第2話 崩れ去る平穏
フォグレイズシティの郊外、閑散とした空気の高級住宅街をカルロとリー、ジーナの三人は足早に歩いていた。リーが時計に目をやると既に21時を回っていた。
「少し遅れてしまいましたね…」
リーはため息をつきながら言った。
「まあ、仕方ないだろう」
カルロはそう返した直後、急に立ち止まってしまった。ジーナは何事かと思い、カルロを見返すと彼に近づいていった。
「えっと…カルロさん?」
「いかん、私とした事が!ボスへの手土産を買い忘れるとは…」
カルロはやってしまったといった具合に頭を軽く掻きながら空を見上げた。嫌な予感がしたジーナは、急いで目を反らすが、そんな事ではカルロから逃れられるはずもなかった。
「ジーナ、頼む。何でも良いから高めの酒を買って来てくれ!勿論、金は私の財布からで構わん!」
気が付けばカルロはジーナの正面に回り込み、財布を出しながら申し訳程度に頭を下げていた。一方でリーは呆れたとでも言いたいのか、わざとらしく首を横に振った。
「買い物くらいならリーでも良いじゃないですか…そんなに遠いわけではないんですから。」
ジーナは怪訝そうにカルロを見るとそう言った。彼女の言葉にリーは少し顔が強張り、カルロに助けを求めるように視線を送った。それを見たカルロはジーナを手招きし、ジーナが自分の元へ来ると彼女を軽く擦りながらリーに背を向けると小声で囁いた。
「ジーナ、お前はもう俺と組んで長いだろ?だからこれは俺からのご褒美だと思って欲しいんだ」
そう言うとカルロは、彼女に自分の財布を手渡した。ボロボロの財布は少し膨らんでおり、酒を買うにはあまりにも不釣り合いな額が入っている事が分かる。
「酒を買ったら、後は自分の懐にしまえ。財布も捨てるんだ。リーや他の連中に見られると私がタカられてしまうからな」
カルロは財布を彼女のジャケットのポケットに滑り込ませるとそう続けた。先刻、酒場で店主を脅した際と同じように笑顔を見せたが、その顔はどこか優しさを感じるものであった。
ジーナは少し照れくさそうにしながら顔を背けると、カルロの手を払いのけた。
「…すぐに戻りますから、先に向かっててください」
「ありがとさん」
カルロに礼を言われた後、ジーナはそそくさと歩いていった。そんな彼女の背中を見送ってから、不意にリーが口を開いた。
「やぁ~危なかった。感謝しますよ」
「全く…お前も何か言い返せ。お前があいつへのサプライズをしたいだなんて言ったんだぞ」
ルシオは、苦笑しながらそう言った。
他の邸宅と比較すると一回り大きい建物の門の前に、カルロとリーは立った。この辺りでは有名な地主であり、マフィアのボスとしての裏の顔を持つエドワード・ライクという男の所有している物件であった。しばらくすると見張りと思われる強面の男が現れた。男は二人を確認すると、そのまま門を開けて豪邸へと迎えた。見張りに連れられて中に入ると、必要性が分からないほど無駄に広い玄関からきらびやかな家具や装飾に囲まれたリビングと多くの人影が見えた。二人は上着をポールハンガーに掛けると、リビングへと歩いていった。
「ボス、大変申し訳ない。野暮用もあってか遅れてしまいました」
カルロはリビングに入ると大きな声で言った。周りの仲間達からは遅いぞ、さっさと飲もうぜといった野次が上がる。周囲からの声が止むと、奥から杖をついた老人が歩いてきた。彼こそが他ならぬエドワード・ライクその人であった。
「おお、待ちくたびれていたぞ。カルロ、リー…ジーナはどうした?」
「ボス、ジーナのやつは適当に言いくるめて買い物にいかせてます。準備はもう終わったんですか?」
カルロがジーナの所在を伝えると、エドワードは安心したように笑った。
「そうか、それは良かった。準備の方はもう終わっている。さあ、こっちへ」
エドワードはそう言うと二人を案内した。テーブルには食事や酒が並べられ、リビングにいる者達はグラスや皿を片手に談笑に勤しんでいる。
「ところでカルロ、酒場の件はどうなった?」
エドワードはシャンパンが注がれたグラスを眺めながらカルロに聞いた。カルロはニヤリと得意気に笑い、酒場で店主に書かせたサイン付きの契約書をテーブルに置いた。
「ジーナの暴れっぷりが良い脅しになったようで、瞬きする間に書き終えていましたよ」
「よくやった。これで目障りだった薬物取引にも本格的な介入が出来る」
いい報せを聞けたエドワードはカルロにそう言うと、機嫌が良くなったのかシャンパンを一気に飲み干した。そして飲み干したグラスをテーブルに置くと席を立ち、窓の外を眺め始めた。
「ジーナ…思えばあいつがウチに入ると聞いた時は何事かと思ったよ。我々のようなムンハ族とは相容れる事の無かったノイル族、おまけにお前のお墨付きと来たんだからな」
エドワードは静かに呟くと自分の傍らに立っていたカルロを見た。
「初めて会ったのはスラム街でしたよ。金を奪うためだからと不良共を半殺しにしようとしてるのを止めたんです。聞けば家を飛び出し、喧嘩三昧なその日暮らしをしていたんだと。今思えば、物心ついた時からあなたの元で何不自由なく育っていた私とは対照的だった彼女を何とかしてやりたかったんでしょう」
カルロはそう言うと空いていたグラスにシャンパンを注ぎなおし、エドワードに渡した。
「初めて会った時のあいつの目が忘れられない。睨まれた瞬間、ナイフのような眼光なんてのはアイツのためにあるような言葉なんだと感じました。だから、「気に入らない奴を好き放題ぶん殴るだけで金が入る仕事をやってみないか」と誘ってやったんです」
カルロがそう言うとエドワードはお前らしいなとでも言うかのように笑い、後ろにいた部下たちの様子を見ながら言った。
「人事におけるお前の目利きは信用していたが、ジーナに関しては不安もあったんだ。だが、今となっては正しかったと感じている。抗争や今回の様な強硬手段に出る時はいつもあの娘に助けられた」
エドワードは主役が到着してないにも関わらずバカ騒ぎを始める部下たちを呆れつつも愛おしそうに見た後、カルロに真剣な眼差しを向ける。
「ジーナは今や我々の大事な家族だ。改めて盛大に歓迎してやらんとな…しかし、サプライズとはまたリーもお前も粋な事を考えるじゃないか」
「ジーナはこういう類は好きではないのかもしれないんですがね…私としてもちゃんと祝いたかったんです。」
二人はそうやって話しながらテーブルへと戻った。するとエドワードはカルロに耳打ちした。
「…“彼ら”も話を聞くために、ここへ出向いてくれるそうだ」
「もしかしてあの件を引き受けてくれるという方がいたのですか…?」
その直後、玄関の扉を何者かが強く叩いているのが聞こえた。ジーナが来たのだろうと考えたリーは、自分が確認すると仲間に伝えて玄関に行くと、ドアノブに手を掛けた。だが、その時妙な胸騒ぎがした。
(見張りが同行するのだからノックは必要無い筈では…?)
そんな事を一瞬考えたが、酒に酔っていたのもあってかすぐにそんな疑問は消え去った。リーはジーナを出迎えるため、勢いよくドアを開けた。
「ジーナ、ようやく来た――」
――――紙袋に入れたワインの瓶を片手にジーナは、住宅街を歩いていた。唐突に買い物を頼まれたのは納得いかなかったが、何だかんだで得をした事もあってか少し上機嫌になっていたのである。集合場所であった豪邸が見えると、彼女は軽く駆け出した。前に遅刻した事を理由にリーがウイスキーを一気飲みさせられている光景をジーナは思い出していた。あまり酒が得意ではない自分にそんな無茶振りをされたらたまったものではないという考えも尚更彼女を急かした。
角を曲がりようやく門が見えた時、ジーナは足を止めた。彼女の視線の先には、人の力で開けたとは思えない程に奇怪な変形をしている門と、倒れている人影があった。何かが変だ。閑散とした空間に漂う不穏な雰囲気がジーナを包む。ジーナは慎重に近づき倒れている人物を覗きこんだ。
「嘘でしょ…」
事態が飲み込めない彼女は、自分が見た物を信じられず思わず声に出してそう言った。彼女が見たのは、原型を留めないほどに頭を破壊された見張りだった。持ち物や服装で辛うじて誰なのかが判別できる程度であり、顔に関しては凄まじい勢いで何かをぶつけられたかのように潰れ、そのまま地面に叩きつけられたのが分かる。敷地内に入ると他の見張り達が倒れているのが見えた。しかし、彼らの状態を確認出来るほどの余裕は既に残っておらず、ジーナは脇目も振らずに邸宅へと向かっていった。
ドアを蹴破り中へ入ったジーナは、茫然と立ち尽くした。彼女の目の前に広がっていたのは血に濡れた床、滅茶苦茶にされた家具、そして夥しい数の死体であった。門の前で見た死体と同じように体を破壊されている者、銃弾の様な何かで撃ち抜かれたり蜂の巣にされている者、切り刻まれている者など、あらゆる方法で殺されたのであろう仲間達の変わり果てた姿が部屋中に転がっていた。中にはどのような手段を用いたのかは不明だが肉体が細くなり、衰弱した後に死んだのだとしか推測できない様な死体もあり、ジーナの混乱に拍車を掛ける。状況の把握どころか気持ちの整理すら於保つかず、ただその場に突っ立っている事しか出来なかった。
部屋の奥でうつ伏せになっていた何かが動く。それがエドワードであると気づいたジーナは、我に帰ると彼の元へ駆け寄った。
「ボス!一体何が!?」
「ジーナか…これを…」
エドワードは息も絶え絶えに言いながら、封筒を取り出した。
「まさかここまで手回しがいいとはな…アイツに会わせる顔がない…」
エドワードは苦しいのか、封筒を握りしめていた。手や体には血が滲んでいる。エドワードはジーナに封筒を渡すと、両肩を掴んだ。
「それを渡さなければならない相手が来るはずだ…確かに預け…た…ぞ…」
エドワードはそう言ったが最後、動かなくなった。ジーナはエドワードの手を握りしめると、静かに俯いた。仲間を失った哀しみが治まると同時に、彼女の内側に湧いて来たのはこの惨状を作り出した元凶への怒りであった。
「少し不安に思って来てみたが、やっぱりだったか。」
庭から聞いた事の無い声が聞こえ、ジーナは思わず振り向いた。庭の池の近くに二人の男が立っていたのである。一人は赤黒いスーツと手袋を身に纏い、灰色のシャツを来ている中年の男だった。その後ろにはジーナよりも二回り大きく、レインコートとタクティカルグローブ、ガスマスクを身に付けている巨人がいた。スーツの男は、不敵な顔で後ろの巨人と共にジーナに近づいてきた。
「情報を集めている時から、デカい猫を飼っているという噂はかねがね聞いていたよ…だが想定の範囲内だ。」
スーツの男はそう言いながら死体を踏みつけつつ、リビングに入ってきた。
「勘違いしないでくれよ。最初からこうするつもりじゃ無かったんだ。ただ、見張りの連中や誰だったか…そうだリーと呼ばれていた奴が無駄に騒ぐんでな。静かにしてもらうだけだったが、何しろ加減を知らん奴なんだ。」
スーツの男はそう釈明をしつつ、巨人の胸をノックでもするかの様に軽く小突いた。その様子を見たジーナは彼らが犯人であると確信し、明確な殺意を抱いた。気が付けば彼女は、悪魔の如き形相で彼らに殴りかかっていた。
鈍い音と破裂音に似た音が同時に響き渡る。巨人がスーツの男の前に立ち塞がりジーナの拳を掌で防いだのだ。
「せっかくだ…そいつと遊んでやれ」
スーツの男は生気を感じない程冷たい声で言い放った。
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