第85話
目を覚ました時には、何もかもが変わっていた。
私と晴我くんがいた会社じゃない、白に染まった壁や天井。
吹き抜ける冷たい風も、私たちを追い詰めていた悪も、焦りと怒りで顔を歪ませていたお母さんも。
私と一緒に空に飛び込んだ晴我くんも、近くにはいなかった。
「痛っ……」
身体を起き上がらせようとしたら、痛みが走った。気づけば、腕には点滴の針が刺さっていて、身体のあちこちには包帯が巻かれている。それらが、私がどうなっていたのかのヒントをくれた。
「晴我くん……!」
自分のことはどうでもよかった。ただ、晴我くんがどうなったか。それだけが知りたい。
私は無事で、それじゃあ晴我くんは? 私を庇うように抱きしめてくれた、あの人は。
枕元にある、ナースコールのボタンを押す。
腕に走る痛みも、胸の焦燥が全て掻き消してくれた。
「愛菜之! 起きたんだ……!」
「おねぇちゃん!!」
しばらくして、お母さんと愛菜兎が来てくれた。
二人の安堵する表情も、涙が溜まっている瞳も、どうでもよかった。
「晴我くんは!?」
切羽詰まる私の声に、お母さんは何も言わない。
ただ、目を伏せている。それがどういう意味か、私にはよく分からなかった。
「嘘だよね……? こんなの、嘘だよ……」
「アイツは生きてる。けど、目を覚ましてない」
愛菜兎が少し怒ったような顔で、そういってきた。それだけで、どれだけ救われた気持ちになっただろう。
「会わせて……! 私、晴我くんに謝らないと……!」
「起きてないんだから、何を謝るのさ。てかおねぇちゃんは悪いこと、なんにもしてないし」
「違う! 私のせい……! 会わせて、会わせて!!」
叫んだ瞬間に、身体全身に、ひび割れのような痛みが走っていく。ビリビリと電撃のような、そして絞り上げるような痛みが、待ってましたと言わんばかりに這い上がってくる。
「痛っ……!」
「おねぇちゃん! 無理は……」
駆け寄る愛菜兎が、ハッと気づく。私の顔が、涙でぐしゃぐしゃになっていることに。
私の顔がどうなっているかも、どうだっていいから、お願いだから、晴我くんに会わせてほしい。晴我くんを、一目だけでいいから。
「会いたいよ……」
「……見たからって何もできない。声をかけても目は覚まさない。手を握っても握り返してくれない」
お母さんから、つらつらと現実を言葉にしてぶつけられる。怒りは湧いてこない、それは全部本当のことで、オカルトを信じられるほど私は、晴我くんに対して不真面目じゃない。
「それでも、会いたい?」
「会いたい」
私の迷いのない言葉に、お母さんはフッと笑う。愛菜兎はどこか不機嫌だったけれど、なにも言ってこなかった。
お母さんは私のベッドを素通りして、隣のベッドのカーテンを開く。そこにいたのは、晴我くん。
包帯に巻かれて、色んな機械やコードが繋げられている晴我くんだった。
「……晴我くん」
名前を呼ぶ。それでも起きてくれないし、名前を呼び返してはくれない。
手を伸ばそうと身体を動かすと、さっきの痛みがそうはさせまいと身体中をがんじがらめに絡めとる。
それでも手を伸ばす。たいして長くもない距離、こんな距離が、遠くて遠くて辛い。
「おねぇちゃん……」
「今は安静にして。起きたからにはやることが増えるし、今のうちに十分休むんだよ」
「……はい」
「よし、いい子いい子。頭撫でたげようか?」
「いらない……」
私のつれない返事に、お母さんはブーブーと拗ねる。お母さんなりに、場を和ませようとしてくれたのが分かるから、だからこそ受け取れない。
私は、痛みを感じるべきなんだ。晴我くんを道連れにしてしまった、そして晴我くんより軽い傷で済んでしまった罰として。
「……あのあと、どうなったの? 私たち、別れなくていいの?」
「……そうだね、その話もしよう」
お母さんも愛菜兎も、置いてあった椅子に座り直す。きっと長い話になるのかな。私はできるかぎり、晴我くんを見つめていたいのに。
いつ起きるか、何か問題は起きてないか、全身をかけて晴我くんを守りたい。
「一番気になるだろうから、これだけは言っておくよ。愛菜之と宇和神くんは、別れなくて済む」
「……!」
あんなに劣勢だった状況が、ひっくり返った。
私は晴我くんと人生を共に歩める。私は晴我くんの伴侶でいれる。
私は晴我くんを愛していられる。
「職場体験中の生徒二人が飛び降りた……となれば、大問題になる。そこから私の持っていた情報も芋づる式で出していった。崩壊するまであと一歩、だと思っていたんだけれどね……」
お母さんの顔が曇る。目をつむって、何かを考えて込んでいるみたいだった。
何か言いにくいこと? それとも、良くないこと?
これ以上に、何があるんだろう。もう、私たちから邪魔をしないで欲しいのに。
「愛菜之……しっかり受け止めてね」
お母さんが決意したように、口を開いた。良くないニュース、もしもそうなら、私はこの体を引きずってでも、悪を断ち切る。
そう、思っていたのに。
「私の夫……愛菜之のお父さんは、生きていたんだ」
どちらともいえないニュースに、私は言葉を出せなかった。
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