第35話

「つっかれたなぁ……」

「お疲れ様」

 宿について、すぐに床に寝転んでしまった。畳は家にないから新鮮だったりする。

 やっぱ日本人の心が詰まってる畳、寝心地がいい。畳特有の匂いとかも好きだ。将来は和室のある家に住みたいもんだなぁ……。

「畳、気持ちいいぞ」

「ほんと? それなら、私たちのお家にも敷く?」

「いや、いいよ」

 愛菜之のことだから、たぶん俺の要望を叶えるために部屋一つ増やしたりしそう。そんなことさせられない。無駄な出費は避けようね!

「いいの? 和室一室くらいならすぐに手配……」

「いいから、いいから。隣来て……や、服にシワがつくか」

 そういって俺が起きあがろうとすると、その前に愛菜之が隣に寝転がってきた。服にシワがつくって言うとろうに。

「シワがつくってば」

 顔をちょっぴりしかめながら、そう言ってやる。愛菜之はよく分からん高そうな服着てるから、心配になるんだよ。

 そんなお高そうな白のワンピースは、愛菜之によく似合っていて大変素晴らしかった。天女が降臨したかと思ったわ。カンカン帽もつけて、なんというか夏を感じさせる格好だった。

「晴我くんと添い寝するほうが大事だもん」

「……んじゃ、こっちきて」

 そんなこと言われたら、俺はもうなにも言えない。

 肩と肩が触れ合っている距離なのに、もっと密着したくなる。愛菜之をギュッと抱きしめて、愛菜之を感じていく。

 まだ髪に残る潮の香り、彼女の甘いような優しい匂い。

 畳の匂いはとっくに、愛菜之の匂いに消えていた。

「……可愛いよなぁ」

 長い、綺麗な黒髪を掬いあげて、親指の腹で優しく撫でる。この黒くて綺麗な髪も、仄かに香る甘い匂いも、全部が愛おしい。

 心の底から漏れでた言葉に、愛菜之は顔を赤らめていた。

「そ、それって私のこと?」

「……ん? なにが?」

 漏れでた言葉に、俺自身が気づいていなかった。まぁ、愛菜之に向けた言葉だから構わないんだが、愛菜之はそう思わなかったようで。

「……今の、誰に向けて?」

「なにが?」

 当の俺は、ボーッとしていたわけだからなんのことか分からない。そんな俺の反応に、愛菜之は怒った顔を引っ込めて、代わりに焦ったよう顔で聞いてきた。

「今、可愛いって言ったよ?」

「そんなこと言ったか?」

 まぁ、言ってるんですけどね。とはいえ、俺にその自覚がないから言ってないと思い込んでいる。

 そんなことは知らずに、愛菜之は不安そうな顔で俺にもう一度聞いた。

「誰に、言ったの?」

「言ったんなら愛菜之に向けて。言ってなくても愛菜之に向けて」

「……めちゃくちゃだよ」

 俺の返答に、愛菜之は朗らかに笑った。まぁ事実は事実。俺が愛菜之以外に可愛いとか言うわけがない。

 そもそも言う相手がいないわけです。そんな相手、愛菜之一人いれば十分だよね!

「可愛い?」

 愛菜之は期待しているような顔で、そう聞いてくる。

 俺の手を持って自分の頰に当てる。サラサラとした頬の感触、ほのかな温かさ。

 撫でてと言わんばかりに俺の手を上下に動かし、俺もそれに促されるままに頬を撫でた。

「愛菜之は可愛い」

「えへへ」

 ご要望の通りに言ってみると、愛菜之は嬉しそうに顔をふにゃふにゃにさせる。そんな反応されると、こっちも乗せられてしまう。

「大好きすぎる」

「ふふっ」

 ふと、この子が俺の彼女かどうか怪しくなった。だってこんなに可愛いんだぞ。俺の彼女? 夢は寝て見るもんだよ。

「ほんとに俺の彼女?」

「ほんとですよー」

 なんて可愛い返事をするもんだから、なおさら俺の彼女か疑わしくなった。というより、今日の海で愛菜之がモテることを再認識した。

 ていうか、今まで忘れてた。家から出るのはたまにだし、出たとしても引っ付いて行動するから、声をかけてくる勇者はいなかった。

「彼女なら、なんでもお願い聞いてくれるか?」

「うん!」

 元気のいい返事ですこと。彼女だからってなんでもお願いしていいわけがないんだよ。

 しかし、お願いされるってだけでこんなに嬉しそうな顔をしないでほしい。俺のことを信頼しきっているその目がなんだかめっちゃ痛い。

「胸、触らせて」

 そういうと、愛菜之はキョトンとした顔でマジマジと俺の顔を見つめる。そんな反応されると困るんですが……。

 まぁ、殴られようと引っ叩かれようと覚悟している。セクハラには制裁をすべき! セクハラ最低!

「そんなことでいいの?」

 そ、そんなこと!? この子は自分の価値がわかっていないのかしら!? 

 冗談……にしては気持ち悪すぎるお願いをしてしまった。まぁこういうこと言われるから、なんでもお願い聞くなんて言うなって伝えたかったんだが……。

「いつでも触っていいのに」

「いや、こういう気持ち悪いこと言われるぞって忠告をね?」

「なんで気持ち悪いの? 私、晴我くんに求められるの嬉しいよ?」

「そう言ってくれるのは嬉しいけどね?」

 俺がお金ちょうだいって言ったらくれそうだな……。今月のお馬さん代とかもくれそう、まだ賭け事できる歳じゃないけど。そもそもギャンブルとかダメだよ! そのうち沼にハマって漁船に……。

「そんな簡単に体を許しちゃいけません」

 それはそれとして、ちゃんと注意はしようね。俺がまだ純情チェリーボーイで良かった。

 俺がピーチクパーチクと小言を言っていると、愛菜之はまだキョトンとしていた。

「毎日シてるのに?」

 それもそうかな楽園、ah〜! じゃなくて。

 愛しあってるからって節制なしはいけないのよ。俺は尻の青いピーチボーイでも、よく考えたらチェリーでもないし積極的にお誘いもする。それでも、理性をなくして求めあってたらキリがない。

「まぁそうだけどさぁ……」

「なんでそんなに我慢するの? 私とするの、やだ?」

「いや、毎日でもシたいけど……」

 ていうかシてるけど。去年の夏から、俺たちは毎日シてるわけで。

 そんな生活を送っていると不思議なことに、そういうことをしないと落ち着かなくなっている自分が誕生してしまった。

 慣れというか、成れの果てというか、人間っていうのは怖いもんだ。

「我慢しないとさ、俺が歯止め効かなくなるっていうか……」

「……我慢、しないでいいよ?」

 愛菜之はそういって、俺の手をそのまま自分の腹へと滑らせる。服の上から触るお腹は、緩やかに膨らんでは沈んでを繰り返して、生きている証拠を映し出していた。

「私、晴我くんに求められると嬉しい。どれだけ求められても嬉しいよ。体だけが目当てとか、独りよがりとか、そういう考え、全部捨てて?」

 愛菜之はそう言いながら、今度は服の中へと手を滑らせていく。愛菜之の腹と指の腹が重なり、サラサラとした産毛の感触がくすぐったい。

 指は愛菜之の身体をなぞりながら、上へ上へと上がっていく。俺も力を入れず、されるがままでいた。

 少し硬い感触……愛菜之の、下着の感触が指先に伝わった。

「……ッ!?」

 愛菜之は驚いたような、何かに気づいたような様子を混ぜた複雑な顔をしていた。と思えば、俺の手を服の中からバッと脱出させて、貼り付けたような笑顔を浮かべた。

 ……えっと、お預けプレイ?

「愛菜之?」

「こ、ここまでにしとこっか!」

「えぇ……」

 お預けをされてはや3年って感じの雰囲気を醸し出すと、愛菜之は目を泳がせて困ったような顔をしていた。

「い、今はダメッ」

「今は?」

 なんで今はダメなんだ? なにか理由があるんだろうけど、ここまで焚き付けられて放置は生殺しにも程がある。

「うえーん」

「あ、後からいっぱいシよ? それに今しちゃったら、ご飯の前にねむくなっちゃうよ」

 泣き真似をすると、愛菜之はさらに困った顔で俺をあやそうとあたふたしだした。

 頭を撫でたり、抱きしめたり。それでも泣き真似をやめない俺に、愛菜之はオロオロと取り乱したままだった。

「ご、ごめんね。今は、その……」

「なんでダメ?」

 そう聞いても、愛菜之はやっぱり黙り込むだけだった。うーん、相当な理由があるみたいで逆に気になってくる。俺たちは隠し事は無しにしようっていう、暗黙のルールみたいなものがあるんだけどなぁ。

「……まぁ、愛菜之が嫌なら聞かないでおくから」

「あっ……」

 俺がそう言うと、愛菜之は焦ったような声を漏らす。別に怒ってるわけでもないんだが、愛菜之は俺が見限ったとでも思ってるのかね。見限られるとしたら、俺の方が可能性は濃厚だけど。

「……い、言うよ! 言うから、嫌いにならないで……?」

 愛菜之は俺を見つめながら、意を決した様子で言い放った。


「下着が可愛くないの!」


 ……え?

 下着が、可愛くない? ……え?

「えとね、着替えの下着を用意してたんだけどね。更衣室に持ってくるの忘れちゃってたから……」

 そういや、荷物は先生が預かってくれてたな。必要なものだけ持ってけって言ってたけど、その時に下着を忘れたと。

「い、今の下着は可愛いのじゃないの。だから、見られたくなかったの……」

 そういって、愛菜之は目をギュッとつむりながら俺に抱きついた。

 まるで怯えているような、そんな雰囲気だった。

「……幻滅した?」

「なんで?」

「だ、だって。こんなの、だらしないでしょ……?」

「ええ……」

 それでだらしなかったら、俺は一体どうなるんですか。俺なんかもうだらしないとかじゃなくて、なんていうか、カス。

「俺、愛菜之のことをだらしないとか思ったことないぞ」

「で、でも……」

「ていうか、だらしないとこ見せてくんないと困る」

 今まで、愛菜之がだらしないところを見たことがない。それは愛菜之が俺の前ではいいところを見せたいって思いもあるとは思うが……。

「だらしないとこ見せてくれるってことはその分、俺のことを信頼してるってことだろ?」

「そ、そうなの、かな……」

 愛菜之は俺のシャツの裾をつかみ、頭を俺の胸に預ける。そんな愛菜之の頭を撫でて、できるかぎり優しい声音で伝えた。

「愛菜之が気を許してくれて、安心できてるってことだろ? だから甘えたりダラダラしたり、そんなとこいっぱい見せてくれよ」

「……えへへ」

 愛菜之は安心したように、にへぇっとふやけた笑顔を浮かべた。どうやら、変な気遣いは取り除けたらしい。

 うんうん、これで安心してイチャイチャできる……。

「それはそれだけど、シません」

「うえーん」

 このままだと、妖怪子泣き晴我になっちゃう。なんでお預けをかましてくるの? 別に我慢できないこともないけど……。やっぱ無理、愛菜之とイチャイチャしたい!

 キリがないだの理性がどうだの言ってる割に、俺の方が節操なしだった。まぁ、ここでお預けされるのは誰だってツラいでしょってことで。

「……ちゃんとした下着、着てくるから。夜まで一緒に我慢しよ?」

「……一緒に?」

 一緒にもなにも、愛菜之が俺におあずけをしてるわけなんですが……。

 疑問に思っていると、愛菜之は顔を赤くしながら、目と鼻の先の距離なのに小声で話す。

「わ、私も今すぐシたいもん……」

 煙が出そうなくらい、顔を真っ赤にしている愛菜之が愛おしくて、胸が苦しいくらいだった。天然だろうが狙ってやっていようが、どっちだって構わないくらい可愛かった。

 そんなに可愛いと、俺も俺で我慢が効かなくなるわけで。

「ひゃっ!? だ、ダメだよぉ……!」

 力強く抱きしめると、愛菜之はなにを勘違いしたのか、どことなく嬉しそうな声でそんなことを言う。

 ギュッと抱きしめ続けていると、愛菜之はおそるおそる顔をあげて俺を見つめた。

「……シない、の?」

「今は、これだけ」

 我慢して、した分だけ強く愛菜之を感じられるから。だから、今はまだこれだけで留めて。

 愛菜之を抱きしめて、隙間もなく引っ付く。クーラーを効かせた部屋の中、彼女の少し高い体温は心地よくて、手放し難くて。


「……我慢、できるかなぁ」


 それがどっちの言葉だったか。

 

 もしかしたら、お互いにそう思っていたのかもしれない。

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