第44話

 キツすぎる。学校、マジでキツすぎる問題。

 夏休みってやっぱ偉大だったんだ。休みイコール神。学校はクソ、勉学はクソ、労働もクソ。

 休みの時は、愛菜之のそばで幸せ☆甘々生活をしていた。名前を呼べば甘い声で返事をしてくれて、手をフッと出せばその手に収まるように頭を撫でさせてくれる。

 ご飯を食べる時は口移し、お風呂は手や身体で洗って、寝る時は薄い生地のネグリジェを着て裸同然で添い寝。まるで煽るように体を擦り付けては、耳元で愛の言葉ばかり囁いてくる。

 朝起きれば、俺の目の前で微笑を浮かべながら俺を見つめる彼女がいる。まだ眠気にぐずる俺をあやすように、頭を撫でて抱きしめてくれる。


 そんな淡い夏の思い出のおかげで耐えられて、どうにか放課後になった。過ぎればあっという間とか言うが、普通に思い返せば長いこと長いこと。

 愛菜之との思い出がなければ即死だった……帰ったらガンガンに甘えたい。愛菜之に愛されたすぎて震えちゃう。

「どうしたの?」

 愛菜之を見つめていると、首を傾げて不思議そうに俺を見つめ返してくる。

 席が隣なもんで、いつだって見つめようと思えば見つめられるしお喋りもできる。とはいえ、キスだのハグだのできないのはキツイ。

「ツラい……」

「ぐ、具合悪い?」

「愛菜之が足りない……」

 そういってみると、愛菜之は焦った顔からキョトンとした顔に変わり、そしてにへーっと頬を緩ませた。

 愛菜之はカバンを手に取り、机に突っ伏している俺の頭を空いている手で撫でてくれた。

「帰る前にちょっと補給しよっか」

 それを聞いて椅子を蹴飛ばさんばかりの勢いで立ち上がり、ひったくるように自分のカバンを手に取る。

「行こう!」

 どこぞの海賊王を目指す麦わら並みの元気がみなぎってきた。愛菜之がクスッと笑ってくれたのが尚更調子に乗らせてくれた。


「ここなら人も通らないはずだよ」

 武道館の陰あたり。若干ジメジメしているが、確かに人は滅多に通らないような場所だ。

 必ずしも通らないとは言えないので、さっさと補給して家でマジ補給をしたいところだが……。

「どうする? キス? ギューでもいいよ?」

「どっちも」

 即答してみれば、愛菜之はまた嬉しそうに笑う。焦らすように俺の腰回りに手を添えて、輪郭を確かめるみたいに撫でていく。

「甘えんぼさんだね」

「自分でもビックリしてる」

「ひさしぶりの学校で疲れちゃったんだよ。たっくさん甘えてね」

 そういって愛菜之は顔を近づけてくる。俺も顔を近づけて、唇と唇を合わせた。

 トン、と触れる唇で、愛菜之の唇の感触を感じとる。受け入れてくれるようにふにっとしていて、返事をしてくれるように弾力があって。

「ふぁ……」

 口を離すと愛菜之が息を吸い込む。その拍子に声を漏らして、その声にやたらと身体が反応してしまう。

 軽いキスだけで治まるかと言われればそうでもないが、今ここで深いのまでしたら抑えが効かなくなりそうだ。

「愛菜之……」

「ん、どーぞっ」

 そういって腕を広げて、おいでおいでと笑顔を向けてくれる。お願いしたのはこっちだというのに、愛菜之から誘うような色香というか、吸い込まれるようなフェロモンでも出ているのか。

 俺も正直にその色に誘われて、愛菜之の胸に顔をうずめた。

 愛菜之の腰の後ろに腕を回し、俺の方へ引き寄せる。思いっきり息を吸って、愛菜之の匂いで身体を染めるようにする。

「汗、かいてるかも……」

 恥ずかしそうに言っても、そんなものは俺の悪行を煽るものでしかない。完全に暴走している俺は、グリグリと自分の鼻を愛菜之の谷間に押し当て続ける。

「へ、変な匂いしない?」

「愛菜之の匂い好きだから分かんない」

「や、やだぁ……」

 上目で愛菜之の表情を確認してみれば、困ったような表情で顔を赤くしている。

 夏休みが明けて九月の時期、まだまだ暑い日が続いて汗をかかないわけがない。それでもなぜだか汗臭さなんて感じず、愛菜之の優しくて甘い匂いだけが俺の脳をぐちゃぐちゃに引っ掻き回していた。

「も、恥ずかしいよぉ……」

 シャツ一枚のフィルター越しに嗅ぎ続けていると、愛菜之が涙を目に溜め出した。大きな瞳に溜まっていく小さな泉は、また俺を熱くさせてくる。

「愛菜之、俺の頭押さえつけて」

「ふえっ?」

「愛菜之にギュッてされたい」

 そんなお願いをしてみると、愛菜之はまた困ったように口をまごまごさせる。俺は催促するように愛菜之の腰に回していた手に力を込め、ギュッと自分に抱き寄せる。

「苦しくなったら言ってね……?」

 そういって、俺の頭を優しい手つきでギュッと抱きしめる。形を確かめるように片方の手で撫でて、指の間に挟んで髪をいてくれる。

 匂いも感触も、独り占め。愛菜之を感じられるのも、愛菜之を触れるのも俺だけ。

 愛菜之は俺を好きでいてくれる。こんなことをしても嫌がらず、むしろ求めることを嬉しそうにしてくれる。

 愛菜之は、俺だけのものだ。




「ハァ、ハッ、ハッ……!」


 なにこれ、なンで、なンで。

 諦めたつもりだった、もう忘れるつもりだった。忘れたつもりだった。

 積もり積もった思いは、消したはずだったのに。


『愛菜之……』


 やめて、やめて。

 あんな顔した先輩、初めて見た。

 あたしの知らない先輩が、いた。あたしの欲しかった先輩が、いた。


 そこにはあたしがいたはずだった。


「うッ……!」


 部活の走り込みの途中だった。

 出会したのは、あたしの夢。叶わないはずの夢。

 敵わない人、恐ろしい人。

 あの夜が忘れられない。あんな思い、もうしたくない。

 怖くて、惨めで、冷たくて。


 ランニングコースを外れてしゃがみ込む。

 込み上げてくる思い、認めたくない、怖い、嫌、嫌だ。


「おぇッ……」

 

 ぼやける視界に映る手。

 いつも見てるはずなのに、やけに小さくて。


 そうだ。


 あたし、先輩の後輩でしかないんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る