第3話

 久しぶりに学校に行くと、色々と変わっていた……なんてこともなく。

 いつもの通学路に、いつもの景色。特段、変わったことなんてなかった。


「……学校、行かなくてもいいのに」

「今しか学校生活は楽しめないんだから、行っとけばいいだろ?」

「お家でゴロゴロしたくないの?」

「したいけど示しがつかないしなぁ……」


 二人して中退なんてことになったら、また何か問題事が起きるんじゃないかとヒヤヒヤしている。

 まぁ、どうなったって愛菜之とは添い遂げるつもりだが、危険要因は減らすに限る。


「まぁ、ちょっと我慢するだけだしさ。我慢した分だけ、あとでいっぱいイチャつけばいいだろ?」

「……いっぱいね?」


 愛菜之は甘えるような瞳と声で、そういって約束を取り付けてくる。俺としては望むところだ。

 この後の楽しみができたと思えば、学校も乗り切れるだろう。愛菜之といると幸せが続く、こんな彼女がいてくれてありがたい限りだ。




 学校に着くと、すぐに視線を集めた。まぁ、ほんの一瞬だが。あんまり目立ちたくないし、たぶん視線のほとんどが愛菜之に行ってるんじゃないだろうか。

 

「久しぶりー! 体、大丈夫なの!?」

「うん、もう平気」


 愛菜之に女子が話しかけてきた。なにがなんだか分からないが、学校にはある程度は伝わっているのかもしれない。

 どこまで伝わっているかも分からないし、あまり迂闊なことは言えないな。


「宇和神くんも大丈夫なの?」

「あー、大丈夫だよ」

「よかったじゃん! あ、あとさあとさー……」


 まだ何か聞かれるのか。あんまり話が長くなると口を滑らしそうで怖いから、さっさと切り上げたいところなんだけどな。


「愛菜之ちゃん庇って大怪我したってホントなの?」


 ……なんで知ってんだよ。




 一瞬の静寂、沈黙が答え。

 何も言わないということはイエス。そう受け取られたのか、その子は目を見開きながら大はしゃぎしだした。


「マジ!? マジなんだ! うわ、かっこいー!」

「ガチだったんだ、アレ……」

「そりゃ、宇和神と付き合うわな……」


 周りも聞いていたのか、愚痴をたれるように色んなところから声が聞こえてきた。なんでこのことが知れ渡っているのか、誰が流した噂なのか。


 色々と聞きたいところではあるが、愛菜之の反応としてはどうなんだろう。それが一番気になるところだ。


「……自慢の彼氏です」


 愛菜之が小さくはにかんでいうと、教室のあちこちから歓声のような声が響く。朝だっていうのにお祭り騒ぎだ。


「男上げたなぁ、宇和神!」

「なに? このノリ」

「素直に喜べよ! つか、おかえり!」


 いいクラスだなぁ、この悪ノリさえなければなぁ。

 たまに喋りかけてくれるクラスのリーダーくんが肩を組んできた。久しぶりだっていうのに、優しいもんだ。

 ていうか皆、愛菜之のリアクションが可愛いから歓声上がってるだけだろ。自慢の彼女を見世物にするんじゃない。

 まぁ、おかえりと歓迎されるのはありがたい。長く休んだ後の学校は受け入れてもらえるかに不安が募ってしょうがないからな。実際のところ、周りはそんなに自分へ興味はないが。


「で、なんで俺が愛菜之を庇ったことが知れ渡ってんだ?」

「噂が流れてんだよ。俺も出所は知らねぇわ」

 

 知らないならしょうがない……そう言いたいけれど、噂が噂なだけにな。あまり知られたくはないし、知られて困ることもある。

 早く根っこを突き止めて、これ以上噂が広まることを止めないといけない。


「ありがと。あんまり噂とか広めないでくれよ?」

「恥ずかしがんなよ。広まって困るもんじゃないだろ」

「目立つのは好きじゃないんだって」

「日頃からみんなの前でイチャついてるやつが言うことかね」


 それを言われると困る。まぁ、自分から進んでイチャついているわけでもないんだが。どちらかというと愛菜之がだな……。

 この際、それはいい。とにかく、噂の出所を突き止めないとな。


「自慢の彼氏、自慢の彼氏……えへへっ」


 当の彼女さんは自分のセリフに酔っていた。俺のことを自慢できてご満悦らしい。

 不安の種を取り除いて、何事もなく幸せな日々を送れるといいが……。




「今日のお弁当はね、卵焼きを多めに入れたよ」


 久しぶりの学校だっていうのに、出来た彼女はお弁当をしっかりと作ってくれていた。しかも好物を多めに入れてくれている。

 あんなことがあってから、何でもかんでも幸せに感じていたが、結局のところ愛菜之が幸せにしてくれているだけらしい。

 いつもの人気のない教室に来た俺たちは、席を寄せ合い、しっかり密着しながら昼ごはんを取っていた。


「はい、あーんして?」

「あー」


 口を開けると、愛菜之が卵焼きを口に入れてくれた。口移しはどうしたんだと思って愛菜之を見ると、愛菜之はどこか不安そうな顔をしていた。


「どうかしたか?」

「……晴我くんが人気者になっちゃったから、やだなって思っちゃって」

「……人気者?」


 人気になった覚えがないし、そもそも俺に人気はない。キャラ投票のお情け票をもらうか、公式の操作票とか入れられるポジションにいると思う。

 そんな冗談は置いておいて、たぶん今朝のことを言っているんだろうな。


「なんか噂になってたな。大事にならなきゃいいけどな」

「今日もいっぱい、晴我くんが女に話しかけられてた」

「野次馬ってだけだろうよ」


 今朝の噂話が本当だと判明するや、男女問わずに質問責めにあった。適当に返していると、すぐにみんな興味を失っていたが。

 確かに女子に話しかけられはしたが、長話はしていないし、愛菜之が不安になるようなこともないのに。


「……安心するお呪い、したいな?」

「え? あ、ああ……それで愛菜之が安心するなら」


 安心するお呪い……指切りでもするのか?

 そんな俺の幼稚な考えは、愛菜之の突飛な行動に打ち消される。いつだって愛菜之はやることなすことが斜め上を行く。


「なんで脱いでっ……!?」

「胸元、印つけて?」


 人気がないとはいえ、誰も通らないとは言い切れない。実際、一年のころに愛菜兎が乱入してきたことだってある。

 それでも、愛菜之の可愛らしいピンクの下着と、それに包まれた双丘から目が離せない。

 いつも見ているはずなのに、突然のことで頭がショートしているのかもしれない。


 それか、久しぶりの制服姿に興奮しているダメ男なだけか。


「晴我くんしか見れないところだよ。晴我くんしか触れないところだよ。……印つけて、もっと晴我くんだけのものにして?」

「帰ってからいいだろ!?」

「やだ、すぐに消毒しないとダメだもん」


 消毒ってなんだ、と思ったが、俺が他の女子に話しかけられたことを上書きしたいらしい。頭の片隅に残るような、ほんの欠片しか残っていない記憶すら、愛菜之は許せないらしい。


 リボンが外れ、ボタンも外れた白のシャツ。それと並ぶ絹のような肌。

 いつも見ているはずなのに、格好と場所のせいでやたらに胸がうるさくなる。


「一回でいいからつけて? 晴我くんのしたいだけつけてもいいよ?」

「一回! 一回でいい!」


 慌てながらそういうと、愛菜之は不満そうにほおを膨らませた。一挙手一投足が可愛いのも、嫉妬深いのも変わらない。これも幸せの一つなのかと思って、現実逃避したくなる。


「ほら、するぞ!?」

「うんっ」


 さっきまでの不満顔はどこへやら、眩しくなるほどの笑顔で胸を突き出してくる。いつも見ていたもの、いつも触っていたもの……と言いたいところだが、起きてから退院までが長く、そういうことをする頻度は下がっていた。


 毎日のようにしていたことをしなくなると、脳っていうものはこんなにも初心な反応を見せてくれるらしい。


「んッ……」

「……ぷはっ、ほら終わりむぼっ」


 一回したら終わりだって言っていたのに、愛菜之は俺の頭を抱きしめて胸に埋め込んでくる。俺の顔を迎え入れるように胸は形を変えて、ぬるま湯へ浸るように抜け出せなくしてくる。


「私は晴我くんのもの……晴我くんのためのものだよ」

「……ぶはっ! そうだよ、愛菜之は俺のもんだよ! 安心したか!?」

「まだしてないよ。これからが本番だもん」


 胸から這い出ると、愛菜之は俺の頭も解放してくれた。未練がないといえば嘘だが、帰ってから存分に甘えればいいことだから今は我慢。


 プチプチとボタンをつけて、愛菜之は胸をしまっていく。その光景をこうしてまじまじと見ると、艶かしくて敵わない。


「今度は、私の番だよ」

「……俺はいいよ」

「私がよくないもん。それとも晴我くんはやだ?」


 愛菜之に印をつけられることが嫌? そんなわけがない。だからこそ断るんだ。きっと、許してしまえば際限なくつけられたくなってしまう。

 愛されている証拠を、愛しているという証明をもらう幸せは、なによりも甘美だから。


「嫌なわけ、ないだろ」

「じゃあ、いいよね?」

「……」


 なにもいえない、口を開けばきっと肯定しか出てこない。そんなこと、きっと愛菜之は知っている。

 知っているから、愛菜之は。


「いいんだよ? 私がしたいからするの。私が勝手にしたこと。晴我くんは悪くないよ」


 こうして、免罪符を叩きつけてくる。


「気づかれても、先生に怒られても、全部私のせい。でも、いいの。だって、そのどっちもが起こっても、晴我くんが私のものだって知らしめられるんだもん」


 まるで悪魔の誘いだ。甘言まみれにされて、脳を溶かされてしまいそうだ。

 でも、溶けていくのが心地いい。離れられない、離れたくない。もっと、愛菜之に浸りたい。


「だから、いっぱいつけちゃうね」


 愛菜之の吐息が首に触れる。温かくて、こそばゆい。怖いくらいに、胸が締め付けられる。


 プチプチとボタンが外れる音がする。俺のシャツのボタンが外れていく。第一、第二……まるでカウンドダウンのようで、外されて行くたびに血液の巡りがギアを上げていく。


「私の晴我くん」


 そこからしばらく、言葉は交わさなかった。

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