第48話
「あーんひて?」
「あーんぐっ」
字面だけじゃ喉奥に詰まらせるぐらいのあーんだと思うだろうが、実際は口移しで物を食べていた。
帰ってきてから食べさせてくれたバニラアイスは、愛菜之が口で溶かしてから俺に食べさせてくれた。
俺の膝の上に、向き合って座る愛菜之。この位置も定位置みたいになってきているが、あまり良くない気がする。
「おいし?」
「美味しいよ」
そう感想をいえば、愛菜之は嬉しそうに顔を緩ませる。口移しは何度もしてきたから慣れたもんだとは思ったが、この幸福感は慣れることがない。
口移しという、本来なら赤子にしてあげるような。なんなら、今や赤子にすらしないであろう行為。それを彼女にしてもらう。
なんとも言えない背徳感が昇ってくる。そして、そんなことをして満足そうな、どこか色のある笑顔を浮かべる彼女。
可愛くて仕方ない。愛らしくて仕方ない。
「あーんして?」
「え? 何も口に含んで……」
俺がそうやって口を開いた瞬間。彼女は待っていましたと言わんばかりに、俺の口へと喰らいつく。
まるでごちそうだとでも言うように、俺の舌を自分の舌でねぶり、絡め、味わっていく。
舌と舌の表面が合わさって気持ちいい。ざらりとした感触も、ヌメリとした感触も、心地よいぬるま湯のような温かさも。
それら全部が、俺に向けられる。
「ぷあっ」
息継ぎをする数俊の間に絡み合う視線。見られているこっちが火傷しそうなくらいに見つめてくる。
熱っぽい吐息が俺の唇をくすぐる。普段が優しく穏やかな性格のせいか、こういった場面でのギャップで尚更胸が締め付けられる。
「すき」
文字数にしてみれば二文字。たったのそれだけで身体の芯から、俺はガッチリと囚われる。
もっとしてほしい。もっとしたい。
欲望にまみれた頭が、正常な思考をさせてくれない。
「ふむっ!? ンむ〜……!」
俺も、俺だって。
変な意地と欲望が合わさって、少し乱暴に口を合わせる。
濁音のついた下品な擬音が似合いそうなキス。恥も外聞も投げ捨て、お互いを貪り尽くすだけのキス。
「しゅきぃ……」
呂律が回っていないのに、必死に言葉を紡ぐその姿が余計に煽りたてる。
帰ってから着替えもせずイチャイチャしているもんだから、お互いの肌と肌が汗で密着している。それがまた刺激になって欲を増やしてしまう。
口を離して、また見つめ合う。しないの? とでも言いたげな視線が愛らしくて胸が締め付けられる。
「お風呂は?」
「汗臭かった?」
「いや、俺の方が心配って話」
「私、晴我くんの汗の匂い好き……」
そういって首元に鼻を当てがい、フンフンと鼻を鳴らす。くすぐったいやら恥ずかしいやらで、身体を離そうとしても愛菜之に同じようなことをした負目があるから離せない。ていうか、愛菜之が離さないとでもいいたげに腕を回して抱きしめてくる。
「この匂い嗅いでたら、ンッ……もっと好きになっちゃうな……」
「恥ずいって」
「晴我くんもしてたでしょ?」
そう言われるとなんにも言い返せない。ま、恥ずかしいだけで特に害はないからいいか。他人を傷つけたりとかじゃないし、家の中だし。
外でイチャつけなかった分、たくさんイチャイチャしよう。
とりあえず、俺も愛菜之の首筋に鼻を当てがって匂いを嗅いでおいた。
「くすぐったいや……」
甘い声が吐息と一緒に首筋にかかる。生温かいのに不快感はなくて、むしろ心地いい。
汗に混じる甘い匂い、なんなら汗の匂いすら甘く感じる。
蜜に誘われる虫のように、愛菜之の首筋をチロリと舐めてみた。
「ひゃっ! ダメ、汚いよぉ……!」
そんなことを言って身を捩らせるが、俺はそんなこともお構いなしに首筋を舌でいじめていく。
少ししょっぱいような、でも甘いような。なんで愛菜之の身体は甘く感じるんだろう。匂いも、味も、おかしな話だけど、体温や声色すらも。
「おいしい……」
「……ほんと? 汗臭かったりしない?」
「甘い、気がする」
愛菜之の不安げな顔も、だんだんと柔らかい表情へと変わっていく。俺の舌の感触なんて気持ち悪いだけだと思ったが、愛菜之は物好きなのか、気持ちいいとでも感じているようで。
「ふっ、あふぁ……」
時折、耐えられないように息と一緒に甲高い声を漏らす。それが催促のように、また俺を逆撫でしていく。
「おいし? ンッ、わたしの味すきぃ……?」
「すきだよ」
おやつを食べていたのに、結局こんなことになってしまった。まぁ、口移しなんてされたらこんなことにもなるとは思っていた。
それに、振りかえで明日は休みだ。愛菜之はいっぱいシたいって言ってたし、もうこうなったら最後まで……。
「晴我くん」
「ん?」
「お風呂はいろ?」
……マジで?
嘘だろ、俺ってそんな臭かったのか? いや、確かに汗臭いなって自分でも分かるっちゃ分かるかな? くらいの臭いはしたけども。
やばい、そんなの知らずにめちゃくちゃイチャついてた。愛菜之が我慢してるとも梅雨知らず、なんなら好きなんだとか勘違いしてヒートアップしてた。
愛菜之が好きだって言ってたのは世辞だったか。これだから空気の読めんクズは。
「ごめん、ホントにごめんな。すぐ風呂入ってくるから……」
「ふぇ? な、なんで謝るの?」
「えっ? いや、俺が汗臭いから風呂入ろうって話じゃ……」
「ち、違うよ!」
慌てる俺に、慌てる愛菜之。お互いがお互いに、はてなマークを浮かべる謎の状況。
抱き合ったままに、二人して変な顔をしていた。
「わ、私言ったもん! 晴我くんの匂い好きって!」
「やっ、お世辞かなぁと……」
「……私が嘘ついたって、言いたいんだ?」
まずい、愛菜之が怒ってる。
俺関連のこととなると情緒がおかしくなりがちだなぁ。そんなところも好きなんですけど。
愛菜之はどす黒い瞳に俺を向けて、腕に力を込める。
「どうすれば信じてくれるの? 晴我くんの匂いが好きってこと」
「いや、信じてます信じてます」
そうはいっても、愛菜之は疑いの目を向け続ける。真っ黒で何考えてるか分かんないだろうけど、俺は愛菜之検定一級だから分かる。
俺の言葉をその場しのぎとでも思っているのか、愛菜之はまた腕にこめる力を強めた。
「信じてくれないなら、こうしちゃうから」
そういった途端、ヌメリとしている生温かいものが首筋を這った。
思わずビクリと肩を跳ねさせる。俺はしたことがあったけど、まさか愛菜之からされるとは思ってもみなかった。
愛菜之は、ジトリと舌を俺の首に当てがい続ける。
「やめ、汚いからっ……」
「私がダメって言っても聞かなかった、れしょ?」
愛菜之は喋る時間も惜しいというように、言葉尻に首筋を舐めてくる。
確かに俺も、ダメって言われても無視して続けてたけどさ。目には目をじゃないんだから。
そんなことを思っていても、愛菜之はチロチロと舌を動かすのをやめたりはしない。本気でダメって言えば、愛菜之はやめてくれるだろう。けれど、このタイミングで拒否するのはムードを壊すし、俺だけダメっていうのもおかしな話だ。
「おいし……」
「ばっちいだけだろ」
「んふふー……おいしいもーん……」
さっきのお怒り様が嘘みたいに、うっとりしている。ていうか、好物を食べて幸せを感じてる子供みたいな顔をしている。幸せそうならいいのかなぁ、でも俺の首なんて汚いからやめさせたいなぁ。
「やめなさい」
「やめないもん」
「わかったよ、愛菜之の言うこと疑って悪かったってば」
根負けというか、もう謝るしか俺の逃れる道がなかった。愛菜之のいうことを疑ってたりもしていないのに、こんなこと言わないといけないなんて……。
「それならよかった」
「……でもさ、なんで風呂入るなんて急に言い出したんだよ」
不服そうに言ってみると、愛菜之は俺の首に軽いキスをしながらお茶を濁す。早く理由を聞きたいんだけど、なにを渋ってるんだろうか。
ポンポンと背中を軽く叩くと、それを催促と受け取ったのか、愛菜之はようやく俺の首から離れた。
「……絶対汗臭いもん」
「はい?」
「私、汗臭いし汚いから」
……え? 嘘でしょ? 俺が散々いい匂いだとか、なんならぺろりんちょしまくったのに? この期に及んで自分汗臭いとか汚いとか思っとんか?
さすがにこれには晴我もブチギレてしまいました〜!
「愛菜之のほうがよっぽど俺のこと疑ってんじゃん」
「ち、違うよ? 晴我くんのことは疑ってなんかないよ」
「じゃあなに?」
「や、やっぱり汚いかなって、恥ずかしくて……」
……ああ、この子はなんていうか。ホントにいじらしくて困る。
こんなにいじらしいことをされたら、めちゃくちゃにしたくなる。その反面、優しく抱きしめて包み込みたい。そんな相反する欲求に駆られる。
「……じゃさ、お風呂入ってる時にさ」
「うん」
「……胸で洗ってよ」
愛菜之から時々してくれることもあった。その時の気持ちよさは、なんというか夢心地といいますか。
柔らかいのに、しっかりと押し返してくる愛菜之の双丘。しかも二人で旅行した時みたいに背中じゃなくて、向かい合って抱き合って。
上気した桃色の肌、お湯に濡れて隙間なくひっつく身体。色っぽい声を時折漏らしながら、健気に体を擦ってくる愛菜之。
幸せだったんだ、ただそれだけしかなかった。
「……私にされて、気持ちよかったから?」
「気持ちよかったし……興奮、した」
幸せしかないとか言ってたけど、興奮もしてました。まぁ、その興奮も幸せの内ということで。
「愛菜之にこうやってお願いすんの、めちゃくちゃ恥ずかしいけど……してほしい」
「んっ、んふふ」
愛菜之は嬉しいような、子供のいたずらを笑うような、そんな笑みを浮かべていた。
俺もいたずらのバレた子供みたいな顔で、愛菜之の手を掴んで。
「だから、これでおあいこってことで」
「うんっ。おあいこ、だね」
きゅっと握って、今度は鼻と鼻の先を合わせる。
くすぐったくて、あたたかくて、あつくて。
でも、最高に幸せで。
湯冷めするかもなんて笑いあって、また身体を重ねた。
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