第92話
時間も日も、過ぎていった。
目を覚ました時には、季節が変わっていた。どうやら俺は、半年近く眠っていたらしい。
寝るのが好きとはいえ、さすがに寝過ぎた。おかげでリハビリや勉強が大変だった。
俺の家族には、事の顛末は伝えていたらしい。包み隠さず、事の経緯を話し、そして謝罪をしたと。
両親は俺のことなんて、なんとも思っちゃいないだろう。そう呑気に考えていたが、俺の眠っている姿を見て母さんは声を上げて泣いていたとか。
なんとも親不孝なことをしたが、久しぶりに会った父さんは褒めてくれた。よく守った、よく耐えたと。
あんまり話したことはないが、それでも褒められると誇らしい気分になれた。
姉さんは、俺が無事だったのを確認するとすぐにまた海外に出た。またお土産を買っておいてくれると軽口を叩いて、さっさと出ていってしまった。目元が腫れていたのには、触れないでおいた。
愛菜之の祖父母は、俺に面と向かって謝ってきた。正直、あまり話したくはない。それに歳上の人に頭を下げられるのは、なんとも居心地が悪かった。
恋人は今にも飛びかかりそうな眼で二人を睨みつけていた。ヒヤヒヤしたけれど、やっぱり嬉しかった。
愛菜之の両親にも謝られた。守ってあげられなかったと言われたが、別に守られるつもりは最初からなかったから、謝られても困ったのを覚えている。
愛菜之の父親は、なんというか普通の人だった。優しそうな雰囲気で、当たり前だけれど愛菜之母とは仲が良さそうだった。
愛菜兎も、一応来てくれた。ビンタでもされるかと思ったら、おねぇちゃんを守ってくれてありがとう、なんて言われたから驚いた。
素直なこと言えるんだ、なんて言ったらデコピンされた。
有人も来た。食えないって前もって言っていたのに、俺の好きな食べ物を差し入れてきたから殴ろうかと思った。
猿寺と先輩も来てくれた。
入院記念に写真を撮ってとお願いしたら、照明器具を持ち込めるか聞いてくると言い出して、慌てて冗談だと止めた。先輩は呆れた顔をしていた。
……表と裏愛も来てくれた。
また、謝罪を聞かされた。喧嘩というには複雑すぎるし、別れるには多くの時間を過ごしすぎた。
退院して遊びにいってくれるなら許す、そういって話を終わらせた。
裏愛は話がひと段落した後、いつもの調子で、またキャラメルラテを奢ってくれとねだってきた。絶対に嫌だ。バイト代はもうない。
「……」
ソファに腰掛けて、イヤホンをケースから取り出す。
イヤホンを耳に挿して、好きなバンドの新曲を聴いていた。歌詞が自動でスクロールされ、目に入ってくる。
『私は晴れ あなたは太陽』
良い歌詞だった。相手の存在が、大切だと伝わってくる。
俺にとっての太陽は、愛菜之だ。愛菜之がいたから、こうして生きていられる。そうとすら思えるほど、俺は愛菜之が好きになっていた。
「……そんなに見て楽しいか?」
イヤホンを外しながら、横にいる恋人にそう言ってみる。恋人は幸せそうな、うっとりした顔で俺を見つめていた。
「楽しいよ」
「あら、そう……」
なんとも理解しがたいなと思う。とはいえ、俺も好きな人の横顔はつい見ちゃうから、そこは共感できる。
イヤホンの片方を手のひらに乗せて恋人に差し出すと、嬉しそうな顔で手に取った。
肩が触れ合うまで近づいて、頭まで預けてくる。いい匂いがしてきて、胸が反応するようにドクンと跳ねる。
「……ね、晴我くん」
「ん?」
「身体は大丈夫?」
「バッチリ元気」
「そっか、良かった……」
恋人は、ホッとしたように息を吐く。そんなに俺のことが心配なのか、なにがそこまでそうさせるのかと疑う気持ちすら出てくる。
とはいえ、心配されるとなんだか嬉しい。あんまり良くない感情な気がするから、抑えておこう。
「今日は、なに食べたい?」
「あー……オムライス」
「了解です。エビフライもつけちゃおっかな」
「そんな幸せなことがあっていいのか?」
「これからは、いっぱい幸せにしてあげる。お母さんもお父さんも二人っきりで旅行行っちゃったし、愛菜兎も友達の家に泊まるって言ってたから、付きっきりで幸せにさせちゃうからね」
「幸せすぎて死んじゃいそうだなぁ……」
そんな冗談を言えば、恋人はガチッと身体を強張らせた。俺がしばらく起きなかったから、まだ不安らしい。
肩を抱き寄せて、凍りついた身体を解くように温めていく。
「簡単には死にやしないよ。一回死にかけてんだからさ」
「……ごめんね」
「謝んなくていい。心配かけたしさ、しばらくはずっと一緒にいよう」
「うん、うんっ……」
学校にはまだ行けない。別に身体的に問題はないけれど、恋人がずっと一緒にいないと不安だと言っていたから。
この子がいたから、俺は生きている。だから、この子のために今を生きたい。
「……晴我くん」
「ん?」
「大好き」
急に言われたもので、面食らった。けれど、言われた内容は幸せのもとだったから、ありがたく受け止めておく。
「俺も愛してるよ」
「私も、愛してるよ」
「……久しぶりに言ったら照れるもんだな」
顔が熱くなるのが、自分でも分かる。茶化していっていい言葉でもないし、本心からの言葉で、だからこそ照れてしまう。
そんな俺の反応に、恋人は笑いながら腕を伸ばして、俺を抱きしめてくれる。
「久しぶりに聞けてよかった」
「そんなら、いいか」
「うん、すっごく嬉しい」
噛み締めるように俺の腹に頬擦りをしてくる。頭を撫でると、いっそう嬉しそうに頬擦りをしてきた。
そんなに幸せそうな顔をされると、こっちも幸せになってしまう。
時の流れがゆっくりなような、はやいような。そんな不思議な感覚。嫌じゃない、むしろ心地いい、そんな感覚だった。
「晴我くん」
「ん?」
「ずっとね、言いたかったことがあったの」
ここにきて重大発表か。もしかして、今までのことは全部嘘でした、なんて言われたりするのかもしれない。そんなこと言われたら、今度こそ死んじゃいそうだな。
恋人は俺を抱きしめていた手を離して、俺を見つめた。真剣な表情、緊張した様子に俺も気が引き締まる。
なにを言われるんだろう。何か重大なことなんだろうか。もしや、本当に今までのは全部嘘……?
息を呑む俺に、恋人は意を決した表情をして口を開く。そして、フゥと息を吐いた。
思わずズッコケそうになったが、それで緊張が取れたのか、恋人はとびきりの笑顔を湛え、もう一度口を開いた。
「おかえり、晴我くん」
拍子抜けして思わず笑いそうになる。そんなことを言おうと、あんなに真剣な顔をしていたのかと。
とはいえ、きっと色んなことを考えながら思いを込めて言ってくれたんだろう。それなら、俺も応えなきゃ。
できるかぎりの、笑顔。できるかぎりの、優しい声音。できるかぎりの、思いをのせて。
「ただいま、愛菜之」
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