第3話 予期せぬ助太刀

 「遊んでやれ」というスーツの男からの指示に呼応するように巨人はジーナとの間合いを一気に詰め、握りしめた拳をジーナ目掛けて振り下ろしてきた。ジーナが右横へのステップで間一髪躱すと、巨人の拳はジーナの背後にあったソファーにめり込み、破壊するとそのまま大理石の床に激突した。ハンマー…或いは巨大な鉄球でもぶつけたかのような衝突音の後、床中に亀裂が入っていく。想像を絶する破壊力を目の当たりにしたジーナは、平静を装いつつも畏怖した。


 武器さえも必要としないほどの強靭な身体能力こそがノイル族としての自慢だった。そんな彼女にとってこれはあまりにもショックが大きかったのである。彼女が持っていた戦闘という行為へのプライドや余裕はこの得体の知れない敵の登場によって一瞬で失われたが、そんな事で逃げては皆に合わせる顔が無いと再び気を取り直しこの巨人を相手取る決意を固めなおす。


(落ち着け…相手をよく見て…)


 攻撃をいなしつつ、ジーナは巨人の動き、仕草、装備に至るまでを徹底的に観察する。冷静に見れば、巨人はパワーこそ優れているもののよく見れば動きは緩慢で次に何が来るかさえわかればいくらでも対処が出来そうなものばかりであった。武器らしい物を携行しているわけでも無く、自分と同じように肉弾戦を得意としているのだろうかとジーナは考える。


(パワーでは勝てない…スピードとバネで翻弄して…打ち込む)


 ジーナはどのように立ち回るかを結論付けると呼吸を整え、巨人の元へ駆け出した。彼女に反応した巨人はすぐさま攻撃しようと拳を繰り出してくるが、彼女にとってはテレフォンパンチも良い所である。ジーナは巨人による攻撃を掻い潜り、腹に向かってボディブローを放った。手応えはあったものの、巨人が怯んだようには見えない。それどころか間合いに入ってきた彼女に待ってましたと言わんばかりに膝蹴りを放ってきた。ジーナはすぐにステップで後ろに避けるが、想定していたものとは違う反応に面食らっていた。


 ジーナは近くに転がっていたワインのボトルを掴むと、巨人の元へと駆け出した。巨人はすぐさま拳を振り下ろすが、あっさりと躱されてしまう。巨人の攻撃が外れるや否やジーナはボトルを巨人に叩きつけた。ボトルは巨人に当たると砕け散り、黒紫色の液体が巨人の顔を覆う。巨人がワインを拭う僅かな隙に、ジーナは顎に目掛けてアッパーを放つ。あまりの衝撃に巨人が怯むと、さらに倒されている家具を踏み台にして巨人の顔目掛けてドロップキックを放った。胸に靴底がめり込むような勢いで蹴られた巨人は後ろへふらつき、膝をついた。立ち上がろうとする巨人へ続けざまに肘打ちを行い、床へと叩き伏せようとするも、巨人はすぐさまアッパーを放ち彼女の攻撃を中断させた。


 倒れる気配が見えない敵を前に戸惑う彼女とは対照的に巨人は沈黙したまま再び立ち上がり、彼女へ向かって走ってくる。ジーナは掴みかかってこようとする巨人の手を殴って払いのけ、先ほど行った様子見のボディブローなどとは比べ物にならない程の力を込め、全力の右ストレートを巨人の腹目へと放つ。衝撃のあまり、巨人は大きく後ろへ仰け反る。息も上がってきているのか、壊れそうなガスマスクから唸り声と呼吸の混ざった音が漏れる。


「…ほう」


 しばらく二人の戦いを眺めていたスーツの男が、時計を確認しながらそう呟いた。そして、巨人の方を見ながら小型のトランシーバーを取り出した。


「俺だ…今から十分後にヤツの回収を頼む。地点は俺の座標を辿ってくれ。」


 相手側の返信を待つこともなく電源を切ると、スーツの男はポケットから取り出した小型の注射器を片手に彼らの元へと歩いていく。ジーナはすぐさまスーツの男に殴りかかろうとするも巨人の蹴りで吹き飛ばされてしまう。ジーナが立ち上がろうとする隙にスーツの男は巨人の正面に立ち、首元に注射器を突き刺す。


「ここまで手こずるとは想定外だったんでな。後の事は気にせず好きに暴れると良い。」


 そう言うとスーツの男はどこかへと歩き去って行った。時を同じくして巨人が突如、苦しむかのように悶えながら倒れた。すると体が徐々に膨れ上がり、服を破いていきながら肥大化し始めた。遂には皮膚が破けると、裂け目からドロドロに溶けている肉塊の様なものが煙と共に溢れ出してきた。


 呆気に取られているジーナを他所に、巨人の服に内蔵されていたのであろう装置から大音量のアラームがけたたましく鳴り響く。アラームが鳴り止んだ後、巨人は静かに立ち上がってから服を破き、上半身を露わにする。所々裂けた皮膚からは、体液が溢れ滴り、先程までの太く隆々とした肉体とはうって変わって細く引き締まった姿へと変貌していた。先程の警告と巨人の変わり果てた姿は、ジーナが攻撃を躊躇するには十分な理由だった。足下に出来たどす黒い水溜まりを見るに上半身だけでなく下半身も同じような状態になっている事が明らかである。あんな姿では、腕力どころか脚力まで落としてしまっているだろう。しかし、あの警告が引っ掛かる。もし、危険でないのならわざわざ報せる必要もない…


そんな事を考えている最中であっても、巨人は一歩も動かず、ただただ上の空であった。


(今なら不意打ちで倒せるか…?)


 ジーナがそんな事を考えていた直後、彼女の顔面へ何かが飛んできた。驚いた彼女は、慌てて上体を右に傾けて避ける。飛んできた物体はガスマスクであった。ガスマスクはそのまま壁に辺り乾いた音を立てながら床に転がる。ガスマスクを回避する事に気を取られていたジーナは、おぞましい素顔を晒した巨人が自身の眼前にまで近づいてきていたのにようやく気づいた。巨人の拳を咄嗟に両腕で防御を試みる。


 腕に鈍い痛みと凄まじい衝撃が伝わる。ジーナは辛うじて防いだものの、そのまま後方へと吹き飛ばされた。ジーナは勢いのまま壁を突き破り、廊下へと投げ出された。すぐに立ち上がろうとするが痛みと痺れが腕に残っており、すぐには立ち上がれなかった。筋肉が減ったにも関わらず俊敏さが向上しているという矛盾に困惑しながらジーナはようやく立ち上がるが、その直後に巨人に首を掴まれ持ち上げられる。


 巨人はそのままジーナの腹に目掛けてパンチを放ってきた。ジーナはこの後自分に何が起こるかに勘付くと、せめてもの抵抗として腹筋へ必死に力を込めた。先程腕に走ったものとは比べ物にならない衝撃が皮膚と内臓へと訪れる。腹の中が掻き回されているかのような痛みが広がり、息をする余裕さえも無い苦しみが彼女を襲った。


「おぇっ…ッハァ…ハァ…」


ジーナは涎を垂らしながらも必死に呼吸を整えようとするが、追い討ちと言わんばかりに巨人に蹴り飛ばされる。ジーナはそのまま床を転がり、散らかった床へと投げ出される。その後は散々であった。掴まれては殴られ、掴まれては投げ飛ばされ、そして蹴り飛ばされた。滅多打ちである。


 抵抗する気力と体力も無く、床に伸びているジーナへ巨人がさらなる追撃を仕掛けようとしたその時、背後で何かが動く気配がした。巨人が振り返るとそこには先ほどまで頭を打って気絶していたのか、頭部から血を流しているザーリッド族の男が拳銃を構えていた。


「カ…ルロ…さん?」


 ジーナは息も絶え絶えに巨人の背後で座り込んだままのカルロに目をやった。巨人がカルロがいる方へ体を向けた瞬間、カルロは引き金を引き、銃弾を発射した。放たれた銃弾は巨人の肩に命中するが、巨人には効果が無いようだった。


「ジーナ…!!今のうちに逃げろ…!」


 カルロはジーナに向かって叫ぶと何度も何度も巨人に向かって銃弾を撃ち込む。巨人は銃撃など意に介さずカルロの方へと歩いていく。


「やめて…」


 そんなジーナの呟きも虚しく、彼女の目に写ったのは頭部を掴まれパキ…パキ…と静かな音を立てカルロの頭蓋骨が砕かれていく光景だった。最初は巨人の腕にしがみ付いて呻き声を上げながら抵抗していたカルロだったが、少しすると腕をだらりと垂らし、遂には物音一つ立てなくなった。


 ジーナは悔しさや悲しさが入り混じった心を押さえつけて立ち上がろうとするが、すぐさま巨人に首を掴まれ引き起こされた。もう抵抗する力もほとんど残っておらず、気を失いかけていた彼女はどうにでもなれとでも言うように巨人を見ながら鼻で笑う。それを見た巨人がカルロと同じようにジーナの頭を鷲掴みにしようとしたその時だった。


 大きな銃声と共に廊下から銃弾が飛んできた。銃弾は脇腹に命中し、大きく怯ませることに成功する。巨人が手放した際にジーナは床に倒れこみ気を失った。巨人はそんな彼女には目もくれず銃声のした方を睨むと、廊下の先にある開けっ放しの玄関に人影が見えた。ライディングコートを着て無精髭を生やした男がライフルを構えて立っていたのである。


「やっぱり…手遅れか。てか何だアレ…」


 男は少々困惑したような反応を見せながら、巨人に向けて射撃を行いつつ歩いてくる。巨人は男を睨むや否や唸り声を上げて駆け寄っていく。


「よし、力比べってわけだな?」


 駆け寄ってくる巨人を確認した男はそう言うと銃を投げ捨てた。そして左腕の袖をまくり上げるとに身に着けていたグローブを外した。手袋を外すと無数の縫合跡が残っていた。


 縫合跡が裂け、隙間から夥しい量の触手が溢れ出てくる。やがて左腕はその姿が見えなくなるほどの触手に包まれてしまった。男は苦痛に苛まれながらもニヤリと笑い、無数の触手が蠢く左腕を目前まで迫っていた巨人に向けて放った。巨人は自身へ目掛けて迫りくる触手の塊に成す術もなく衝突して吹き飛ばされると、リビングを突き抜け、庭へと叩き出された。


 男は巨人と距離を詰めつつ左腰に装着しているホルスターから大型の拳銃を取り出す。鈍く光るボディと太い銃身、そして明らかに合法ではない大口径の弾丸が込められたシリンダーが特徴的なその拳銃を左手で掴むと、巨人の方へと向ける。


 男の意思に呼応するかのように触手たちは左手を指先まで包み込んだ。それを確認した男は右手もまた銃のグリップに添える。そして軽く膝を曲げ、狙いを定めると静かに引き金を引いた。耳をつんざく様な轟音がしたかと思うと、巨人の胴体には大きめのコイン程の風穴が空いた。そこから間髪入れずに2発ほどさらに銃弾を食らわせると、巨人は地面に突っ伏したまま起き上がらなくなった。意識はあるのか、小さく唸り声を上げている様子だったが、痙攣するばかりで一向に動きだす気配はない。


 男は巨人が動けないのを確認すると、エドワードの元へ歩み寄る。エドワードが既に死んでいる事が分かると、男は軽く溜息をついた。


「せめて遺言くらい残しといてくれればな…」


 男は溜息交じりにそう言うと、周囲に転がってる死体を見ながら何かを探し始めた。やがてジーナの体に近づくと彼女の服のポケットを弄り、一枚の封筒を手に取る。中身を確認した男は、ジーナがまだ生きていることを確認すると無線機で連絡を取る。


「セラム、来てくれないか?手伝ってほしいことがある。」

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