第36話
パチパチと脂の弾ける音、ゆらめく陽炎。少し煙ったいけれど、いい匂いがしてくる。
薄い肉を箸で掴んで、皿に盛りつけた。大事に育てた肉はいい焼き加減の網目模様をしていた。
「ほら、お食べ」
「いただきまーす」
愛菜之に皿を手渡し、その上の肉を箸で掴んで口へと運ぶ。
ふぅふぅと息を吹きかけ、口周りを汚さないように慎重に運んで、食べさせてあげた。
「……おいひいよ」
もぐもぐと口を動かしながら、感想を言ってくる。口に手を添えながら咀嚼をして、そんな様子が俺の胸を打っていた。
「そりゃ良かった。……可愛いなぁ」
「むへへ……」
愛菜之とイチャイチャしながら楽しむ、夜のバーベキュー。夏の風物詩を彼女と楽しめるなんて最高以外のなんだっていうんですかね。
「……他所でやってくれませン?」
「晴我、まだ焼いてくれてないのかい?」
二人っきりなら、もっとよかったんだけどね!
後輩に親友、もといおじゃま虫二人。はっひふっへほーとか言ってほしいくらいのおじゃま虫っぷりでしたね。パンチ食らわしたら空の彼方まで飛んでってくれないかな……。
「有人は自分で焼けよ」
「いやぁ、火を使ったことないしさ」
「でも文句言うじゃん」
コイツ、まだ赤身がー!だの、焦げすぎー! だの言うんだよね。トングでビンタしてやろうと思ったけど、愛菜之の前でそんなことできるわけもなく。
とりあえず、今焼けたばかりの肉を一枚だけ有人の皿に乗せてやった。
「わっ、まだ焼き目が薄いじゃないか」
シバく! ぶつ! ころす!
いい加減にしろよ、コイツ。肉はいい加減に焼けてんだから文句ばっかいうのやめろっての。食えば大抵うまいんだよ、肉はよ。
「せンぱーい、あたしの分まだすか?」
「待ちなさい! 肉は逃げません!」
「オカン……?」
わんぱく小僧の肉を焼くために、バーベキューに参加したわけじゃないんですが。俺は焼肉奉行でもないし、合唱コンクールを仕切りたがるような性格でもない。ただ好きな人のために肉を焼いたり、歌をうたってあげたりしたいんだ……。
「ほら、焼けたぞ」
「ウィンナーすか……」
「ハムを馬鹿にしたか?」
「ウィンナーすかぁ……」
ハム美味しいだろ! パリパリしてるしジュワッてしてて美味しいだろ! ハムさんを馬鹿にするな!
ムカついたので皿に焼けたばかりのハムを追加してやった。
「普通の肉はどこすか?」
「今育ててる途中でしょうが!」
「あ、味付けは塩でおなしゃーす」
注文の多いやつだなぁ、お前を料理してやろうか。まずは靴をお脱ぎくださいってね。
そんなどこぞの料理店くらい注文の多い後輩の肉を焼いてやる。誰かが用意してくれていた塩をひとつまみ振りかけて、肉が反応するようにパチパチと脂を飛ばした。
「ほらよっ」
「あざーす!」
焼けたばかりの肉を嬉しそうな顔で受け取る。うんうん、いい笑顔だねぇ。おじちゃん、若い子が美味しそうに食べてくれるところを見るのが幸せなんだ……。
バスケ部だけあってよく食べるようで、文句を言っていたハムもぺろりと平らげていた。素直になれよ……好きなんだろ? ハム。
「……なンすか?」
「美味しそうにいっぱい食べるよなって」
「ジロジロ見ないでもらえます?」
そういって、そっぽを向いてモグモグしだした。……耳が赤く見えるのは、陽炎のせいで確信が持てなかった。
まぁ、美味しそうに食べてもらえてるなら満足。先生方も先生方のテーブルで寛いでるようで何より。
「……」
ひとり、もくもくと肉を網に押しつけて焼いている子を除けば。
肉が悲鳴のようにジュージューと音を立てている。片面しか焼いていないだろうに、網についていないもう片面もすっかりいい具合に焼けていた。
「……私の晴我くんなのにね」
かっ開いた大きい瞳が恐ろしくも愛らしい。こうやって嫉妬してくるところも、怒りを沸々とたぎらせているところもいじらしくて可愛い。
バチバチと和やかなバーベキューには似つかわしくない脂がはじける音。さすがに肉が可哀想なので、余ってたトングで肉を救出した。
「……晴我くん?」
「俺に焼いてくれたんじゃないのか?」
「……それ、焦げちゃってるよ」
「俺のために焼いてくれたんじゃないのか……」
「そ、そうじゃなくてね? 晴我くんには綺麗に焼けたのを……」
俺が拗ねると、愛菜之はあたふたと慌てだした。まぁ、いつものこの流れ。愛菜之が慌てる姿を見るのには慣れなくて、毎度のこと心苦しい。
「あーん」
「ふぇ? えと、あーん」
俺が口を開けて待っていると、愛菜之が焼けたばかりの肉を口に運んでくれた。
タレをつけていてくれたみたいで、甘いタレがよく絡んでいて美味しかった。
ごくんと飲み込むと、不安そうな顔をしている愛菜之に笑顔を向けて感想を伝える。
「愛菜之が焼いてくれると美味しいよ」
「えへへ……」
安心したようにぽやぽやと笑顔を浮かべている。可愛い笑顔に思わず胸がときめいて、愛を伝えずにはいられなかった。
「愛菜之好き」
「ふへへぇ……」
幸せムード全開。やっぱ俺たちはこうでなきゃね。
さっきも言ったが、愛菜之が怒ったり、苦しそうな顔をしているのはあんまり見たくない。
やっぱり、裏愛とは距離を置くしかないよな……。それはそれで辛いものがあるし、裏愛を無視できるほど俺は神経が太いわけじゃない。
「まーた、あンたらは……」
ため息を吐く裏愛を、愛菜之は睨みながら言い返す。
「晴我くんとイチャイチャしてる私が羨ましいの?」
「はっ? 羨ましいとか思ってないンすけど」
「じゃあ一々突っかかってこないで。フラれたくせに」
「ふざっけンな! いい加減にしろよアンタ!」
裏愛がマジギレしそうになってる。ていうか、たぶんしてる。
愛菜之はわざとか天然なのか知らんが、煽るようなことを言わないでほしい。喧嘩なんかになったら、俺は完全に裏愛を突き放すしかなくなる。
「あたしが先輩のこと、好きだったのは事実でも! それをイジるのマジで性悪なンすけど!」
「人の彼氏を奪おうとしてた人に性悪って言われたくない」
ここだけ空気重くないか? 飯食ってる時に胃が痛くなるのは勘弁してほしい。
育てていた肉を裏愛用の皿に盛り付け、適当に野菜も盛っておく。
「どうどう、ご飯食べて落ち着きな」
「……たまねぎ嫌いっす」
「好き嫌いしなさんな」
玉ねぎはな、焼くとうまいんだ。野菜の優しい甘味がな、沁みるんだ……。
そんな年寄りの意見は聞いてもらえず、うげぇって顔をやめてくれない。農家の人に失礼でしょ!
「……ほら、ハム追加しとくから」
「またウィンナーすかぁ……」
「野菜と一緒に食えばいいだろ」
いっぱい食べればその分、成長できるからな。俺はあんまりご飯食べないのは秘密だけど。
裏愛に小言を言っていると、愛菜之が頬を膨らませながらお皿を俺に渡してきた。
「わ、私もお野菜苦手っ」
「愛菜之は好き嫌いなかったよな……?」
愛菜之とずっと一緒に過ごしてきてるから、好みくらいはさすがにわかる。……たぶん、裏愛に張り合ってるんだろうけど、張り合い方が可愛すぎるな?
「お、お野菜苦手だけど。頑張って食べるから……いっぱい褒めてほしいですっ」
やっぱり俺の彼女さん、可愛いよな? もう言葉にすんのも無粋。全部が全部可愛い成分で作られてる。
「好き嫌いがない愛菜之もえらいし、野菜を食べる愛菜之もえらいよ」
「……ほんと?」
「愛菜之はえらい、可愛い、好き」
「えへぇ……」
嬉しそうに頬を緩ませる愛菜之とは裏腹に、裏愛がドン引きした顔で俺たちを見ていた。
「何かにつけてイチャつかンと気がすまないンすか?」
「もっと褒めて?」
「愛菜之可愛い……」
「無視すンな!」
ぎゃーぎゃー騒いで、ちょこちょこ愛菜之とイチャイチャして。
高校生の夏ってこんな感じなのかもしれない、なんて変な感想を浮かべていた。
「先輩! 来てくれた……」
「晴我くんは来ない」
夜の海、月明かりを反射してて綺麗。ここ、晴我くんと二人で来たかったな。そしたら、月が綺麗だな、なんて言われたり……。
「……なンで、奥サン(笑)のほうが来るンすか? お呼びじゃないっす」
「旦那様をホイホイ他の女に向かわせようとするお嫁さんはいないと思うけど?」
この女狐、油断も隙もない。
晴我くんのスマホにメッセージが来てた。『二人きりで会えないすか』 だって。笑っちゃう。
私の晴我くんを、易々と渡すわけがないでしょう。
「晴我くんに付き纏うの、そろそろやめて欲しいんだけど」
「付き纏ってないンすけど。今回だって生徒会の仕事でたまたま居合せただけじゃないすか」
「ふーん……」
その割には、朝の顔合わせの時から嬉しそうな顔してたけどね。
私の晴我くんに色目使って、ほんとに気持ち悪い。私の晴我くんを汚して汚して、もううんざり。今日だって、晴我くんが焼いたものを食べて、話をして……ああ、イライラする。
早く帰って、布団で寝てる晴我くんと添い寝するんだ。
「フラれたんだから弁えてくれる?」
「……チッ」
聞こえるように出す舌打ち。相当怒ってるみたいだけど、私の方が怒ってる。
いい加減、私たちの前から消えて欲しい。生徒会だってさっさとやめてほしい。もうコイツのことに思考を割きたくない。私は晴我くんを想うのに忙しいの。
「フラれたフラれた……バカの一つ覚え。ボキャ貧なお嫁サンを持ってカワイソっすね、晴我先輩も」
「……晴我くんの名前を呼ぶな」
汚すな汚すな汚すな。私の晴我くんなのに、私だけのものなのに。
「名前すらダメって異常なのわかンないンすか? あーあ、晴我先輩ってほンとカワイソ」
殺す。
コイツの口から、コイツの声が、晴我くんの名前を形取る。そんなの、ダメ。
もうコイツは、陽の光なんて浴びない。
もう、晴れの日は拝めさせない。
手に持った、スマホに似た形のスタンガン。少しいじって電力を変えてるから、食らえばしばらく気を失なう。
「……なンすか、こっち来ないでもらえます?」
「なんで? 私が怖いの?」
鼻で笑って、ゆらゆらと近づいていく。イライラしてるのか、女狐は後ずさるのをやめた。
「ナイフ持って襲いかかってきたくせに良く言えますね。頭おかしいっすよ、アンタ」
「よく言われる」
これが最初で最後の、私から送るお前へのプレゼント。目の前があの月明かりみたいに、真っ白になる特別なプレゼント。
腕をサッと近づけて、スイッチを入れる。
はい、どうぞ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます