第57話
静寂の中で時間がゆったりと進む。
穏やかな雰囲気、コーヒーの芳ばしい香り。
思い出そうとすると響く頭痛、夢で見た怖さすら感じた瞳。
心身ともに、思い出すなとでもいうような悲鳴をあげている。
─────それでも。
どんなに痛くても怖くて、思い出さないといけない。そんな気がした。
……というより、俺が思い出したいだけだ。
俺は愛菜之のことをなんだって知りたい。付き合って一年も経っている今でさえ、知らないことの方が多い。
だから、知りたい。どんなことでも、些細なことでもいいから知りたい。
「……」
愛菜之は静かにコーヒーを飲んでいる。まるで、全てを俺に任せるように。
信頼の証、とでもいうんだろうか。……つくづく、愛菜之は俺をキュンとさせるのが上手い。というより俺がチョロいだけかもしれない。
今だって、コーヒーを飲んでいる姿が様になってるなぁ、なんて場違いなことを考えてしまう。
「会ったこと、あるだろ?」
そんなぼんやりした考えを振り払って、言葉を叩きつける。
愛菜之を見つめる。すべての所作に揺るぎはなく、上品さすらまとっている。
愛菜之はカップを置き、ニコリと微笑んだ。
「うん、あるよ」
短い肯定は、その笑みとは裏腹にわずかな逃げ道すら許さないとでもいうようだった。
「ある、のか」
「うん、私は晴我くんと中学生の頃に出会ったんだよ」
愛菜之は、俺の驚きすらもなかったことのように軽く流す。
すました顔で、またコーヒーを飲む。様子を見るに、中学生の頃の出会いは重要ってわけでもなかったのか?
「晴我くんはね、出会った時もすっごく可愛かったんだよ」
そんな俺の思考を知ってか知らずか、愛菜之は昔のことを教えてくれる。出会った時"も"? 今ですら、俺は可愛くないんですが。ていうかその話、今いる?
困惑する俺に微笑みながら、愛菜之は話を続けた。
「出会って、お話して、私のことを救ってくれた」
救った。救うって、なんだ。
愛菜之は当時イジメられてでもいたのか? いや、それはどうなんだ……愛菜之は基本的に、こっちからアレコレ仕掛けたりしないが、相手がしてきたなら徹底的にやり返す。そんな性格……な、気がする。
そうじゃないとすれば、なにか悩みがあった? 愛菜之の考えていることやしてきたこと、それは正直なところ、現在進行形でわからない。
お金、知識、情報……あらゆるものを駆使して、俺に尽くしてくれる。
愛菜之は俺の疑問に満ちた顔を知ってか知らずか、そのまま話を続けた。
「私、すごく救われた。晴我くんに会えたから、こうしてここにいれるの」
「そんな……」
「そんな大層なことしてない、かな?」
口癖ってわけでもないのに、愛菜之は俺がそういうのを予測して言ってきた。
ずっと一緒にいるとはいえ、考えはおろか、言うことすらバレているのは少し怖い。ま、そんなに理解されて嬉しいって気持ちもあるからいいけど。
愛菜之は成長期した子供を見るような、どこか嬉しそうな顔で俺を見ていた。
「大層なことだよ。晴我くんにとってじゃなくて、私にとって」
……そういわれると、なにも言えなくなる。これ以上なにを言うのも、子供が駄々をこねるのと変わらない。素直に礼を受け取っておくしかない。
ていうか、日常的にお礼されてるっていうか。毎日毎日尽くしてもらってるから、こっちの方が申し訳ないくらいだ。……なんて言ったら、愛菜之は怒るだろうから黙っとこう。
「その時からね、晴我くんのことが大好きになった。晴我くんが幸せになれるなら、なんでもするって誓った」
目の奥に暗がりが宿る。それと同時に感じる、潰されてしまいそうなほどの大きな愛。
……なんでもする、なんでもしてくれる。その根底は、過去の行いから。日頃の行いは大事なんだって一言で済ませられるほど、簡単なことなわけもなく。
─────もしも義務感で、俺に尽くしてくれているなら……。
「変なこと、考えちゃダメだよ?」
愛菜之は人差し指でバツ印を作る。小首を傾げている様は可愛らしく見えるはずなのに、張り付いている怒りが見えて、どうしても怖い。
「私、晴我くんのことがだいだいだい好き。恩とか義務じゃない、私の感情。大切な人に尽くせるっていう、私の幸せのため」
俺の不安を拭うためか、はたまた彼女の本音か。
その両方、なんていう贅沢なことがあるだろうか。たぶん、その贅沢なほうなんだろうけれど。
「私って、欲張りでワガママなんだよ?」
愛菜之が欲張りでワガママなら、俺は王様かもな。悪戯っぽく笑う彼女に、俺は同じように笑みをこぼすしかできない。ほんと、よくできた彼女さんだよ……。
そんなところに頭が上がらないけど、愛菜之は俺が下げた頭を抱きしめて撫でてくるような子だ。もう甘えっぱなしでいいか、なんてすら思えてくる。
「……晴我くんのためなら、晴我くんの幸せのためなら、なんでもする。晴我くんが別の女と結ばれたいって思うなら、それを応援しようって思ってたくらいなんだよ」
「えっ、やだ」
俺が反射的に言うと、愛菜之はクスリと嬉しそうに笑った。俺としちゃ笑うところじゃないんだが。愛菜之以外と結ばれるとか考えたくもない。
ていうか、愛菜之以外の人が俺と付き合ってくれるとは思わないんですけど。
愛菜之はテーブルの上で、俺の手を取る。コーヒーのおかげか、すっかりぽかぽかと温かくなっていた。
「私もやだ。晴我くんといっしょじゃないと、絶対やだ」
にぱ〜っと笑う顔があまりにも攻撃力が高い。この笑顔が、俺にだけ向けられるのがたまらなく嬉しい。
愛菜之のにぎにぎに対して、俺もにぎにぎし返す。周りは自分達の時間に夢中で、俺たちの方を見ていないから安心してイチャイチャできる。
「なにがあっても離れないよ。絶対、ぜーったいね?」
「ありがたい話だ」
そういってみると、愛菜之はにへらと笑った。
俺の手をにぎにぎしながら、愛おしそうに手を見つめ続ける。
「……コーヒーのおかわり、飲む?」
「飲もっかな」
「ケーキも頼んじゃう?」
「頼んじゃうか」
……シリアスな雰囲気も、いつのまにか吹き飛んでいた。やっぱり、俺たちはこうやってゆるい雰囲気のほうがいいよな。
しばらくしてから、コーヒーとチョコケーキが運ばれてきた。
ケーキは一つ、コーヒーは二つ。だいたいのものを半分こして食べるのが、俺たちのお決まりだ。
「はい、あーん」
まぁ、その理由はこのためなんだが。
愛菜之か食べさせて、俺も食べさせてあげる。もういつものことで、今更自分で食べるのも違和感があるくらいだ。
「可愛い……」
「愛菜之が?」
「はーくんがだよ」
当たり前みたいに返されたが、俺は本当に可愛くないと思う。キャピ⭐︎みたいな感じが似合うわけでもないし、にょわ〜⭐︎みたいな語尾が似合うわけでもない。
まぁ、アレだ。愛菜之フィルターだ。保護者の同意がないと外せないやつだ。
「話が逸れたから戻して」
「えー? もっとイチャイチャしよ?」
したいけど、大切なことだからさぁ〜。俺だって、泊まる予定のホテルに先回りしてイチャイチャしたいけどさぁ〜。
……それ以上に愛菜之のこと、もっと知りたいんだ。
「彼氏として彼女のことを知りたいから、お願いします」
そう言ってみると、愛菜之はすぐに頬を赤く染める。そして、満更でもなさそうな笑顔でコーヒーを一口飲んだ。
「か、彼女として頑張りますっ」
うーん、可愛い。世界の中心で愛を叫びたくなる。今はまだその時じゃないのでやめておくけど。
愛菜之は少し頬をモニモニと揉んで表情を直してから、話を続けた。
「晴我くんと会って、救われて、晴我くんと離れ離れになった。晴我くんとは、高校生になったらまた会おうねって約束したの」
「……じゃ、わざわざ俺たちの高校を選んだのって」
「うん、晴我くんに会うため」
……愛菜之は頭が良いとは思っていた。この高校じゃない、もっとレベルの高いところに行けたはずだ。なのに、わざわざこの高校を選んだのは、俺との約束のため。
そもそも、俺もなんでこの高校に来たのか。俺にとっては少し高望みの高校だった。なのに、嫌いな勉強をしてまでここに来た。
それは、愛菜之のため? 愛菜之ともう一度出会うため?
その理由すらモヤがかかって思い出せない。けれど、もしそんな理由のために選んだのだとしたら。
……我ながら、なんとも不純で立派な志望理由なことで。
「それでね、晴我くんとは高校生になってまた会ったら付き合おうねって約束したの」
「ぐふっ」
飲んでたコーヒーが喉に引っかかった。
なんだその遠回しな告白。もうちょっと男らしくいけないもんかね、自分は。サマーなウォーズの主人公じゃあるまいし。
とはいえ、その約束を忘れていたから愛菜之は出会った最初にあんなことをしてきたのか。
入学してすぐ、俺を別室に連れて押し倒して……思い返せば、なかなか大胆なことをするもんだな。
「私のこと、覚えてなかったみたいですごく悲しかったけど、その後に晴我くんは付き合ってって言ってくれたもんね」
「言ったな……」
正直、あんまり思い出したくないんだよな。恥ずかしいもの、告白とか。
大体、約束を忘れてる俺のほうがおかしいんだ。かなり大切な約束なのに、忘れてるって。もしもあの時、愛菜之に告白してなかったらどうなってたんだよ。
「嬉しかった、嬉しくて泣いちゃったもん。それに手も繋いでくれたもんね」
「でしたねぇ……」
今となっちゃ当たり前だが、付き合い始めで成り行きで繋いだまま歩いてたな……。手の温もりも、指の細さも、もしかしたら知っていたものだったかもしれないのに。
思い出したい。この子との約束、したこと、なにもかも。
「私、幸せ。私の人生、晴我くんにぜーんぶ縛られちゃってる」
「そんな物騒な」
「ふふっ、でも幸せなの」
愛菜之は嬉しそうに笑う。嘘偽りのない、笑顔を。
「晴我くんが私の人生に関わってくれた。ほどけそうな私を縛りつけてくれた」
愛菜之の手が、また俺を包む。
「優しく、包んでくれた」
そんな彼女の手は、振りほどくことなんてできないほど力強くて。
「だから、今度は私の番」
偽りのない笑顔に、ほんのりと優しく陰がまじる。
「今も昔も、よろしくね」
手は、蕩けそうなほどに暖かかった。
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