第82話
辿り着いた真実、愛菜之の父が殺された証拠。愛菜之母が長い年月をかけた全て。
愛菜之を横目で窺うと、目に見えて動揺していた。目を見開き、口は引き結んで、身体がガチガチに固まっている。
「……結論から言うよ。トラックの運転手は雇われで、指示を出した張本人は社長。分かってはいたけどね」
愛菜之母の拳から沸々と怒りを感じる。筋が見えるほどに力が入った拳には、どんな感情が込められているんだろう。
隣に座る愛菜之の手に、俺はそっと手を添えた。触れられずにはいられなかった。
愛菜之の隣に俺がいるということを、愛菜之に知ってほしいから。
「前科が着く代わりに、多額の金。ありきたりで笑っちゃうよ」
そういう愛菜之母の顔は、まったく笑っちゃいない。それもそうだ、自分の愛する人の死因など笑って聞けるものじゃない。
「さて、これを脅しの材料にして社長を引きずりおろす。その後、愛菜之でも宇和神くんにでも継いでもらう」
「……いや、高校生が継げるんですか?」
「名前だけ借りるようなもんだよ。もちろん、本当に継いでもいい。そこら辺はどうにでもするさ」
現実味を帯びていく、会社を継ぐということが。
ただ、愛菜之は巻き込むなと言っていた。俺もそれに賛成だった。トラウマを作った元凶の会社を継ぐなんて、トラウマが尚更張り付いてしまうだろうから。
「私は継ぎたくない。第一、継げないからね」
「……だからって、お母さんだけワガママが通るの?」
「嫌なら、最初だけ継いでほしい。後継者を育てた後、その人に継がせる」
「……やだよ。もうこんなところ、嫌だもん」
愛菜之の声が震える。俺の手が添えられている細い手が、ギュッとスカートを掴んでいた。
「私も晴我くんも、もう何も巻き込まれたくないの。何もかもが邪魔なの。この際だから全部話すけど、こんな会社、無くなればいいって思うくらいだよ……!」
「気持ちは分かる。私もこの会社を潰したいくらいだからね……でも、私はもう大人なんだ」
愛菜之母は、ふっと体から力を抜いた。握られていた拳も解き、目を伏せている。
「この会社にいる人たちのことも考えないといけない。私の我儘に付き合わせるんだから、無関係の人まで巻き込むわけにはいかない」
「私たちのことは巻き込んでいいっていうの!?」
「そんなわけない……!」
愛菜之母の、絞り出すような声。その声に、愛菜之もハッとした顔をしていた。
俺も初めてだった。こんなに苦しそうに声を出す愛菜之母を見るのは。
「できるなら、何もかもうまく収めたい。そんな方法を思いつかなかった! 私には、何も……!」
悔やみに悔やみきれない、そんな声。大人なら、愛菜之母ならなんでもできると、そう思っていた俺にとっては、なんともいえなかった。
「血縁者で、教育されてきた愛菜之なら社員も納得する、納得させる。だから最初だけでいい。その後、もう君たちを縛るものは何もない。縛るなんて、誰にもさせない」
「お母さん……」
固い決意を宿した言葉に、愛菜之も目を伏せる。今まで掴みどころがないようにも感じていた愛菜之母に対して、ハッキリと形が見えた気がした。
愛菜之母は俺たちを見つめる。そこにはいつもの、柔らかな笑顔の愛菜之母がいた。
「……さっ、もうすぐお昼休みだ。食事はここで取ってくれていいよ。飲み物が欲しいなら、お金は払うから自販機で買ってきてね」
その言葉に壁の時計を見ると、時刻はもうすぐ正午を指す頃だった。まさか、時刻を分かった上で今までの話をしていたのか? だとしたら、策士としか思えない。
ただ、あの言葉にも気持ちにも嘘はない、そう感じた。
「あんまりイチャついちゃダメだからね。……抜き打ちでチェックしにきちゃおうかな?」
「や、やめてよ……」
愛菜之も困惑しながら、そう言葉を返すだけだった。一瞬の間に、愛菜之母はいつもの自分を取り戻し、俺たちだけが置いていかれたような気分だ。
「じゃあ、また後で」
「……午後もよろしくお願いします」
「うん、挨拶できて感心だ。それじゃあ、またね」
俺の言葉にも、いつもの調子で返す。この人はどこまでが本当で、どこまでが嘘かわからない。ただ、味方であるならそれでいい。
扉から出ていく愛菜之母を見送り、ようやく肩から力が抜けた。隣の愛菜之を見ると、ギュッと拳を握って胸に当てている。
愛菜之の気持ちも、愛菜之母の思惑も。どれを取るべきか、どれだけ救い取れるかわからない。けれど、やることに変わりはない。
俺と愛菜之の世界を守る。それ以外に、俺のやるべきことは変わらない。
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