に続いて名乗っていく。一通り自己紹介が終わると、シモンはどっかりとソファに腰を下ろして、全員を周り集めた。


「よし…じゃあ皆今後についてだが、今の俺達は問題を抱えている。主に資金面でだ。長旅になるってのにこれだけじゃあ心許ない」

シモンはそう言いながら札束を軽く叩いた。


「そこで街の情報屋に掛け合ったら、連絡先をくれただけじゃなく良い依頼があれば俺達にも回してくれるそうだ。今後は多少危険であっても金払いが良い仕事を優先的にやりながら各地を旅していこう」


シモンが方針を語ると、他の者達は納得したように返事をしたり、相槌を打った。レイチェルは椅子から立ち上がり、札束を手にとるとジーナとルーサーを呼んだ。


「とりあえず買い物に行きましょう。長旅になるから、色々用意しなきゃ」

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