第62話

 夜には部屋を抜け出した愛菜之と、しこたまイチャついていた。結局自分たちで決めたルールは守らず、時間があればどこかしこでイチャついた。

 まぁ、無理があったんだ。人には人のやり方があるってもんだ。

 同室のヤツらは女子の部屋に遊びに行って、今は一人。留守番が似合う男とは俺のことだった。


「だいすき、だいすき」


 甘い言葉に身体が強張る。こんなこと言われたらイチャつかないほうが無理。愛菜之ってこんなに甘えん坊だったっけな、なんて思いながらも抱きしめずにはいられない。


「明日……ようやく帰れるね」

「なにしたい?」

「エッチ」


 飾り気一つない、隠す気もない言葉に咳き込みそうになる。したいしたいとは言っていたが、まさかここまでとは思わなかった。

 愛菜之の髪に鼻を埋める。すんすんと鼻を鳴らすと、愛菜之はくすぐったそうに笑う。


「いつもと違う匂いがして新鮮」

「持ってきてたシャンプー、いつものと違うからかも」

「なるほど」


 とりあえず胸いっぱいに吸っておく。こうやって抱きしめ合いながら、匂いを堪能できるのも束の間だから。

 愛菜之は嫌そうな素振りの一つも見せず、俺にされるがままだった。


「嬉し……」

「こんなことされてんのが?」

「ん、嬉しいの……」


 喜んでくれているなら何より、なのか?

 愛菜之が嫌がってないなら、このままでもいいか。なんて思いながら、愛菜之の匂いをたっぷり堪能しておく。


「もっと触って?」

「もっと?」

「うん、好きなだけ触って。すごく幸せだから」


 そういわれると調子に乗ってしまう。愛菜之のためという大義名分まで手に入れてしまった以上、俺は好きに触らざるを得ない。

 手始めに、頬を手の甲で撫でる。すんすんと手の匂いを嗅がれるのがくすぐったい。


「ハンドクリームつけてくれてるんだ?」

「愛菜之がくれたからな」


 手が乾燥する時期なので、愛菜之が修学旅行用にとハンドクリームをくれた。いつもは愛菜之が手で塗ってくれるが、修学旅行中はそうもいかない。

 まぁ、今こうしてイチャついてるわけですが。


「これね、お揃いの匂いなんだよ」

「お揃い好きだねぇ」

「恋人の特権だもん」


 確かにそうか、そんな関係じゃなけりゃお揃いの匂いなんてさせないか。

 そう思うと、これも良いもんだな。俺と愛菜之だけのお揃い、なんて思うと気分が上がってくる。


「幸せ……こんなに幸せなことってあるんだね」

「大げさだな」

「触れ合えるのもだし、今日は婚約までしたんだから大げさにもなるよ」


 そうか、あれは確かに婚約だな。結婚を前提に付き合ってるから、あんまり効果はないんじゃないかと思ったけれど、こんなに幸せそうな彼女を目の前にすると考えが変わってくる。


「ハネムーンはどこ行こっか? ハワイとか?」

「そこまで考えてるのか?」

「墓石も考えてるよ」

「この歳でか」


 お互いにまだ17歳ですけど。俺、まだ自分の死期だとか考えたこともなかったんだけど。

 まぁ、お互い長生きして幸せになりたいもんだね。死は救済なんて、まだ言える年齢じゃないし。


 とりあえず、愛菜之の頬から下へと手を下ろす。男の夢が詰まっているであろう、大きな胸を触る。

 下着越しだからそんなに柔くはない。けれど、十分幸せを感じられる膨らみ。

 胸を触ると無条件で幸せになる不思議。男ってほんとバカ。


「下着、外そっか?」

「いや、いざって時に困る」


 部屋に他の奴らが入ってきて、愛菜之のご立派を見られると俺がムカムカしちゃうからね。

 触りたい気分はあるけれど、愛菜之は俺のものだし独り占めしたい。二人っきりの時の楽しみに取っておこう。

 

 胸を触りまくった後、腰の辺りに手を下ろす。

 モミモミと腰回りをセクハラ紛い、というか完璧なセクハラをしているが、愛菜之は顔を真っ赤にするだけでいてくれる。


「ふ、太ってない? 最近、幸せ太りしちゃったかも……」

「いや、痩せすぎじゃない……?」


 心配になるくらい腰が細い。女の子ってみんなこうなの? 愛菜之しか知らないから分かんない。

 にしても、腰が細い。なにかの拍子にポキッてしちゃいそうなくらいだよ。


「もっと食べたほうがいいんじゃないか」

「晴我くんは、ぽっちゃりしてる子のほうが好き?」

「愛菜之が好きとしか言いようがないな」


 愛菜之が太ろうが痩せようが好きなことに変わりはない。まぁ、過度に太ったり痩せたりされると心配になるから、そこは程々で。

 というか、愛菜之も太ったとか気にしちゃうんだな。勝手に、愛菜之は太りもしないしそういうのも気にしないと思ってた。

 彼女の努力とか、気にしてることとか、やっぱり知らないことばかり。けれど、これから知っていける。

 ゆっくりじっくり、お互いを知っていくんだ。


「お風呂入った時にね、愛菜之ちゃんって胸大きいねって言われたの。もしかしたら、前より太っちゃったかなって心配で……」


 ゆっくりじっくりとか言ってたけど、今すぐに愛菜之の胸の大きさを知りたくなってしまった。男の性というか、三大欲求なんだから仕方ない。

 手の内にある夢を、優しく揉みしだく。匂いは堪能しつつ、感触を確かめる姿はまさに変質者だった。


「晴我くんに嫌がられないかなって心配になっちゃって……」

「ならないよ、なにがあっても」


 そういっても、愛菜之は不安そうな様子だった。顔は見えない。けれど不安がないなら、いつもみたいに振り向いてくれてるだろう。

 まぁ、体重も体型もデリケートな話だからな。不安なのもしょうがない。


「じゃあ証明する。下着外してよ」

「触る? えへへ……」

 

 そういうと、愛菜之はズボッと上のジャージに手を突っ込んでガサゴソと動かし始める。

 触っていた硬い感触が、純粋な柔らかい感触に変わる。

 触るたびに形を変えるスライムに、思わず鼻の下が伸びてしまう。


「一生触ってたい」

「そんなに好きなんだ、私の身体」

「そりゃね」


 答えながら、体のあちこちを触る。愛菜之は嫌がる素ぶりを一つも見せず、なんなら身体を擦り付けてくる。

 猫を可愛がるときってこんな感じな気がする。近所にいた野良猫、元気かな……。


「他のこと考えちゃやだ」

「猫もダメか」


 猫にすら嫉妬か、ここまでくると清々しいね。

 他のことを考えるのが癖になってるかもしれない。こうやって、嫉妬されるとつい喜んでしまうから。まぁ、あんまり愛菜之に心配かけたくないから治さなきゃな。


「にゃ、にゃんっ」

「え?」

「にゃんにゃん!」


 急に愛菜之が猫の真似をしだした。こっちとしては唐突すぎて怖可愛いんだけど、なんならもっとしてほしいんだけど。

 猫に嫉妬して、猫の真似でもしてるのか? だとしたら、あまりにも可愛すぎる。


「こ、これならどう? 私のことだけ考えられる?」

「もう愛菜之のことしか考えられない。責任取って」

「ふぇ!?」


 猫耳としっぽをつけてほしい。あと胸の辺りが、猫の顔の形に切り抜かれてる服も着てほしい。

 やばい、変なこと考えてたら変な気分になってきた。鎮まれ、鎮まれよ……!


「せ、責任ってどうしたら……え、えと、ここでする?」


 鎮まるわけがないだろ、こんなこと言われたら。

 今すぐにでも愛菜之を持って帰りたい。愛菜之に思いの丈をぶつけたい。

 とはいえ、今は修学旅行中。なんなら、みんなに隠れてイチャついてるわけだ。一線は越えないように、適度にイチャつかなければ。


「ただいまー……宇和神、起きてるー?」

 

 なんていいタイミングで帰ってくるんでしょうか。今日も今日とて女子の部屋に忍び込んだ同室のおバカが帰ってきた。

 どうしてこんなにご都合主義なの。神様はいじわるとはよく言ったもんだ。


「宇和神ー? あっ、先に寝てるし」

「疲れてんだろ、寝かせてやれよ」


 とっさにベッドに隠れた。愛菜之は苦しいかもしれないけれど、少し我慢してほしい。

 ていうか、ヤバいのは俺の状態だ。さっきまでのシチュエーションで結構昂ってたから、色々とまずいことになってる。


「宇和神は彼女持ちでいいよな。俺らだって重士みてぇな彼女ほしいわ」

「俺まで巻き込むなよ。羨ましいけど」


 そうだろう、そうだろう。俺の彼女は可愛かろう。絶対誰にも渡さないけどな。

 愛菜之を抱きしめる力を強くすると、もぞりとベッドの中でうごめく。顔が見えないから、どんな反応をしているかは分からない。


「消灯近いし寝るか。宇和神寝たから話も聞けねぇし」

「どうしたら彼女って出来んのかな……」


 俺が聞きたいよ。愛菜之が俺のこと好きな理由もよくわからないままだし、愛菜之以外と良い感じになったことがない。

 告白はされたな……隣の芝生は青いっていう理由だったけど。あと、後輩。

 そんなことを考えていると、またベッドの中がもぞりと動く。センサーはしっかり機能しているらしい。


「じゃあ、おやすみ。起こしてくれよな」

「自分で起きろ。宇和神もおやすみ」


 俺は寝ているって思っているはずなのに、おやすみを言ってくれるんだ。優しいやつだな、彼女できるんじゃない?

 電気が消えた部屋は、少しの時間が経った後に穏やか寝息に包まれていった。

 

 コツコツと壁掛け時計の針が進む。甘い匂いに体温、擦れるシーツの音。胸に感じる、彼女の生きる証。

 そっとベッドから抜け出して、部屋の扉を開けた。適当に羽織ったコートに、彼女の小さな身体を収める。そのまま、ロビーまで向かう。


 受付のスタッフは見て見ぬふりをしてくれているのか、それとも面倒ごとは避けたいのか。

 どちらにしても、今はありがたい。とにかく二人になりたかった。今は、二人だけの時間が欲しかった。


 夜道を出歩く。コート一枚じゃ防げない寒さにくしゃみが出そうになるが、我慢しながらコートを脱ぐ。

 隣で鼻を赤くする彼女に、コートをかける。イヤイヤと首を振る彼女に、笑顔を振り撒きながら手を繋ぐ。


「星、きれい」


 白い吐息に混じる彼女の声。綺麗なのはその横顔だったけれど、それすらいつも通りに言えない。

 ベッドの中で、少しずつ思い出していた。あの頃の記憶、出会いの記憶を。


「外、寒いね」


 確かに、耳を裂くような寒さだった。痩せ我慢をして耐えている今、早くホテルに戻りたいくらいだ。

 けれど今、この寒さが贖罪のようで心地いい。罰してくれているみたいで、救いのようだ。


「晴我くん?」


 寒さにかじかむのは、手だけじゃない。唇すら乾いて、心すら荒んでいく。

 喉が張り付く。言葉を発せないように、発さないように。俺が次に言う言葉は、後戻りができないから。

 吐き気すらしてくる。それは思い出してしまった記憶の中の自分へか、はたまた思い出さないように自制をかけていた自らへか。

 どっちにしても、自分が醜くて仕方ない。そんな俺に、この子の隣は。


「愛菜之」


 心待ちにしていたかのような笑顔。ごめんと、心の中で謝るしかできない。それしかしちゃいけない。

 紡ぐ二の句。最大の感謝と、謝罪を。




「別れよう」


 


 

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