第37話

「ンわッ!?」

 ……空気の読めない女だなぁ。

 そこはちゃんと気絶して欲しかったのに。なんで上手くいかないのかな。

 後ろに飛びのいた女狐は、キッと私のことを睨みつける。

「……疑ってて正解っすね。ほンっとに頭おかしいわ、アンタ」

「どうも」

 バレたならしょうがないかな。まぁ、やり方はいくらでもあるし。

 力じゃ負けちゃうかもだし、さっさとお眠してね。

「褒めてなわっ!? ふざけッ……!」

 勢いよく近づいても、ちゃんと反応して避け続ける。運動神経だけはいいんだったね、女狐さん。

 そのまま私は近づき続けて、女狐は後ずさりしながら逃げる。

 砂浜に足を取られて、女狐が転んだ。

 神さまも、たまには役に立つみたい。

 転んだ女狐にスタンガンを向ける。今度こそ、今度こそ……!

「……しつこい女」

「アンタがだろッ!」

 私の腕を掴んで、火花を散らすスタンガンをすんでのところで止めている。アンタがだろ? しつこいのは絶対にあなたのほう。

「はやく消させてよ。あなたがいると気持ち悪くてしょうがないの」

 グッと腕に力を込めて、スタンガンを近づけていく。目の前にある歯を食いしばった女の顔。はやくコレを消さなきゃ、晴我くんと私の時間が減っちゃう。

「助けて! 誰かぁッ!」

 女狐が声を上げ出した。耳がキンキンして気持ち悪い。こんな気持ち悪い声、晴我くんに聞かせちゃダメだよね。

「無駄。晴我くんからここに来てってメッセージもらってたでしょ?」

「だから、なンすか……!」

「アレ、私が送ったの」

 ここ、人気がないから素敵。周りを気にしちゃう晴我くんのために、心置きなくイチャイチャできる場所を探してたら見つけた。

 こんなことのために使うつもりじゃなかったけど、まぁいっか。

「ここには人は通らない、声を上げても届かない。分かったら、いい加減受け入れて」

「……ッ!」

 目に涙を浮かべ出した女狐の手から、少しずつ力が抜けていく。誰だって組み伏せられたら抗うのは難しい。ここまで耐えられてすごいね、女狐。

 じゃ、バイバイ。




「こンのッ!」

 諦めたと思って油断していた。

 女狐が勢いよく体を捻る。スタンガンは空を切った。

 女狐はそのまま、もう一回体を捻る。勢いよく振られた女狐の拳の裏が、私の頬を思いっきり叩いた。

「けほっ」

 もろにその拳を受けて、そのまま倒れ込んでしまった。スタンガンは手放してないから、それだけがまだマシだった。

「はぁ、はぁっ……!」

 ほんの数分のやり取りで、女狐は息を切らしていた。

 口の中に鉄の味が広がる。その味にむせて咳をすると、砂浜に赤いシミができた。

「……ッ!」

 それを見た女狐が、自分が傷ついた顔をしていた。殴られたのは私なのに、なんでそんな顔するの?

 もったいない……せっかく晴我くんが焼いてくれたお肉とか、お野菜を食べたのに……。

 やっぱりコイツ、嫌い。邪魔。

 睨みつけてみたら、女狐が怯えてる。泣きそうな顔をしてる子供みたい。変なの、なんでそんなに怖がるの? 

 晴我くんなら分かる? ねぇ、晴我くん。晴我くん……。

 口の端から血が垂れてきた。もったいないや。

 手のひらで拭って、それを舐めとっていく。私の体は晴我くんでできてるんだから、無駄にしたらダメだよね。

 晴我くんで出来てる血、すごく美味しい。えへへ、晴我くん晴我くん。

「ひっ……!」

 あ、そうだった。この女、まだいたんだった。


 消さなきゃ。


 


「……っ!?」

 俺に気づいた裏愛を無視して、俺は愛菜之を思いっきり抱きしめた。

「きゃっ!?」

 ……一悶着あったらしい。今度は間に合わなかったみたいだ。


 スマホにあった裏愛からのメッセージ。二人きりで会いたい。そんなメッセージに、俺から返した覚えのない俺からのメッセージ。

 愛菜之がしたんだと、すぐに気づいた。こんなことするのは愛菜之しかいない。

 スマホだけポケットに突っ込んで走り、ようやく二人を見つけた時には事は始まっていた。


 俺に抱きしめられた愛菜之は、ニコニコしながら振り返る。たぶん、抱きしめられた時からもう誰か気づいていたんだろう。

「……愛菜之、血が出てるぞ」

「うん、ちょっと失敗しちゃった」

「俺、愛菜之がケガするのは嫌だって言ったよな」

「ごめんなさい……」

 項垂れる愛菜之を離して、今度はギュッと手を繋ぐ。愛菜之の手に付いていた血が生暖かい。

 愛菜之が逆の手に持っているスマホのような何かを取り、ポケットに入れた。たぶん、武器かなにかなんだろう。

「……裏愛がやったのか」

「っ! わ、私は……!」

「裏愛がやったのか」

 怯む裏愛に、俺は表情を動かせなかった。

 そんな裏愛に変わって、愛菜之が答えた。

「ごめんね。晴我くんのものなのに、殴られちゃった」

 それを聞いただけで、頭が熱くなった。

 愛菜之が殴られた。顔に傷をつけられて、内頬が切れたのか、血が出て。

 想像しては頭がおかしくなりそうなくらい、熱くなる。涙が出そうなくらいだ。

「帰ろう」

 一言だけそう言って、俺は振り返る。もう、この場にはいたくない。

「先輩っ……!」

 呼ばれてまた振り返る。グッと手に力が入って、愛菜之の手に付いていた血がニチャリと音を立てた。

 裏愛を視界に捉えると、当の裏愛はビクッと怯えていた。

 呼び止めた裏愛は、なにも言わない。少しの時間が惜しくて、俺は声をかける。

「なんだよ」

「ッ……!」

 少し俺の声にイラつきが混じってしまったからか、裏愛はまたビクリと肩を揺らしていた。

 それでもなにも言わない裏愛に、俺はもう一度前を向いて、手を引いた。

 もう、なにを言えばいいかも浮かばなかった。

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