第55話

 観光もしたし、名物も食べた。あと、歴史なんかについても知れていい修学旅行の初日となりました。

 これで一日目はめでたしめでたしなら良かったが、そうならないのは呪いか、はたまた俺の宿命さだめなのか。

 やれやれ、困っちまうぜ……。


「女子の部屋行ってくるから、宇和神は留守番な!」


 ほんとに困っちまうぜ……。(泣)


 


 女子の部屋に行くなんてマジでやるやついるんだな、驚きの方が先にきてるよ。

 ご飯も食べて、風呂も入ってしばしの自由時間。同室になったやつらがこんなこと言い出すとは思わなかった。

「じゃ、女子の部屋いきまーす」

「ガチでバレないよな?」

「ワンチャン、バレッかも」

 俺は女子の部屋に行くとか聞かされてなかった。そもそも友達が指で足りるくらいしかいないし、同室になったやつらとも、まともに話したことない。

 困惑する俺をよそに、コイツらは片手を立てながら申し訳なさそうに言ってきた。

「宇和神、留守番頼むわ!」

「宇和神、彼女持ちだから不参加だろ?」

 確かに、彼女というか家内というか妻というか奥さんがいますけど、だからってここで、一人留守番させられんのか俺は。

 俺はそんなに素直な子じゃないぞ。だいたい、先生の見回りとかどうすんだよ。

「先生が見回りくる時間までには帰るからさ! 頼むわ!」

 用意周到だな、その気をもうちょっと俺にも使ってくれよ。

 建前でも一旦は誘ってほしかった。もちろん断るし、俺たちそんなに仲良くないけど、それでも誘って欲しかったんだ……。

「わかったわかった、途中で見つかんなよ」

 渋々、ひきうけておく。いやって言っても空気悪くなるだけだし、そのくらいのことなら引き受けたって損はない。なんなら、行ったほうが損まである。愛菜之に余計な心配かけたくないからね。

「ありがとマジ! 彼女持ちは違うわ!」

「彼女持ちの利益にあやかっとくわ!」

 俺って縁結びの神様? そんな呪力も魔力も神力もないんだけど。

 ま、みんなが俺を拝んでるのは気持ちいいね! 人の上に立つってこういうことを言うんでしょうか。

 ひとしきり拝まれた後、ソイツらはスマホだけポケットに突っ込む。

「じゃ、俺ら行ってくるわ」

「ういー」

 適当に返事をして、ソイツらはコソコソと部屋から出ていった。健闘を祈ってエールをおくります、フレーフレー!

 ……本格的に暇になった。一応ここ、ネットも繋がるしスマホ見て時間潰せるけど……トランプとかしたかったなぁ。

 愛菜之って今頃、どうしてんだろう。こうして離れ離れになるのは久しぶりだから、落ち着かない。

 そもそも、出会ってきてこれまで大半の時間を一緒に過ごしたんだ。隣に愛菜之がいてくれないと落ち着かない。

「メッセージするかぁ」

 そう一人ごち、愛菜之とのトーク画面を開く。

 トーク履歴には「好き」 「あいしてるよ」 なんていう心に沁みる言葉が連なっていた。寝る前に見返してニヤニヤしてるのは内緒。

「なんて送ればええかね……」

 今なにしてんの、会いたい、好き。

 連想ゲームのように、自分の本心が漏れていく。最初に思いうかべた言葉が無難だが、2番目に思いうかべた言葉のほうが本心に近かった。

「迷惑だよな……」

 そうだ、送ったとしても迷惑にしかなりえない。

 愛菜之は優しいから、俺が会いたいなんて言えばこっちにくる。愛菜之なら見つからないだろうが、それでも申し訳ない。

 それに、修学旅行中は我慢しようって言ったんだ。普通の修学旅行にしようって言い出したのは俺なんだから、会いたいだとか決心のにぶるようなことは言わないようにしなきゃ。

「……ぬああ」

 なんだこのジレンマ。面倒なこと言っちゃったなぁ。

 後悔先にたたず。愛菜之に負担をかけさせたくないから始めた我慢の修学旅行だったが、こんなに辛いとは思わなかった。

 会いたい、会って話したい。ハグしたい、キスもしたい。あと頭の匂いも嗅ぎたいし、胸に顔を埋めて窒息したい。

 途中から願望ダダ漏れのカスになってしまったが、たった一日の我慢でここまでひどくなるとは。我ながら先が思いやられる。

「はぁ……」

 ため息を吐いて、メッセージアプリを閉じる。

 保存してた愛菜之の写真と動画、あと保存した声でも聞いて気を紛らわそ……。

 そんな、半ば諦めていた時だった。

 いつだって、愛菜之はタイミングがいいというかなんというか。

『ベランダに出て』

 スマホをスリープにすることすら忘れて、部屋の窓からベランダへと出る。

 はたして、陰になっていた場所に彼女がいた。

 俯いて、どこか申し訳なさそうにする愛菜之が立っていた。

「……ごめんなさい」

 開口一番、愛菜之は俯いたまま謝っていた。

 指と指を絡め、忙しなく動かす。まるで子供が手あそびするみたいに。

「我慢、できなくて……」

 ふるふると肩が震えだした。俯いていた顔が少しだけ上がって、引き結んだ口元が見えた。

「晴我くんといっしょじゃないと、おかしくなっちゃう……」

 愛菜之はジャージの裾を頼りなさげにつかむ。まるで怒られるのを怖がるいたずらっ子みたいだ。


 でも、どうでもよかった。


 愛菜之の不安そうな様子も、震える手も、自信のない声も、どうでもよかった。


「……! ご、ごめんなさい! 嫌いにならないで……」

 

 愛菜之の手を掴むと、怯えた声が聞こえた。

 それでもお構いなしに、愛菜之の肩をつかむ。手の内にある、華奢な肩の形を確かめる。

 ジャージ越しでも分かるほどに頼りなくて、でも触れていて心地いい。たったこれだけの触れ合いで、心が満たされる。

 だから、我慢なんて効かなくて。


「ひゃ……!」


 強く、強く抱きしめていた。




「……は、晴我くん?」

 困惑した声が聞こえる。それでも、愛菜之を抱きしめる力を強くし続ける。

 苦しそうに、息が漏れる音が聞こえた。それと一緒に、甘い声も。

「はれが、くん……」

 とろけた声が耳をくすぐる。熱を帯びた吐息と一緒に、愛菜之の思いを移すみたいに。

 愛菜之の腕が、俺の背中に回る。しがみつくように、ぎゅっと力がこもる。

「嬉しい、うれしぃ……」

 愛菜之は隙間を無くしたいのか、身体を密着させてくる。ジャージの上からでも分かるくらい、愛菜之の体温が熱い。

 冬だっていうのに、やたらに熱くてたまらなかった。

「晴我くん、晴我くん……」

 しきりに名前を呼ばれる。まるでそこにいるのを確かめるみたいだ。

 返事とばかりに抱きしめ続ける。でも、そろそろこっちも抑えられなかった。

「愛菜之」

「ん、なぁにぃ……?」

 すっかりとろけた顔で、俺を見つめていた。

 目にハートを浮かべていそうなくらいにふやけていて、すぐにでも襲われてしまいそうなくらいだ。

「キスし……」

 そういいかけた途端に、愛菜之は俺の口を塞いだ。

 軽いキスだったのは、からかいみたいなものなのだろうか。

「……ひさしぶりにしたね」

「つっても半日だろ」

「半日も、だよ」

 愛菜之は頬をふくらませて怒った素振りを見せる。でも、すぐに笑顔を俺に向けた。

 映画の始まりを心待ちにしているような、そんな顔。なにを楽しみにしているのやら……なんて、とぼけるのも無駄か。

「キス、まだしたい。もう我慢とかどうでもいい。愛菜之が足りなくて死にそう」

「……うん。私も晴我くんが足りなくて、死んじゃいそうだったよ」


 冗談まじりにそう言い合って、顔を見合わせた。


 手を重ねる。身体を重ねる。口を重ねる。


 まつ毛が触れ合ってくすぐったい。愛菜之の髪の毛が頬にふれてくすぐったい。


 それが、なんだか安心する。


 時間がくるまで、それまではこのまま。


 ずっと、このままで。

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