第45話

「……」

 誰かの気配がした。ここを放課後に通るような人は……部活生くらいのはず。

 まさか、あの女狐? まだ付き纏うつもり?

 夏休みのあの時、私たちに付き纏うなんて考えないように躾けをして……その上、晴我くんからも拒絶されたのに。

 それでもまだ来るなら大した女。まぁ、また潰すだけだけど。

「愛菜之?」

 考え事をしていると、それに気づいた晴我くんが心配そうに見つめてくる。わっ、カッコいい顔だ。憂いを帯びるって表現が似合うような……カッコいい、カッコいいなぁ。

 そんな晴我くんを安心させたくて、できるだけの笑顔を作る。首を横に振って、晴我くんを見つめ返す。

「なんでもないよ。物音したから、動物でもいるのかなって」

「えっ、タヌキとかか?」

 晴我くん、可愛いもの好きだもんね。可愛い動物、大好きだもんね。そんな晴我くんが好きだよ、可愛いね、大好き。

 そんな可愛い可愛い晴我くんは、私が守らないと。

 晴我くんは私だけのものだもん。私が守って、愛して、愛して愛して愛して。

 他のものなんてどうだって……ね?




『宣誓。我々、選手一堂は……』

 代表の生徒が前に出て、選手宣誓をする。

 あくびを噛み殺しながら、列に並んでぼうっと空を見上げていた。

 あれから大したこともなく、また日常は過ぎていった。裏愛と会うこともなかった。ただの一度だってなかった。

 生徒会には来なくなった。元々、有人のワンマン運営だったが、たまの召集にすら来なくなってしまった。

 廊下ですれ違うこともなかった……たぶん、愛菜之が何かしたとは思う。ていっても、去年のバレンタインの時みたいに、特定の人と会わないようなルートだったり時間だったりを選んだり。そういう誘導をしただけで、裏愛に何かしたりってわけでもない。

 平和な生活だったが、心にジクジクと針が残っているような感覚。こんな針、抜こうと思えば抜けるのに。

 見て見ぬフリをしている俺は、結局小心者でしかなかった。




「晴我くん、速くてカッコよかったよ」

「なんでか足だけは速いんでねぇ」

 退場して、愛菜之のところへ戻る。手渡してくれたスポーツドリンクをガブッと飲んでいると、愛菜之がタオルで汗を拭いてくれた。

 昔っから足だけは速い。唯一出ることになった種目である徒競走は、部活生が同じ組にいなかったので1位を取ることができた。運がいいもんだが、こんなことで運を使いたくないっていうのが本音だったり。ま、愛菜之も褒めてくれてることだし素直に喜んどこう。

「愛菜之が応援してくれたからかね」

「ほんと? えへへっ」

 愛菜之が手でメガホンを作りながら、「がんばれーっ!」 って応援してくれていた。そんなの聞いたら俺は1位を取るしかないわけで。

 すごい顔をしながら必死こいて走った。もう動けなくなってもいい、ありったけを……! ってくらい走った。

「愛菜之に応援されたらなんでもできる気がする」

「ほんと!? じゃ、じゃあ明日は休みだし、5回くらい……」

 待って、なにを5回するんですか。一日中いっしょにいるから、確かにする回数は前より多い……ていうか、そういうことをする前提で考えてる自分に驚き。頭まっピンクか?

 流石に愛菜之は頭まっピンクじゃないでしょ。賢くて可愛くて清楚な愛菜之がね?

「キスか? ハグ? それくらいなら何回でも……」

「え、えっちしたい……」

 頭まっピンクじゃん。キスハグで抑えてて欲しかったな。

 応援されたらできる……想像したらできる気がしてきた。愛菜之にがんばれっ、がんばれって言われたら燃え上がると思う。

 する方向で考えてるが、俺も求められることはやぶさかじゃないというか。嬉しいんだけど体力がね?

 うんうん考え込んでいると、愛菜之は不安そうに泳がせた瞳で俺を見つめてくる。

「や、やだった?」

「嫌なわけ……」

 やっぱり、問題は体力なんだよな。ほとんど毎日してるから必然的に体力はつくが、それでもキツイもんはキツイ。息も絶え絶えで身が保たない中、愛菜之に搾られ続ける……正直、悪くないと思ってる自分がいる。

「どうにかするよ」

「ほんと? じゃあ私にできることがあったらなんでも言ってね」

 なんでも!? なんでも……じゃあ、おやすみさせてください。

 こんなこと言ったら泣き出しそう。ちゃんと心に留めとこうね。

 しかし、なんでもねぇ。コスプレ頼んだらしてくれるかな。普段から着て欲しい服とか言ったら着てくれるから、別にいつでも着てくれそうだし。

 まぁ、物は試しということで……。

「コスプレは?」

「……物に寄るかな?」

 あれ、なんで陰ができるんだ。

 不穏なことは言ってないつもりだったんだが。コスプレって言っても、犬耳とかそのくらいのつもりでいたんだが。

「犬耳」

「ワンちゃん? 前みたいに私のこと飼ってくれるの?」

 これはセーフらしい。陰が消えてめちゃハピ笑顔になってる。どこがボーダーラインなんだ?

 コスプレ……他にして欲しいのはメイドとかなんだけどな。去年の文化祭で着てたの、めちゃくちゃ可愛かったし。

 うーん、とりあえず変わり種として有人が話してたやつでも……。

「戦隊せれくしょんのマルちゃん」

 戦隊せれくしょんっていうゲームのマルちゃん? っていうキャラがいるらしい。ちなみに「せれくしょん」 は平仮名表記が正しいとか有人が言ってた。謎のこだわりはオタクあるある。

「……それ、どんなのかな?」

 一気に陰ができた。笑顔なのにゴゴゴっていう効果音が似合いそうなくらい怖い。

 どうやらキャラもののコスプレはNGらしい。愛菜之ならではのこだわりがあるんでしょう。

「俺も知らない。有人が言ってたのを出しただけだよ」

「……しなくていいの?」

「愛菜之が嫌がってるからいいよ」

「は、晴我くんがして欲しいならするよ?」

 別にして欲しいわけじゃないし、本当に知らないだけなんです。好奇心で言っただけで深い意味はないんです。

 とはいえ、愛菜之がなんで怒ってるか知りたい。嫌がるっていうよりは怒ってるって感情の方が強そうだった。

 怒る理由くらい察してこそ彼氏? 僕ぁ、超能力者じゃないんでねえ。

 愛菜之が敷いてくれていたビニールシートへ座り込んで、隣の空いているところをポンポンと叩く。

 隣に座った愛菜之の頭を撫でて、あやしながら聞いてみた。

「なんでキャラものは嫌なんだ?」

「……私とシてない感じがしてヤダなって」

 なるほど。確かにキャラもののコスプレは、その人というよりその人を通してキャラを見るって感じだしな。

 なんとも可愛い理由で怒っていた彼女さんを愛でたい気持ちが強くなる。どうも、こうやってヤキモチ妬かれたりすると嬉しくてたまらなくなる。

「じゃ、犬耳とかメイド服は?」

「……やじゃないけど、前にしたことあるよ?」

「文化祭の時だろ?」

 写真も撮ったし、記憶にも色濃く残ってるけど、記憶ってのは褪せてしまうもので。

 またあのキュートなものを見れるなら、お金だって出しちゃうし寿命すら差し出せる。文字通り、命削ってお相手してさせてもらうわけだが。

「……じゃあ、準備するから今日はいっぱいしようね」

 俺の手に自分の手を重ね、離さないというようにきゅっと握る。流し目で俺を捉え、視線すら離さない束縛の意思。


 とっくの昔に整っていた息は、ほんのりと弾み出して。


 拭いたばかりの頬に、一雫の汗が流れた。

 

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