第40話

 からりと晴れた空。夕方になってようやく雨は降らなくなった。

 一日中降るなんて言っていた天気予報は違っていたらしい。嘘つきなのは空なのか天気予報士のお姉さんなのか。

「晴れたよ、晴我くん」

「雨でよかったのにな」

「ふふっ」

 雨なら、もっと休みが貰えたんだが。愛菜之とまだイチャイチャしたりない。

 夕方だからもうボランティアの作業はしなくてもいいとはいえ、明日の午前中はしないといけなさそうだ。


 座椅子に座って、愛菜之がいれてくれたお茶を飲む。すっかり晴れた空を窓から見つめ、中学の時を思い返す。

「……裏愛」

 口に出してみれば、脳裏にアイツのことがよぎる。思い出したいような、思い出したくないような。

 アイツとの思い出に嫌なことも嬉しかったこともある。誰だってそうだろうけど、嫌なことも笑い話にできるくらい、アイツとは仲が良かった。

 アイツは今、なにをしてるんだ。あの後、どうなったんだ。どうすれば、良かったんだ。

「他の女の名前、出しちゃやだ」

「……愛菜之」

 窓を見ていた俺の隣に、いつの間にやら愛菜之がいた。

 愛菜之はそのまま、いつものように俺を抱きしめる。俺も抱きしめ返して、いつもみたいにお互いの温もりを確かめ合う。

「愛菜之」

「んふー?」

 どこぞのナメコみたいな返事をしてくれる愛菜之が可愛くてしょうがない。不安も拭ってくれた今、純粋に愛菜之を愛したい気持ちが高まっていた。

「好きだよ」

「んふふー」

 頭を撫でると、嬉しそうな顔でもっともっとと催促してくる。俺の手に頭をグリグリと押し付けて、俺もそのまま撫で続ける。

 相変わらず可愛くて困る。どうしてこんなに可愛いんだろうな。

「……愛菜之ってさ、なんでそんなに可愛いんだ?」

「ふぇ?」

 こんなアホな質問をされるとは思っていなかったのか、あんまりにも恥ずかしい質問だったのか。愛菜之は顔を赤らめながらキョトンとしていた。

「か、可愛いって言われてもわかんないよ」

「愛菜之が可愛くてしょうがなくてさ。どうしてそんなに可愛いんだよ」

「わ、わかんないってばぁ……」

 赤らめた顔を俺の胸にうずめている。そんな一挙手一投足すら可愛くてたまらない。

 不安という邪魔物がいなくなってから、俺の中で愛菜之好き好きゲージが爆発している。彼氏である俺がこんな気持ち悪いことになっても愛菜之は許してくれる。優しい子だね!

「愛菜之」

「な、なぁに?」

「一生好きだよ」

「……い、一生じゃやだ」

 わがまま、というよりは可愛らしいお願い。こんなの、嬉しいに決まってる。自分の顔がいやらしくニチャッていくのが分かる。

「これからも、死ぬまで。死んでから、来世でもその先でも一緒にいてくれ」

「……何があっても離れないよ?」

「再三言ってるけど、俺は愛菜之がいないともう無理だよ」

 そんなこと言えば、せっかく俺を見つめてくれていた愛菜之は恥ずかしそうに俺の胸へ顔をうずめてしまう。

 赤くなった両の耳たぶを指でふにふに触っていると、愛菜之はくすぐったそうに吐息を漏らす。

「ふぁ、あふぇ……」

 嬉しそうな気持ちよさそうな、甘い吐息と声。そんなところを見せられると、どことは言わないが疼いてしまう。

「愛菜ちゃん」

「ふぁいぃ……」

 あだ名というか、この呼び方もイチャイチャしてる時に呼ぶのが定着してきた。はーくん呼びも嬉しいけど、外でその呼び方をされて、近くにいた知らん人も反応してたから思うところがある。

 特別な呼び方……はーくん呼びもなかなか良いんだがなぁ。

「まな……」

「ふあい……」

 まな呼び……いいんじゃないか? なんというか、ちゃんを付けないあたりが親しい感ある。

「まな、俺とずっと一緒にいような」

 調子に乗ってそんなことを恥ずかしげもなく言うと、愛菜之はトロトロの目で俺を熱っぽく見つめていた。

「晴我さまぁ……」

 俺は様付けされるような身分じゃないんだが。一国の王様でもないし、どっちかっていえば俺は愛菜之の尻に敷かれたい。

「帰っておいで」

「ふや、ふぁ……?」

 愛菜之の頬をもにもにして呼びかけると、どうにか帰ってきた。うーん、可愛い。俺はどうやら愛菜之がなにしてても可愛い症候群になってしまったらしい。

「愛菜之」

「はい……」

「……戻ってきてる?」

 目が蕩けてしまってるが。トリップしたままだとお話しできないね? 困ったもんだが、こうしている時間も愛おしいもんだと思えてくる。

 愛菜之は蕩けきった顔のまま、俺をポーッと見つめている。ポヤポヤした顔が可愛くて、顔がニヤけていくのが自分でもわかる。

「愛菜之」

「ふゃ……」

「……裏愛」

 ほんの思いつきで裏愛の名前を出すと、愛菜之の表情が一瞬で冷めきった。あまりの変わりように蕩けた顔は芝居だったんじゃないかとすら思った。

「他の女……」

「ごめん。俺は愛菜之一筋」

 軽くそう言っても、愛菜之はムスッとした顔を治してはくれない。愛菜之はそんなムスッとした顔を俺に近づけてくる。

「……そうやって他の女の名前出すと、晴我くんの口が汚れちゃうよ」

 そういって、まるで俺の口を洗い流すかのようなキス……を、させるわけもなく。

 愛菜之はまだ口の中をケガしてるんだから、安静にしないとな。

「口の中、ケガしてるだろ?」

「……痛くないもん」

「血ぃ流してたんだから痛くなくてもダメだ」

 こっちは本気で心配したんだ。あの時、こんな軽いケガでも愛菜之が死ぬんじゃないかなんて思うくらい、腑抜けた頭になった。

 愛菜之がいないとダメになったんだと、なおさら自覚した。

「だからしばらく、キスもお預けだ」

「……口移し」

「キスもダメなら口移しもダメだろ?」

 そういうと、愛菜之は絶望しきった顔で俺を見ていた。キスできないくらいでそんな顔を……なんて思うだろうが、俺も痛いくらい気持ちが分かる。風邪引いた時にキスできなかったの、中々辛かったしな。口移しはしたけど。

「わ、私の血が汚いから?」

「いや、そんなことは思ってない」

 なんなら飲んだしな。ていうか汚いっていうのは俺の唾液のほうだろ。

 傷口に俺の唾液が入って、なにかあったら俺は腹を切るね。介錯は頼んだよ……。

「俺の唾液が入ったりしてなんかあったら大変だろ」

「な、治りが早くなるよ!」

 何を根拠に自信満々で言えるんだ。エセ科学にもほどがある。

 はやくはやくとおねだりする愛菜之を見ていると微笑ましくなってくる。とはいえ、キスも口移しも当分はお預け。俺にとっても愛菜之にとっても辛いだろうが、我慢できるのが人間なんでね。

「ダメなもんはダメ」

「き、キスがダメなら口でシてあげるのもダメなの?」

 ……そのカウンターは予想外だった。唐突すぎて最初、なにを言われたか分かんなかった。

 しかしまぁ、別に一人ですれば……。

「私、晴我くんにしてあげたいよ……」

 そっちかぁ……。してあげないよ? じゃなくて、してあげたいよ……の方かぁ。

 こういう言い方をされるとは思わなかった。未だに愛菜之に対する認識が甘いらしい。愛菜之は、何があろうと俺を第一に考える。

「……軽いキスならいい。舌入れたりダメだぞ」

「ほんとっ!?」

 愛菜之にとっては死活問題らしく、リアクションが大きくて思わず驚く。キスくらいで……なんて思うだろうが、キスを挨拶のようにしてる俺たちにとっちゃ確かに死活問題だった。

「じゃあ、シよ? 深いの一回と同じくらいだから、軽いの十回くらいかな?」

 軽いの十回……ヤバいな、我慢できるかねぇ。

 俺だって我慢してるわけで、そんな中で軽いのを何回もしてれば我慢もできなくなりそうだ。

 愛菜之はしたいしたいと目がおねだりしてるし、断る理由も気もない。

 顔を近づけて、ふわりと優しいキスをする。愛菜之は嬉しそうにそれを受け入れて、顔を離すと少ししょんぼりした顔でいた。

「……深いの、したい」

「ダメだって……」

 物足りないような、寂しそうな顔をする愛菜之に胸を締め付けられる。とはいえ、我慢してるのは愛菜之だけじゃないことを分かってもらいたい。俺だってできることならしてるしな。

「キスしたいよぉ……」

「っ……」

 甘えるような顔と声。胸が燃えるように熱くなる。

 でも、ここで許してキスをするようじゃ甘い。愛菜之の体を考えるなら、心を鬼にしてでも止めるべきだ。

「晴我くん、晴我くん……」

 そんな甘い声を出してくるもんだから、俺も我慢できなくて。

 愛菜之の体を力いっぱいに抱きしめる。痛いって感じるくらいの、思いっきりのフルパワーで。

「んんっ……」

 苦しそうな、でも気持ちよさそうな。そんな顔をされたら、俺ももっと焚き付けられて。

 愛菜之の綺麗な首筋に、俺は歯を立てる。痛くしないように、でも痕をつけられるくらい強く。

「ふぁ、んやっ……」

 甘い声が熱を帯びていく。俺の耳にかかる息はまるで催促するように生暖かい。

 口を離して顔を見てみれば、愛菜之はその大きな目に涙を溜めていた。お互いの荒い息が交わるくらいの距離で、俺たちは見つめ合う。

 ドクンドクンと心臓の音が大きくてうるさくて敵わない。止まれだなんて、どうしようもないことを思うくらいに。

「……めちゃくちゃに、してください」


 まんまとその言葉に煽られた俺は。


 深く深く、愛菜之と口づけを交わして。


 深く深く、愛菜之へと溺れていった。

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