第2話

 ガゼルに連れられてやってきた場所は、昔俺が住んでいた家だった。

 木造の家で、二階建てのよくある家だ。そこでは俺を抜いた3人の家族が仲良く暮らしていたことだろう。

 その家には人だかりが出来ていた。が、集まっている人の殆どは老人だった。白髪を生やし、腰は曲がってはいないが、筋張った骨のような身体をしていて、今にも死にそうな老人達が集まっていた。

 こんな人たちいたっけ…?そう思いながら、そこへ近づいてみると、老人達全員が一斉にこっちへ向いた。その目に軽蔑の色を宿して。

「そこ、どいて」

 その目に慣れている俺はそのまま言葉を発すると、老人達は素直に一斉に道を開けた。…なんだ?いつもは出ていけ!とか、この出来損ないが!とか暴言を言っていたのに…まぁ、道を開けてくれるなら嬉しいことこの上ないな。


 そのまま別れた花道を通って、開かれた玄関の中を覗くと、ガゼルが言ったように辺り一面に血が飛び散り、絵の具を振りまいたかのような赤が床一面に溜まっていた。その血溜まりの中心には、最後に見た時と殆ど姿の変わらないあの人達が倒れていた。その顔には血色は無く、くすんだような茶色い肌になっていた。そしてその横には、見知らぬ大人の男が傍らに佇んで、唖然と2人を見ていた。

 誰だ…?まぁ、いいか。俺には関係の無いことだ。

 もっと近くで見たくて、家に上がると、ピチャンと水の音が聞こえた。どうやら、こんな所まで血が流れているらしい。

 そのまま歩いて仰向けに倒れている両親の元へ近付くと、鼻の曲がりそうな鉄の匂いと、死臭だろうか、まるでドブの様な香りが漂ってくる。

 そうして仲良く2人で横たわっている2人を見下ろすと、3ヶ月前に見た姿とはかけ離れているあの人達の顔があった。美人で、スタイルの良くて、面倒見が良いと言われ、理想の妻だと周りから言われていた元母親は、まだ面影はあるが、うっすら開いた淀んだ黒い瞳と、だらーんと垂れ下がった口が、もうこの人が人間じゃなくなって、ただの塊になろうとしていることが分かる。綺麗だった黒髪も、今では艶がなくなり、血で固まってしまっている。

 もう一方の、赤い髪の短髪で腕っ節が強く、兄貴分のように慕われていた俺の元父親も、その面影はもう無かった。あれだけ筋肉の盛り上がった身体は萎んでおり、あれだけ逞しいと思った胸板もペラペラの骨のようになっていた。赤い髪も血で濡れて黒くなって、まるで化け物でも見たように顔を引き攣らせたまま動かない、もう事切れてしまっているようだ。村1番強かった男とは思えないほど無様な死に方だ。

 横を見ると、今も尚身体から溢れている血液はどうやら、腹から溢れているらしい。腹の皮膚の下にある赤黒い肉が丸見えになり、中にある内臓なのか分からない紐のような赤いものがデロンと垂れていた。よくよく観察してみれば、元母親は指が全部無くなっており、その断面からは白い何かが見えていた。元父親の方は肩にも傷を負ったらしく、パックリと胸の乳首の辺りまで綺麗に切られている。

 凄いな…一体誰がこんなこと…


「ア……ル」

 足元から声が聞こえた。今にも消えそうな声はどうやら元母親の方が発したようだ。あの人が俺の名前を呼ぶことなんてあの日以来初めてで、思わず反応してしまいそうになる。あの人の顔を見ると、相変わらず淀んだ瞳のままだったが、その瞳は外の光にに照らされてキラキラと輝いていた。

「ご…め………な…さ…い」

 ゆっくりと言葉が紡がれていく。あの人の眼球に涙が溜まっていって、少しでも動いたらこぼれ落ちてしまいそうだ。

「ゆ……る…し……て………」

 皺まみれで、血色もなくなった白い唇がゆっくりと動く。許して?俺は許さないよ。

「許して……?許すわけないでしょ。あなたが僕にした事、一生忘れないから。」

 そう言うと、あの人はゆっくりと目が閉じた。溜まっていた涙が流れていく。

「……ご………め………ん…ね………」

 震える唇をそう動かして、どんどん呼吸が薄くなっていく。

「…あ……………い…………………し………」

 眉が吊り上げて、血の渦の中に溜まっていく滝のような涙を流れ落ちさせながら、あの人はそう言った。どんどん表情が抜け落ちていく。そのまま、スっと身体が軽くなったように浮き上がって、動かなくなった。


 ………どうしてだろう。あんなに恨めしくて、憎かった筈だったのに、鼻の頭が引き攣れるように痛くなって、目頭がゆっくりと熱くなっていく。うっすら目尻が濡れていく感じは、まるで僕が泣いているみたいじゃないか。そんなはずない。この人達は僕の事を………この人は、最期に何を言おうとしたんだろうか。この人は何故謝ったのだろうか、僕がこの人にかけた最期の言葉はこれで良かったのだろうか………

「……お………が」

 低い、低い声が聞こえた。地を這うようなその声の持ち主ばどうやら、僕の隣で呆然と立っている、この謎の男のようだ。この男は赤い髪で、それ以上に燃えるような濃い血の色の赤い瞳を持った男だ。

 この男は眉を顰めて、歯を剥き出しにして身体を震わせながらこちらに問いかけてくる。

「お前が……やったのか?」

「………」

 やってるはずないだろ。そう言いたいが、この男の出す殺気のせいで、口の中がカラカラに乾いて声が出せない。怖い…この男は、少しのことで暴れだしてしまいそうだった。

「お前がやったのかと聞いているだろうっ!!!!」

 ガシャーンッ

「くはっ…」

 背中に衝撃が走る。そして胸から口にかけて空気が漏れだして、息が詰まる。そのまま何があったのか分からないまま背中の骨から発生する尖った痛みが一瞬で全身に駆け巡った。

 だが、痛みの処理で脳がおかしくなったのか、その痛みはスーーッと引いていき、代わりに手先がジンジンと痺れていく。

「なんで…」

 僕は机や椅子の家具を薙ぎ倒しながら、壁に一瞬の内に打ち付けられたようだ。男は僕に手を翳して、こちらをじっと見ている。その瞳は、昔僕を見ていた俺の弟と同じ目だった。

 恨みがましさと、少しの優越感を隠しきれないその瞳の持ち主を、俺は知っている。




「レイジ…」

 この男は、間違いなく僕の弟だ。
























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