第26話

「おはよう、晴我くん」

「お、おう……」

 おかしい。最近の俺はどうかしてる。

 なんでまた、最近になってこんなことになった。

 いつもなら見れていた愛菜之の顔が見れない。いつもなら見れていた、愛菜之の裸が見れない。ていうか、なんで毎朝裸なのよ。

「晴我くん? 元気ない? 早く起こしすぎちゃった?」

「いや、起こしてくれてありがと……」

 お礼一つを言うのに、心臓がバクンバクンとフルエンジンで音を立てている。

 愛菜之が首を傾げる。長い黒髪がサラリとベッドにかかって、朝日を反射していた。

 チラリと愛菜之を見てみると、まるで分かっていたかのように視線を合わせてくる。軽く微笑みかけてくるが、俺にとってその笑顔は今は毒だった。


 胸が苦しい、心臓がうるさい。顔が熱いのは夏の気温のせいじゃない。


 なんでだ、どうしてこんなに。


 愛菜之が、可愛く見えるんだ。




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 文化祭も無事(?)に終わり、告白大会も無事に終わった。集客効果は十分にあったらしい。有人がホクホクとした顔でそう言っていた。

 まぁ、女の子二人が思いの丈を込めて告白したんだ。そりゃあ客はみんな、心を動かされるわなぁ。


「やっぱり愛菜之くんの登場は話題になったよ。内容は内容だったけど……やっぱり人目を引く容姿がね!」


 興奮冷めやらぬ様子でそう言ってたが、マジで腹パンしてやろうかと思った。人の彼女見せもんにすんな。


「それに、裏愛くんの告白も良かったね。あの告白を聞いて、きっと心を打たれた人は多いんじゃないかな」

「そう、だな……」


 告白を受けた当事者である俺としては、なんとも言えない複雑な気分だ。

 あの告白は、確かに心を動かされるものだと思う。それがたとえ、自分に向けていられようといまいと。

 思いを真にこめた、あの告白は今でも耳に残っている。


 まぁ、当の裏愛はなんとも思っていないらしいが。


「おはざーす」


 あんまりにもおざなりな挨拶をする裏愛。前のことは何だったのか、ちょっと距離感に悩んでた俺の苦悩は何だったのか。


「もう夕方だな……」

「うるさいっすよ。今日はなンの仕事やるンすかー?」


 そんな感じで、日常はいともたやすく戻ってきた。あの文化祭で、色んなものが吹っ切れたのだろうか。

 裏愛がいつも通りにしてくれるなら、俺もそうするしかない。

 ……これで、この一件は終わりなんだろうか。


 それを知っているのは、裏愛だけだった。




────────────────────




 そして、季節は夏。

 俺たち学生には、最高の時期。夏休みがあるからだ。

 俺と愛菜之は実質的な同棲を始めたわけだし、夏休みなら毎日イチャつける。旅行に行くもよし、ちょっと海まで行ったりするのもよし、部屋を涼しくしてお家デートもよし。

 そんな充実した夏休みを、俺と愛菜之の二人で始めていく。


 そのはずだった。




「晴我くん、あーんして」

「い、いいって。自分で食べるから……」


 いつもなら口移しのところを、あーんにしてもらってこのザマだった。

 まともに顔も見れないので当たり前っちゃ当たり前だが、ちょっと前までは裸を見たって目を逸らしたりはしなかったのに。


「い、嫌だった? 私のこと、嫌いになっちゃった?」


「なわけない。むしろ逆で困ってる」


「ぎゃ、逆?」


「好きすぎて困ってんの」


 そう、たぶん愛菜之のことが好きすぎるあまり、おかしくなっているんだと思う。

 だってなぁ……愛菜之になんか、エフェクトみたいなのがついて見えるくらいだからなぁ。

 加工なんて一切必要のないパー璧美少女の顔に、自動補正(俺特攻)がかかってるんだ。頭がおかしくなりそうなのも当然のことである。


「愛菜之のことが好きすぎておかしくなりそうなんだよ。今はあんまし顔、近づけないでくれな」


「わ、私の顔が嫌なの?」


「逆だってば」


 今、顔なんて見たら照れで爆発してしまいそうだ。なんでこんなことになってんだ、俺。

 俺は一分一秒だって愛菜之とイチャイチャしたいのに。一体どうすりゃいいんだ、教えてえらい人。


「……晴我くんは、私のことが好きすぎておかしくなりそうなんだよね?」


「そうだな」


 愛菜之にそう答えると、うーんと考えてから、なにかを閃いたように、俺に笑顔で言った。


「じゃあ、慣れるまでリハビリしよっか」


「……ん?」


 ……リハビリとは?

 



───────────────────




「好き、すーき。大好き」


 はたして、後ろから抱きしめられ、耳元で好き好き囁かれるのがリハビリなんでしょうか。

 正直、たまらん。好きな子に、しかも今のバフがかかった状態でこれはヤバい。

 胸が当たってるし、いい匂いはするし、心臓の音が聞こえてないか心配だし。


「だーいすき。チュッ、チュッ」


 わざと音を立てながら、耳たびに軽いキスをされる。これは確実に、頭がおかしくなるやつだ。直接脳内に響いてくる。


「どう? 慣れてきた?」


「ツラいっす……」


 めちゃくちゃ恥ずかしいし、めちゃくちゃ幸せすぎるし、なんだこの感情。情緒不安定になって死んじゃいそうなんだが。


「じゃあ、まだまだリハビリしなきゃだね!」


 むんむん! とやる気を出している愛菜之だが、俺はヒェーってなってた。夏の季節なのに、俺の内心は冷え冷えである。


「かわいい晴我くん、だいすき晴我くん」


 そういって愛菜之は、ふーっ、と息を吹きかけてくる。


「うんッ」

 思わず気持ちの悪い声をあげると、愛菜之の目が爛々と輝きを得てしまった。

 何度も何度も見てきたその瞳は、たぶん本能ってものを一番表してるかもしれない。


「……かわいい、かわいいかわいいかわいい」


「ま、待って愛菜之」


「ごめんね、ごめんね。でも可愛いの、晴我くんが大好きなの」


 そういって愛菜之は、俺の耳を甘噛みする。痛くはない、むしろ心地がいい。カプッ、なんて擬音が似合いそうなくらい、優しい力で甘噛みされる。


「うあっ」


「〜っ!」

 

 辛抱たまらんといった感じで、愛菜之が俺をぎゅうっと抱きしめてきた。そんなことされたら、俺はもうキャパオーバーで死んでしまう。

 

「ごめんね、もうダメなの。我慢なんてできないの、ごめんね」


 なんどもなんども謝る愛菜之が、俺をパッと離した。

 解放されたかと思えば、そんなわけがなく。愛菜之は俺の前に回ってくると、本能でギラギラに輝やかせた目を俺に向けていた。

 

「大好き、大好き大好きだいすき!」


 ガバッ、と勢いよく俺に抱きついて、そのままベッドへ倒れ込む。

 いつもの流れなのに、俺の心臓はこれ以上ないくらいに音を立てていた。


「えへへ、えへへへへ。夏休みは毎日毎分毎秒、ずーっと一緒だよ」




 夏の始まりは、彼女の甘い匂いで始まった。

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