第39話

「雨か……」

 布団から窓を見やると、外は朝だというのに暗かった。ザーザーと大きな音を立てる大雨が、降り注いでいた。

「今日は一緒にゆっくりできそうだね」

「だといいけどな……」

 俺をギュッと抱きしめる愛菜之が、耳元でスンスンと鼻を鳴らしている。

 恥ずかしいなんて普段なら思えただろうが、今はひたすら嬉しかった。愛菜之が俺を求めてくれるのが生命線ですらあった。

 

 昨日に続いて、海辺のゴミ拾いをするはずだったが大雨で海が荒れて危ないとかで中止になった。雨が止むまでは待機らしいが、この天候じゃあ一日降り続けるだろう。

 正直、理由なんてどうでもいい。俺は愛菜之と二人でいられるならそれでよかった。

 昨日からずっと愛菜之と離れることはなかった。離れたのはトイレの時くらいか。

 眠る時は抱きしめあった。風呂の時はお互いの身体の形を確かめ合うように手で洗いあった。

 愛菜之を必死に求める俺に、愛菜之は嫌な顔を見せずに……どころか、時折嬉しそうな顔すら見せてくれた。

 嫌がるかも、めんどくさいと思われてるかも、なんて女々しい心配をしていた俺を安心させるように、愛菜之から求めてくれることもあった。

 眠っている間、愛菜之を感じられないからと眠ることを怖がる俺に、愛菜之は優しく抱きしめてくれた。


「……んッ、どうしたの?」

 そんなことを思い返しながら、愛菜之を後ろから抱きしめなおす。

 長い髪をかき分けて、綺麗なうなじに舌を這わせた。我ながら気持ちの悪いことをしてるなぁ、なんて冷静な自分が心の隅にいたが、もう気持ち悪かろうがどうだってよかった。

 抱きしめていた腕を離して、今度は愛菜之の胸を下から持ち上げて弄ぶ。俺のシャツ一枚しか着ていないから、重力に従っている大きな胸は触っていて心地よかった。

「やん……」

 胸を揉むと、愛菜之が甘い声を漏らす。

 うなじに這わせていた舌も勢いを増していく。まるで肉を貪る獣みたいだった。

 されるがままでいてくれる愛菜之は、甘い声と熱い吐息を漏らしていた。それが気持ちと手の動きを早くさせる。

「はっ、あぁ……」

 昨日と同じく、壁に背を預けて座る俺の上に愛菜之も座っていた。

 そんなわけだから、俺の興奮も愛菜之には伝わっていて。

「……おっきく、なってる」

 首だけを振り返る愛菜之の目には、涙が溜まっている。頬は上気していて、耳は真っ赤だった。

 クーラーを効かせているのに、愛菜之の身体は熱い。熱くて熱くて、俺もその熱に当てられる。

 シャツの中に手を突っ込んで、愛菜之の肌へ直に触れる。幾度となく触ってきたのに、この触り心地には飽きることなんてない。

「はぁ、はあぁ……」

 腹を指の先でなぞるだけで、熱しきった息を漏らす。煽ってるんじゃないかとすら思えるその様に、俺は煽られるがままにしがみついた。

「いい、よ……? あッ……ぶつけ、て? 不安も好きも、全部……」

 雨の音に、俺たちは重なっていった。




「……俺、最低だな」

 不安を愛菜之の身体にぶつけるだけぶつけた。愛菜之に縋りついて拭おうとした。

 こんなの、愛菜之を侮辱してるようなもんだっていうのに……。

「私は気持ちよかったよ」

 一緒にお風呂に入っている愛菜之が、そう言ってくれる。気持ちいいなら良かったね、なんてそんな簡単に済ましていいことじゃない。

「それは良いけど……でも、良くないんだよ」

 チャポンと音を立てて、風呂の中へと沈んでいく。

 俺の足の間に挟まる愛菜之は、髪をお団子に纏めている。そのおかげで綺麗なうなじが見える。さっきまで貪り、味わっていた身体。

 俺は、愛菜之の身体を使ってしまった。


 今まで、そんなことはしないって誓っていた。誰にでもなく、そう誓っていた。

 けれど、不安に溺れた俺はその不安を拭うために愛菜之を使った。こんなの、彼氏として、恋人として失格だ。

「ごめん、本当にごめん」

「謝らなくていいんだよ? 私、晴我くんの所有物だもん」

「それは……そうだけど」

 たしかに、俺たちは互いを所有物だと思っている。

 もう自分だけの身体じゃないんだっていう、いわば鎖みたいなものだ。俺たち同士を俺たち同士に結びつけて縛る鎖。

「それにね、謝らないといけないのは私のほう」

「愛菜之が謝ることなんてないだろ」

「ううん。私ね、欲張りになっちゃった」

 手でお湯を救い、そしてそのまま落とす。

 無意味なその行動は、まるで心の準備をしているように思えた。

「前までね。私は晴我くんが幸せになれるなら、それでいいと思ってたんだ」

 俺が幸せになれば。俺の幸せは、なんだろう。

 今となっちゃ、俺の幸せは愛菜之が近くにいてくれることだ。愛菜之と一緒にいないと、もう幸せなんて感じられなくなってしまった。

「私のことを知らなくてもいいし、もしもこうして付き合ったとしても道具みたいに扱かわれてもいいって思ってたの」

「……ごめん」

 思わず謝っていた。さっきまでシていたことは、愛菜之を道具として扱っていたのと変わらない。

 それでも愛菜之は、柔らかい表情で笑ってくれた。

「謝らないで? 私、晴我くんに激しくされるのも好きだよ」

「それ、は……たまになら」

「ほんと? 晴我くんがあんなに求めてくれるのね、すごく可愛くて好きなんだぁ」

 なんだか子供扱いされてなくもない気がする。けどまぁ、あんなことやこんなことをしても愛菜之が許してくれるならなんでもいい。

「でね、こうして付き合って結婚もしようって誓い合って。そしたら、もう絶対に晴我くんの隣にいたいなって思うようになっちゃって」

 そう言われて嬉しかった。愛菜之も、俺の隣にいたいって思ってくれてるんだって知れたから。

 今までだって、何回も一緒にいようって話をしていたのに。それでも改めて言われると、嬉しかった。

「最初はね、晴我くんの近くに他の女が寄るのは嫌だなぁって思うくらいだった。晴我くんが他の女を選んだら、潔く身を引かなきゃなって思ってたくらいだったの」

 それを聞いて、思わず愛菜之をギュッと抱きしめる。愛菜之はそれに気づいて、俺の腕に手を回してくれた。

「大丈夫。今は欲張りになっちゃったから。もう私、絶対ぜーったい晴我くんと一緒にいないと嫌になっちゃったから」

 その言葉だけで、俺はもう幸せだった。

 ギュッと愛菜之を抱きしめて、またうなじにキスをする。別にうなじフェチとかそういうわけじゃない。俺しか見れないという特別感のせいか、よくキスをしてしまう。あと、愛菜之が喜ぶ。

「だからね、ずっとお側にいさせてください」

「……喜んで」

「私のセリフだよ」

 なんて、笑い合って話す。

 ああ、やっぱ俺は愛菜之が好きだ。こんなこと言われて、俺はもうおかしくなりそうだった。

 愛菜之に好きって言われるのが、なによりも嬉しい。不安だって、消し飛ぶくらいに。

「……俺、裏愛を睨んじゃってさ」

「……うん」

 他の女の子の名前を出したからか、若干声のトーンが落ちた。明確に聞き分けられるくらい、俺は愛菜之と一緒にいる。

 怯えるような、怯んだようなあの目。今まで、俺は裏愛に怒ったり、なにか敵意を持ったりもしなかった。

 あの時が初めてだった。明確に敵意を向けたのは。

「また、昔みたいに話せるかな」

「……私はそうならないで欲しいけど、きっと昔みたいになれるよ」

 愛菜之は、どこまでも優しい。こうして素直な気持ちを教えてくれて、自分にとって嫌なことでも俺の幸せを願ってくれる。

 こんなにいい子が、俺の恋人でいてくれることがもう幸せだ。

「愛菜之」

「なぁに?」

「好きだ」

「えへへ、私もだよ」

「……好きだ好きだ好きだ」

 一度伝え始めると止まらない。好きで好きでたまらなくて、想いを伝えたくて。

 愛菜之にもっと思いをぶつけたい、思いを預けたい。

「愛してる愛してる愛してる」

「は、晴我くん? ひゃんっ」

 愛菜之を抱きしめて、うなじに噛み付く。歯を立てて、痛くないように痕をつけていく。

 綺麗な白いうなじに、どんどん痕がついていく。俺が侵しているんだという自覚が、ゾワゾワと胸の奥を駆り立てる。

「好きだ、好きだ好きだ……っ」

「あっ、晴我くん……」

 嬉しそうな蕩けた声。それが俺を煽り、また俺は愛菜之に思いをぶつける。

 愛菜之が愛おしい、愛おしくて愛おしくて狂いそうだ。

「胸、触るぞ」

「……聞かなくてもいいんだよ?」

「いいよって言われるの、俺の特権みたいで好きなんだよ」

 そういうと、愛菜之は微笑んで俺をみつめた。

「さっきは聞かなかったよ?」

「あれは……愛菜之が欲しすぎて、抑えらんなかった」

 愛菜之はまた、柔らかい笑みを浮かべてくれた。

 まるで我が子でも見る母親みたいな、愛おしくてたまらないものを見る目。

 それでも、向けられる色の欲に興奮を抑えきれない目のギラつき。

「……いいよ。晴我くんだけだよ、私に触っていいの」

 そんなこと言われたら、俺がおかしくなるのなんて当たり前だった。


「愛菜之……愛菜之愛菜之っ」

「好きだよ、好き好き好きっ」

「愛菜之が好きだ、好きだ」

 

 今度はお互いの好きが、ぶつかった。

 

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