第56話
「はい、あーん」
「あー」
新しい朝だ、希望の朝だ。
ラジオの音楽でも聴きながら体操でも踊りたいくらいだね。
昨日の夜、ほんのちょっぴりの時間とはいえイチャイチャできた。ほんと、我慢は体に毒だとはよく言ったもんだ。
そのおかげか、いつもより俺たちはノリノリでイチャついていた。
「……ふ、二人はいつもそんな感じなんだ?」
同じ班にいる女子が、ヒクついた笑顔で俺たちを見ているのもお構いなしに。
なんでそんな目で見るの? ていうか見ないで? 見せもんじゃねぇぞオラ!
見るの見ないで見るなの三段活用。テストに出ないからさっさと寝なさい。
「うん、こんな感じだよ」
「これじゃないと落ち着かないな」
愛菜之が得意気にいい、俺もしみじみと頷く。
「そ、そうなんだ……」
ますますヒクついた顔で、助けを求めるように彼氏のほうへ向き直る。彼氏くんはさっきから黙々と朝食を食べているだけで、一言も話しちゃくれない。
しかしまぁ、朝食からバイキングとは豪華なことで。我ながら、いい身分ですこと。
とりあえず、コーヒーとかパン、あとウィンナーとか皿に乗っけておいた。当たり前の顔して愛菜之に食べさせてもらっていたんだけど、我慢の反動なのか恥じらいとか麻痺してた。
「ごめんね、手料理はどうしても用意できなくて……」
「愛菜之が食べさせてくれるから嬉しい」
「ほんと? えへへ……」
席は隣なのに、肩も引っ付けあって食べさせあう。
班ごとに座って食べるから、愛菜之と一緒に食べれてよかった。同班のこの二人は、愛菜之ともう知り合いっぽいから多少は目を瞑ってくれるだろうしな。
「ほ、本当にいつもそんな感じなんだね……」
「いつもじゃないよ? いつもは口うつ……」
「愛菜之、あーん」
危ない危ない。さすがにそれは頬がヒクヒクどころか、引かれすぎて地球の裏側に逃げられてしまう。
愛菜之は素直に、俺が千切ったパンを食べてくれた。可愛い! 可愛すぎて可愛い税を払わせたい。
小鳥にエサをあげる親鳥の気分。どっちかっていうと、俺が養われてるほうだけどな。
「く、口移し……?」
「うん! 口移し!」
聞き直してきた子に、愛菜之は元気に肯定してあげていた。
俺の気回しは意味ありませんでした。元気に言うことじゃないだろ。あと聞き直すな、世の中には知らなくていいこともある。
まぁ、愛菜之もひさしぶりに引っ付けられてテンション上がってんだろうな。そんなところも可愛い。可愛すぎない? 可愛い、それ以外にどう表現しろと。
「す、すごいね……」
「そうかな? えへへっ」
愛菜之、それたぶん褒められてない。でも、そんなところも可愛い。
まぁ口移しで食べたいけど、こんなところでしちゃあ注目の的どころか目を逸らされるしな。先生もいることだし、面倒ごとは避けないと。
「いっぱい食べさせてあげるね、はーくん」
すっかり気分を良くした愛菜之に、アレやコレも食べさせられたのは省いておきます……。
「お腹いっぱい?」
「胸もいっぱいだよ」
「ほんと?」
ホテルを出て、班での行動になった。自由行動が多いのは高評価。チャンネル登録もしといてやるか。
まぁ、班行動っていっても俺と愛菜之、さっきの二人組で別れるけどな。
「じゃ、じゃあ私たちはこれで……」
口移しの件から、よそよそしくなってしまった。俺は別にいいけど、愛菜之はなんとも思わないのか。
そう思って顔を見ると、ちょうど目が合う。そして花の咲くような笑顔。本業はアイドルかな?
「車に気をつけてな」
「……」
彼氏くんは相変わらず無口だねぇ。クール系男子が最近の流行りなの? 俺もそっちに寄せた方がいい?
ま、残念男のクール系なんて地球温暖化くらい望まれてない。
「じゃあ、どうしよっか」
「行きたいとこあるか?」
「んとね、ここのカフェが……」
カフェ巡りは俺たちの定番みたいになっている。どっちかっていうと、俺がカフェ好きなだけで愛菜之が付き合ってくれているだけだと思う。
愛菜之は色んなところ調べてくれてるし、文句のひとつも言わないから良い彼女さんだよ、ほんと。
「愛菜之は行きたいところ、ないのか?」
「晴我くんとならどこにでも」
逃避行でもするようなセリフだな。愛菜之となら二人でどこでも行けるけど。
とりあえず、愛菜之の調べてくれたカフェでも行くか。
「いいね、ここ」
「なっ」
古めかしい機械から流れるクラシック、年季を感じる木のテーブル。香るコーヒーのいい匂い。
客はみんな、店に流れる穏やかな雰囲気に身を委ねていた。
コーヒーの味も良い。俺はあんまり良し悪しは分からないが、雰囲気も相まって美味しいって感じる。
「愛菜之」
「なぁに?」
「……俺たちって、昔会ったことある?」
夢の中で見た、あの女の子。
あの眼、あの愛情。見たことがある、向けられたことがある。
それも正面から向けられた。目の前の女の子から。
「中学生くらいの時に……会ったこと、ないか?」
暖房の効いた店内、湯気をたてるブラックコーヒー。
時の流れはひどくゆったりとしていて、雑音はクラシックの音楽と、他の客の声だけ。
聞き逃すはずもない、聞き逃すことができない。
過去の、俺たちの話。
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